徴兵検査は全裸?家督と兵役逃れの関係

このQ&Aのポイント
  • 徴兵検査についての話題がインターネット上で多く取り上げられていますが、実際の現場ではどのような面接が行われているのでしょうか?祖父の話では、家督が兵役を逃れるために長男以外が合格最前線に入ったという特殊な事例があったようです。
  • 徴兵検査の実際の内容については詳細は不明ですが、話によると兵役を逃れるためにさまざまな手段がとられたとされています。例えば、聴力や視力に問題があるふりをしたり、病気を装ったりするなどの方法があったと考えられます。
  • 徴兵検査は全裸で行われたのかという質問もありますが、具体的な証言や資料は見つかっていません。ただし、戦時中の徴兵検査には厳しい規定があったため、個人の体を調べることもあったかもしれません。ただし、兵役を逃れるために特殊な行為をしたという話は事実として伝えられています。
回答を見る
  • ベストアンサー

徴兵検査って

インターネットは大層に書いてますが、祖父の 話では、「何番目?」「○番目」「長男以外合格最前線」 だったそうで超ムカつく~~~何なの~~考えられん、どんだけ~~(フリフリフリ)。と言ってました。事実長男は家督で兵役逃れしたトカシナカッタとか?? 実際の現場ではこんな軽い面接だったのでしょうか。実際は家督は祖父になったので、確かに変だなあとおもいます。長男はお役所仕事で家を出、次男も放棄して一番最初に亡くなったみたいで、祖父と四番目は、気持ち悪いぐらい似てましたが、孫☆☆☆LOVEのツルツル頭でした。バーコードですけど。徴兵検査は全裸で本当にやったんでしょうか?戦争を語るときいつもこの愚痴からでした。兵役逃れで、「聞こえません。見えません」や「生肉をケツにはさんで重度の病気を装ったり」「醤油を飲んだり」「異常者を、演じたり」は事実あったのでしょうか?。

  • 歴史
  • 回答数4
  • ありがとう数6

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
  • teppou
  • ベストアンサー率46% (356/766)
回答No.4

 No. 3 teppou です。  「チンコ」の件について補足します。  参考サイトとして挙げたwiki「陸軍身体検査規則」の中に説明があります。  当然読むと思って詳細は省きましたが、要するに簡易性病検査なのです。  その時の反応によって詳しい検査が行われたようです。  この件について、何人もの兵隊検査合格者に聞きましたが、質問を無視されたことはありますが、否定されたことはありません。

NAYAMINAKUNARE
質問者

お礼

ありがとうございました。無視はたぶん言ってる意味が分からない何言ってんだこいつと言う感じか、陵辱を受けてしまったパターンですね。確かに教本は黒く塗られ大量に隠蔽されていました。

その他の回答 (3)

  • teppou
  • ベストアンサー率46% (356/766)
回答No.3

 ご質問の趣旨がよくわからない部分もありますが、回答してみます。  戦前の徴兵検査は、原則日本国民で、内地(ほとんど現在の日本領土)に在住する男子が、満20才の年に受ける義務でした。  戦前、台湾や南北朝鮮他、日本領土ははなり広かったのですが、明治維新ごろの領土を内地と呼び、それ以外の戦争などで獲得した領土を外地と呼んで区別していました。  外地に住んでいる人は、日本人、現地人を問わず徴兵義務はありませんでした。日本の国会議員の選挙権もありませんでした。  なお、終戦前年に台湾・朝鮮で徴兵が行われるようになりました。  徴兵検査は初夏のころに、居住地の小学校や公民館などで、行われたそうです。  体格の計測と医師による健康診断が行われ、陰部の検査も行われ、その時は素っ裸になって、検査を受けました。  陰茎(ちんこ)を医師に強く握られたり、肛門を調べられたりと、屈辱以外の何物でもなかったそうです。  参考サイト検索Word「陸軍身体検査規則」  徴兵検査に合格すると、2年間、本籍地に近い軍隊(連隊)に所属し(入営といいます。)軍事訓練を受けました。  その後、通常は除隊し元の生活に戻り、戦争などが起きた場合は、招集(いわゆる赤紙)が来て再度兵役につきました。   明治のころは、戸主や家督相続予定の人(通常長男)は、兵役義務がなかったそうですが、いくつかの戦争により兵役免除の範囲は狭められたようです。  それでも、徴兵検査中に事情を聴かれ、不合格にしてもらったり、有力者に裏から手を回してもらい、入営しても短時日で除隊できたという話を聞いたことがあります。  参考サイト検索word「家制度」  また、徴兵逃れの方法もいろいろあったようですが、軍や警察などに見抜かれて、処罰を受けたり、入営後ひどい目にあわされたりした人も多かったそうです。  参考サイト検索word「兵役逃れ」  以上、経験者に聞いた話や、書物やネットで読んだ話をまとめましたが、じつは、終戦の時に膨大な量の書類が焼却され、真実を公的書類で確認することは極めて困難な状況だそうです。  世間に流布している情報なども、聞き書きのまた移しのようなものが多いようです。  

