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そもそも、沖縄はもともと独立国ですよね?
沖縄は、今は沖縄県になってますけど、 もともとは「琉球王国」で王朝もあって独立国ですよね? 琉球王国の歴史の中では、日本史の重要なできことはあまり 関係しておらず、薩摩が侵攻してきたことなどが描かれています このおおもとのところをあいまいにしているから 基地問題などがこじれるという側面もあるのではないでしょうか?
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小国と言うのは、大国の庇護のもとで繁栄している例が多いのですが、沖縄も琉球王朝の頃はそうだったようです。 もともとは台湾から沖縄までの琉球諸島全てが1つの国だったようですが、薩摩が併合してから日本の領土になっています。実はそれだけではなくて、日本沿岸の島々の多くが、元は外国の領土だった例が多くて、明治時代に鋼鉄船が建造出来るようになってから、外国から奪い取った島がほとんどです。木造船では沿岸海域までしか守れないのですが、鋼鉄船だと遠洋航海が出来るので、領土領海が広がる結果になりました。今の日本は明治時代に決まったもので、江戸時代は今よりもずっと小さな島国だったのです。 日本周辺では領土問題が数多くありますが、周辺国から見ると、明治時代に奪われた領土・領海が多いわけで、その点をマスコミが触れようとしないだけなのです。中国が台湾から沖縄まで中国領だと主張したり、韓国が竹島や対馬を自国の領土だと主張するのは、そういう歴史的背景があるわけです。 しかし、現在の国際情勢から考えて、沖縄が独立したとしても、大国の庇護の下でしか独立を維持出来ないでしょうから、どこかの大国に依存する結果になるでしょう。結局は、今と変わらない程度の自治権しか持ち得ないと思いますね。
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- kitsunetoneko
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沖縄(旧琉球王国,大琉球とも言う)は,もともと 明朝や清朝などの中華帝国(中華王朝)の支配下などにありましたし,中国大陸や台湾(旧 小琉球)とも近い為,中国との文化的な交流なども盛んで,空手のもとは,中国大陸の福建省のあたりの中国拳法,白鶴拳が,もとという説があり,そういった中国文化の拳法などが,台湾を渡って,琉球王国に伝わり,空手に変化したというそうですが,日本が,安土桃山時代に,豊臣秀吉氏が,当時の琉球王国に臣従を求め,豊臣秀吉氏の朝鮮征伐に,兵力や兵糧を提供するように,当時の琉球王国の役人であった,我那覇親雲上秀昌氏などに会い,琉球王国に促したりするも,当時の琉球王国は,中華王朝の支配下にあった為,朝鮮半島を経由して,明朝を攻めるという日本側の作戦に,積極的に,荷担することも出来ず,結局,兵糧を半分だけ日本側に提供し,日本の情報を,中華王朝側に伝えていたとかで,日本が,本格的に,沖縄(かつての琉球王国)に侵攻して来るのは,江戸時代初期で,明治維新までは,日本と中華王朝側の二重的な支配でしたが,中国(当時の清朝)側が,最終的に,琉球王国の領有権を放棄した形などで,琉球王国は,琉球藩などを経て,沖縄県となり,日本領として現在に至ります..基地問題に関しては,沖縄の地理的な重要性から,又,朝鮮半島や中国及びロシア(旧ソ連)と,日本の間の,太平洋戦争後などの,防共的な関係性から,戦後,アメリカ軍に依存している日本の立場上,沖縄に,アメリカ軍基地が集中しているようです..
お礼
詳しく説明してくださいまして ありがとうございました
- ichikawa2017
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>琉球王国の歴史の中では、日本史の重要なできことはあまり関係しておらず、薩摩が侵攻してきたことなどが描かれています。 琉球王朝は自他共に独立国として扱われてきました。 世界史的にも自国の王朝の歴史を記すのに王朝と無関係な国に関していちいち記載しているような歴史書があるというのは寡聞にして知りません。 日本史上最大の歴史書とされる大日本史にもフランス革命やアメリカの南北戦争のことなど記載されていません。 1429年に成立した琉球王国の正史である中山世鑑や琉球国由来記では1187年に成立した琉球王朝の初代の王舜天は源為朝の子孫とされています。 舜天以前には国としてまとまったものがありませんでしたので歴史書がないのは当然かと思います。 ただし沢山の島があったことは中国の歴史書に記載されています。 日本でも日本書紀や続日本紀などに記載されています。 参考 沖縄県の歴史 - Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/沖縄県の歴史 抜粋 『日本書紀』では616年(推古天皇24年)に掖玖・夜勾の人30人がやってきて、日本に永住したという記事が見られ、629年(舒明天皇元年)には大和朝廷から掖玖に使として田部連が派遣されたという記載や、657年(斉明天皇3年)に海見嶋なる島名が登場し、677年(天武天皇6年)に多禰島人を饗したとか、679年(天武天皇8年)に朝廷から使を多禰島に遣わしたという記事などが見られる。 また、682年(天武天皇11年)には、朝廷から多禰人・掖玖人・阿麻彌人(奄美人)それぞれに禄を賜るという記事があり 中略 『続日本紀』には、698年(文武天皇2年)に朝廷の命により、務広弐文忌寸博士が南島(なんとう)(原文表記は南嶋)に派遣されたとある。 このときの文忌寸博士の任務は屋久島、種子島、奄美大島の朝貢関係を確認することにあり、699年(文武天皇3年)に多褹・掖玖・菴美・度感など島々から朝廷に来貢があり位階を授けたと記載がある。 南島の献上宝物を伊勢神宮および諸神社に奉納したとの記載もある。また、これ以降、朝廷は種子島に国司を派遣するとともに、久米島や石垣島にも服属を求める使者を派遣している。 >このおおもとのところをあいまいにしているから おおもととはどのようなことでしょうか。 上記しましたように沖縄諸島の歴史についてとりたてて曖昧といわれるような点はないかと思います。 >基地問題などがこじれるという側面もあるのではないでしょうか? 沖縄県の歴史が基地問題に影響するようになったのは第二次世界大戦以降のことです。 現代史として言えば沖縄県の意向よりもアメリカの極東政策とくにヴェトナム戦争が深く関係しています。 参考 沖縄返還 - Wikipedia http://ja.wikipedia.org/wiki/沖縄返還 本土復帰 - Wikipedia ja.wikipedia.org/wiki/本土復帰
お礼
いろいろと関連づけてご意見をしめしてくださいまして ありがとうございました
- yuseikamen
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琉球王国は明の冊封を受けており従属国でしたよ。 明朝の力が衰えたころ薩摩が侵攻して実質薩摩の支配国となりましたが 清朝からは冊封されており2重支配で独立国とは言いにくい立場でした。 朝鮮もずっと歴代の中国皇帝から冊封されており 独立国と認められたのは日清戦争で日本が勝ち 日本の力で独立国と認められるようになったんですよ。 >>このおおもとのところをあいまいにしているから あいまいにはしてないですよ。 ハッキリしています。
お礼
ご見解をお示しくださいましてありがとうございます
- 5050to
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そんな事は大して影響はありません。
お礼
ご意見をよせてくださいましてありがとうございました
お礼
大変興味深いご指摘をありがとうございます これは重要なポイントと思います >周辺国から見ると、明治時代に奪われた領土・領海が多いわけで、その点をマスコミが触れようとしないだけなのです。