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三国志のエンディングってどんな終わり方をしているん

三国志のエンディングってどんな終わり方をしているんですか?

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  • kuzuhan
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回答No.3

現実においての中国の三国時代は、黄巾の乱が起こった184年から晋によって中国統一が行われた280年までを指します。 黄巾の乱によって「漢」による支配力が低下し、魏、呉、蜀のいわゆる「三国」などが群雄割拠し、最終的にはこの三国が中国の統一を争いました。 三国とは漢王朝の正当な後継者とした劉備の蜀、漢の最後の帝・献帝から禅譲を受けた曹丕の魏(ただし、有名な魏王は曹操)、魏から独立した孫権の呉です。 劉備・関羽・張飛といった武将を失い、諸葛亮(孔明)が引っ張っていた蜀は、諸葛亮亡き後に魏に滅ぼされます。劉備の跡を継いだ劉禅が暗愚であり、諸葛亮だけで持っていた蜀に力が残っていなかったと言われています。 次に滅ぶのは魏。諸葛亮が亡くなったあとあたりでは既に曹操や初代皇帝曹丕は亡く、軍や政は司馬一族(司馬懿など)が要職についていました。この頃は皇帝の座についていた曹爽が司馬懿と対立し、司馬懿を表舞台から排除しようとしました。結果として、曹爽は司馬懿や司馬師からクーデターを起こされ権力を掌握し、曹芳を皇帝に立てて傀儡にしました。ここから魏の皇帝は司馬一族の傀儡となりました。魏が漢の霊帝や献帝にしたことを司馬一族にやられたわけです。司馬懿、司馬師亡くなり、司馬師の弟、司馬昭が実権を握ると蜀を滅ぼし、呉の交州を奪い「魏」として最大の領土を手に入れます。 司馬昭が亡くなると、その子の司馬炎が時の魏の皇帝・曹奐に禅譲させ、魏は滅亡し魏の領土はそのまま司馬炎が皇帝となった晋(西晋)のものとなりました。 三国で最後にほろんだのは呉です。 孫権亡き後は、後継者争いや皇帝のための政を優先したために弱体化。陸坑などの有力者が相次いで亡くなると、呉を軍事力・政治力で支えられる人物が無くなり、279年に反乱を起こされ中々鎮圧できない中攻めてきた晋に滅ぼされました。降伏したのが280年です。 これにより、黄巾の乱から始まった群雄割拠時代は司馬氏による晋によって統一され、いわゆる「三国時代」が幕を閉じます。

america2028
質問者

お礼

ありがとうございます

その他の回答 (1)

回答No.2

どの「三国志」ですか? コーエーテクモゲームスでもいくつも出していますし、別の会社でも出しています。 また小説や漫画も「三国志」というものが沢山あります。 ちなみに一般的に言われる「三国志」は「三国志演義」←日本での名称、「三國演義」と呼ばれる中国古典小説です。 また歴史書の「三国志」の事をさすのであれば、「エンディング」は存在しません。 創作物では無いので。

america2028
質問者

お礼

ありがとうございます

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