NAYAMINAKUNARE
質問者

お礼

ちんこは何で調べるんですか。その 話は聞いたことがないです。下ネタになるから だまってたの居たのでしょうか。 検査などなく兄弟で何番目かのみ聞かれたと 言いました。若気の至りで触ったことがありますが無反応でした。伯父には、嫌がられました。まだ幼稚園ぐらいのはなしですよ。 回答を、ありがとうございました。

noname#251489
noname#251489
回答No.2

昭和時代の自衛隊は、採用など人事関するものまで旧軍から継承されているものが沢山ありました。 例えば、任期制自衛官から非任期制自衛官に為るための試験の項目に面接があるのですが、その面接は個人面接だったり、集団面接だったりと全国共通ではなく、部隊毎様々な形式でした。 ある部隊の集団面接の際に、受験者は全員頭を下げ目を瞑った姿勢にされ、面接官から「もし、北海道に異動せよ!と言われたら、君たちはためらいなく応じますか?応じる者は挙手せよ!」のようなが質問ありました。 挙手したものは全員合格でしたが、挙手しなかった者は全員不合格でした。 また、身体検査で受験者はパンツだけ残し後は脱衣にされますが、性病や菌検査だと思いますが、若い看護婦の前で医官が男性の一物を一通り観察したり、ケツにガラスのような棒を突っ込まれます。採用後は集団生活になるだから仕方のない検査だと思います。 あなたの質問コメントを見て、それを思い出したのですが、昭和時代の自衛隊状勢から逆算すると、兵役逃れるために仰るような馬鹿みたいな話は意外にあったのではないかと思いますね。

NAYAMINAKUNARE
質問者

お礼

ありがとうございました。

  • stss08n
  • ベストアンサー率16% (454/2762)
回答No.1

老いも若きも”死に対する極限的な苦しみを、与える事から”意識改革から”徴兵云々が始まり、逆らえば”死へ直接一直線でしょう。 悠長な考え方を捨てさせる事が、大原則でしょう。・・・

NAYAMINAKUNARE
質問者

お礼

ありがとうございました。

関連するQ&A

  • 徴兵制は男女差別ではないですか?

    平和な日本ではあまり関係ありませんが、お隣の韓国、台湾をはじめ世界には徴兵制が残っている国はまだ多くあります。 1年から2年の間自由を拘束され、過酷な訓練や上官によるしごきの毎日で、場合によっては命を落としたり障害を負う者もいると聞きます。 さらに、万が一戦争が始まれば前線に赴き、死の危険を強制されることになります。 現代日本にこのようなものがなくて本当に良かったとは思うのですが、疑問なのが、イスラエルなどを除くほとんどの国で、兵役は男性にしか課せられず、女性には代替服務も含め一切義務がない(志願は可)ということです。 現代の韓国・台湾くらいの豊かな国であれば、男性が兵役に行っている間も女性は中断されることなく勉強や仕事、恋愛、エステ、海外旅行などを楽しむことができます。 戦争中の国ではこうはいきませんが、少なくとも女性であれば比較的安全な場所に避難できる可能性もあるし、前線で戦っている兵士に比べれば犠牲になる確率はずっと少ないと思われます(もちろん女性も大変な苦痛を味わうし、性暴力など特有の問題もありますが、それでも死ぬよりは、、、と思います)。 これって究極の男女差別ではないでしょうか? 好きで男性に生まれたわけではないのに、同世代の楽しそうな女性の様子を見ながら自分は戦争の訓練、、なんて想像しただけでも耐えられません。 もちろん女性が不利な場面も社会にはいろいろ残っていますが、男性の兵役だけでもそれらを全部吹き飛ばしてしまうほどだと思います。(兵役を別にしても、女性だって不利なこともあるけど楽しいこともいっぱいありそうだし) 私は日本人男性ですが、もしこのような国に生まれていたら、、、早めに女性に性転換することも考えていたかもしれません。あるいは国外に逃亡したかもしれません。 実際に徴兵制のある国の男性は、どのように思っているのでしょうか?(あるいは戦前の日本人男性はどう思っていたのでしょうか?) 不合理だと思うことはないのでしょうか? 女性に生まれたかったと(公言はできなくても)思う人も多いのでしょうか?

