※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:電子メール不使用者=アサーティブ・コミュ障ですか?)
電子メール不使用者=アサーティブ・コミュ障ですか?
このQ&Aのポイント
電子メールの使用によるコミュニケーション方法の変化について考えると、若者を中心に長文のメール交換よりも短文のコミュニケーションが主流となっていることが明らかになっています。
一方で、電子メールを通じた長文のコミュニケーションが深い思索や内省的な時間を生み出す可能性もあります。
このような文化の変化から発展し、オンライン上での長文コミュニケーションを重視するアサーティブ・コミュニケーションの重要性が高まってきていると考えられます。
電子メール不使用者=アサーティブ・コミュ障ですか?
(1)あなたは、興味を抱いた方に、名刺などにプライベートの
Eメールアドレスを書き添えたり等して伝え、逆に相手の
Eメールアドレスも尋ねてみたりとかって、なさいますか?
(2)要するに、老若男女問わず、ある程度以上の関心を抱いた方と
互いに長文と長文で往復Eメール交換してみたいと思う事って、
普段から普通にありますか?
(3)ある調査に拠りますと、高校生などですと、ラインでの短文
コミュニケーションが殆どで、今のハイティーン世代あたりだと
Eメールはあんまり活用しないそうなのですが、本当ですか?
私は、アラサー世代ですが、そのレポートを読んだ時に、何か、
深い思索の森に自らをいざなう様な静謐で内省的な心豊かな時間を
軽んじ捨てて、深いコミュニケーションを諦めているかのようで、
妙に残念な気分になったものです。
私が18才の頃は、Eメールでの文章コミュニケーションは、
非常に楽しいものに思えましたし、基本的には、今も然りです。
ティーンだけに限らず、20代前半・後半、アラサーでも然り
なのですが、コミュニケーション方法が、無遠慮で唐突な電話だったり、
ラインの短文コミュニケーションだけの方々が、私の感覚ですと、
言葉は悪いのですが、まるで所謂、コミュ障みたく感じるのです。
とある社会学作家の言葉の引用ですが、低俗なバラエティー番組
という精神兵器が、TV映像による国民の愚民化(私の解釈ですと、
コミュ障化)を助長しているという表現に妙に納得したものです。
(4)昨今の英語教育の方向性も然りなのですが、日本語会話にせよ、
長文を構成する執筆能力よりも、べらべら喋れる事の方が格好良い、
みたいな風潮に違和感を覚えますが、あなたは、そんな風には、
特に感じておられませんか?
私自身が、中等教育段階か、漫画本でも良いなら、小学生の頃から、
文法(文章構成技術、文章表現技法、面白いライティングスキル)への
関心が結構強く、今でも、かなり強い状態にあるからやも知れませんが。
(5)文章には、綴った方の心の文法(=脳内文法)や執筆者の人生の文脈とか
も見え隠れするでしょう?
やはり一人の人間が、良好な真のホモ・サピエンス関係を結ばんと
するのなら、長文を構成し広く発信する事により互いを精緻に表現し、
その本質的な性質を双方、合点しあう必要があるであろうと思います。
私は、無遠慮で唐突な電話やスカイプは勿論、ラインなど一対一の
短文コミュニケーション=非長文コミュニケーションにある程度の
ストレスを感じるゆえ、オンライン上に長文コミュニケーション・
コミュニティー会員サイトを運営できたらと思っているフシもあります。
既に十分、良いものがあれば、ただ参加するだけでも良いのですが。
平木典子氏の所謂、アサーティブ・コミュニケーション・スキルを
磨き合い高め合う事を前提とする有料の会員制サイトです。
(6)電話やライン短文でのコミュニケーションをすればする程、
どんどん、お互いのコミュニケーションが浅く軽薄なものになり、
真のコミュニケーション能力が低下してゆく感じが正直しませんか?
特に大学生以上の方(上限は無し)に於いてです。
(7)私の推察ですと、小学生も中学生も高校生も大学生・院生も、
20代もアラサーも、アラフォーもオンライン長文コミュニケーション能力
つまり、アサーティブ・ライティングスキルを皆が相互に高め合う事に、
水面下であれ非常に関心が高くなってきており、今後、その傾向が
益々強くなり表面化して参るのではないかと思いますが、如何でしょう?
あなたの体感上、そうでも無い感じですか?
以上、あなたのご意見、ご感想、思う所など何でも自由に
記して下さい。宜しくお願いします。
お礼
ありがとうございました。 感謝しています。<(_ _)>