  • 戦争はなぜ、長男、一人っ子は、最前線にされなかった

    戦争はなぜ、長男、一人っ子は、最前線にされなかったんですか? 母の方の祖父が結局跡取りに、なったけど、 徴兵で、お前、何番目だと聞かれて長男では無いと答えると、はい、最前線。と言われて激オコぷんぷん丸。だったと、繰り返し本人がつぶやいてました。学校で、戦争を聞いてこいと言われて聞いたのが切欠です。 父の方は長男なんですが出兵していますが え~なんのこと~マジ卍、分かんない。記憶ない。みたいにおこってなかったです。本当に戦争に行ったのかさえ?でした。船には乗ったが食事しかしてないとか、感受性のちがいでしょうか。母の方は、軍隊の指揮をとったような発言もしてました。主にドン!パン!どっかーん、しか言ってませんでした。

  • 太宰治の「未帰還の友に」はフィクション? それともノンフィクション?

       太宰治の著作のひとつに「未帰還の友に」という作品があります。戦地に赴いたまま帰ってこない友人に対しての心情を描いた著作なのですが、これについていくつか質問がございます。 質問1.これはエッセイ(事実)でしょうか、それとも小説(フィクション)でしょうか? 質問2.もし「未帰還の友に」のとおり、戦地から帰ってこない太宰の友人が実際にいたならば、その後その友は無事帰還されたのでしょうか。それとも残念ながら戦死されたのでしょうか? 質問3.なぜ太平洋戦争時、太宰は徴兵されていないのでしょうか?(当時兵役の義務は17歳~40歳までであり、太宰はこの範囲に引っかかるはず。徴兵されてないのは、おそらくは精神疾患のため? )    ご回答いただく際、参考文献等も書いていただければ幸いです。  気になって夜も眠れないので、よろしくお願い致します。  ※下記は青空文庫の「未帰還の友に」のURLです。ご参考までに。  http://www.aozora.gr.jp/cards/000035/files/297_20163.html  

  • 韓国の徴兵検査について

    韓国の徴兵検査は、時期や場所は自由に選べるのですか?(年に何回もある?) それとも、一方的に連絡が来て、地方出身者はどの期日までに田舎に帰らなければいけないとかあるんでしょうか? それから、徴兵検査はいっぺんに何人ぐらいが受けるのでしょうか?

  • 韓国の徴兵検査について

    韓国の徴兵検査は全裸だとききましたが、本当ですか? 全裸でどんな検査を受けますか?

  • 徴兵検査の身長

    昭和2年の兵役法で「現役に適する者は身長1.55メートル以上にして身体強健なる者とす」とありますが、当時の155cmって今で言うと何cmくらいを要求されてたことになりますか?

  • 国防軍と刺青について

    現在は公務員法で自衛官の刺青また、採用の基準で刺青を施した者はアウトですが 日本の自衛隊がゆくゆく国防軍になれば刺青に対する取扱いはどうなるのでしょうか? 右倣え右の軍隊生活の中で刺青はたしかに軍規を乱すものであると思います。 なので、今と同様に軍人が刺青を施すことを禁止することには賛成です。 しかし、もともと刺青を施した者に対する取扱いはどうするのでしょうか。 日本が正式な軍を持ち国民の義務に国防の義務を新設すれば、当然徴兵という形に 流れていくでしょう、そういった場合現在の基準のままでは韓国の若者のように 兵役逃れに刺青を施す者が出てくるだろうしまた志願制にしても、兵士の採用に 刺青を排除していては十分な兵力の保持は難しいのではないでしょうか。 刺青を消せというのなら治療費は国費でなのでしょうか また刺青の範囲が大きい場合消せば火傷の範囲が大きくなることについてどうする のでしょう 実際、アメリカの軍人等はタトゥーを入れている人は多いですね。 アメリカ等は刺青に対する偏見はまったくないようです。 そういった偏見が日本独特のものであるのなら、国防軍を国際的な基準に見合う 組織にしていく為にも、米軍と協力していく組織にしていくためにも、現在のような 刺青に対する過剰な排除はいかがなものかと思いますが皆さんはどうお考えでしょうか?

  • 赤子取り違え事件の被害者の社会的地位の保証は?

    お世話になります。 60年ほど前に起きた赤ちゃん取り違え事件で、金持家庭の長男が、貧乏家の家庭の四男にされていた、ということがわかりました。(もちろん、相手は逆に貧乏家庭から金持ち家庭に引き取られ、長男として大切にされました) 裁判では取り違えた病院に対して賠償命令が出ました。 しかし、この二人は裁判ではっきりと取り違えてしまったことが証明されたわけですが、彼ら二人の社会的地位の保証、確立、というのはどうなるのでしょうか? 金持ち家庭に引き取られて長男として育てられた男は、現在親の地位を引き継いで不動産業の社長をしているとか。 彼には弟たち(実際には血は繋がっていない)がいるとのことですが、こういう事態がはっきりした現在、彼も社長の椅子の座り心地が悪いことでしょう。 さりとて、 「俺、この家の血を引いていないから、戸籍抜いて出て行くことにするよ」 と自ら地位を捨て去ることもいいだしにくいでしょう。 かと言って、弟たちが突然、見かけ上の兄に反逆して 「不当に社長の座を手にいれたのだから、我々に譲れ」 とも言いにくいでしょうし、それを言ったら、取り違えられた実の兄がやってきて 「この家の正式な長男は俺だから、今日から社長の座も家督も俺が引き継ぐ」 ということも受け入れざるを得ないでしょう。 もう一人の被害者には悪いですが、定時高校卒のトラック運転手だった人に、いきなり不動産業の社長が務まるはずもありません。 また、取引先だって、この事実を知れば、 「正式な二世社長ではないので、取引をやめたい」 「血は繋がっていなくとも事実上、長男として育てられ、我々もそれを信じて商売上のおつきあいしてきたのだから、事実上あなたは正式な先代の長男だ。今まで通り取引したい」 と、意見が分かれることでしょう。 しかし、血筋を引いていない人が一人いればこの兄弟の子同士は、従兄弟でありながら従兄弟ではない、ということになり、従兄弟同士で 「本当は貧乏人の家の子のくせに、親に続いてお前も不動産業を継ぐつもりか? 我が家系を乗っ取るつもりか?」 と醜い争いとなることでしょう。 一体、どうすればいいのでしょうか? 不本意ながら、互いに養子縁組をして正式に赤ちゃんを交換した、ということに落着させるぐらいしか解決方法はないのでしょうか? それとも、それらを全て含んだ金が今回の賠償金であり、それをもらって全ては解決したものとする、ということなのでしょうか? 詳しい方、お願いします。

  • 親戚とは何ぞや

    Google Earthで祖父の家宅・水田を閲覧した。 50年前の景観と全く異なる家が建っている。 母に聞いた。祖父の遺産相続を協議して転売したのか? 母は、協議したこともなければ捺印していないと応える。 祖父の志は何だったか? 長男・次男の遺稿が発見され、家督制度時代の両親・一族の養い・世の人に尽くせ・俺は出兵する。 長男はフィリピンで戦死・次男は病死。同じ昭和20年に死亡。 この遺稿を読んだ私は、ハラハラと涙が流れていた、 祖父の志は、「信義」だったと推察。 だが、その子供たち(長男と次男を除く)は、自分の親が残した遺産を食いつぶしている。 それも、兄弟姉妹が全員集まって、 ・財産目録 ・遺言書 ・法定相続分割割合に基づく協議 等を実行せず、 ・転売し、その収益を自分の子供に贈与した法定相続人が居た。 現在価格に換算すると5億円です。 祖父の遺産をすべて転売していた。 昭和24年(敗戦は昭和20年、その4年後)の翌年の昭和25年に遺産相続の規定が民法第5節に規定された。 兄弟姉妹は、この法律を知らない。 この50年間、転売した事実を知らない2名が居る。 親の財産を転売した二人は法定相続人だが、兄弟姉妹とは、協議した記録がない。 この二人の子供たちを診ると、品格はゼロ。 親の志を引き継げない馬鹿者・私利私欲の子供たちである。 私は、祖父の志から、受益者が無断で転売した当時の金額を返済すべしと思っています。 50年間の元利合計は約10億円です。 二人の転売者が、返済能力がないのであれば、親から贈与された者(子供たち)が 元に戻すべきだと思う次第です。現在価で計5億円です。 お金には替えられない兄弟姉妹・親戚の関係とは、何ぞや? <参考> ・遺産相続の時効はない。 ・遺産の目録を被相続人は文書化していない。 ・遺産相続規定が民法第5節に存在することを知らない「法定相続人達」」 ・家庭裁判所への和解調停の申告費用を知らない国民、 ・・・・・・・・・ こう言う実態に対する皆様型の率直なご意向を開示してください。

  • 「プライベート・ライアン」をみて

    「プライベート・ライアン」は、4人兄弟の3人までが戦死してしまい、最後の末弟を敵地から救出するというお話なのですが、祖父の話を思い返しました。 祖父は、第二次大戦中、「特操(特別操縦士養成課程?)」に志願し、戦闘機乗りになったらしいのですが、割り当てられる機体が少なかったのと、見ず知らずの土地で、誰にも看取られることなく戦死するかもしれないのはいやだと、戦闘機を降り、爆撃隊に転属しようとすると、「爆撃機は墜落率が高いから長男は乗せられない」といわれ、整備士になったとの事でした。 アメリカ軍なら、兄弟全員が戦死するのを防ぐ為、救出作戦を行うというのはわかるような気がするのですが、祖父の話し振りでは、自分の兵科(戦闘機→爆撃機)が自由に決められたようにも取れますし、後継ぎを殺さない為に爆撃隊もだめという感じで、自分の日本軍のイメージとはちょっと違います。 実際に、連合軍・日本軍を問わず、こういう事実や規則があったのか教えていただけたらと思います。