- ベストアンサー
是枝裕和監督の映画「歩いても歩いても」と「歩き歩き」について
- 是枝裕和監督の映画「歩いても歩いても」について調べています。題名の「歩いても歩いても」のニュアンスや英語訳について知りたいです。
- また、「歩いても歩いても」ではなく「歩き歩き」という題名になっていないのはなぜなのか、その意味についても教えてほしいです。
- 質問文に不自然な表現があるかどうかも教えてほしいです。
- みんなの回答 (3)
- 専門家の回答
質問者が選んだベストアンサー
- ベストアンサー
映画は観ていませんので,この題名をつけた意図はわかりません。だから,日本語として答えます。 「~しても~しても+悲観的内容」という構文があります。たとえば, ・歩いても歩いても+たどりつけない ・食べても食べても+まだ料理が残っている ・泣いてもわめいても+だれも聞いてくれない 映画のタイトルは,故意に「+悲観的内容」を省略しています。たぶん,「効果のない努力を続けている徒労感」を表現した映画なのでしょう。是枝ならそんな映画を撮りそう(笑)。英語の STILL WALKING は,「まだ歩き続けて(努力し続けて)いる」という「前向き」な表現になっていると思います。 畳語の「歩き歩き」は,たぶん中国語の畳語表現とはことなり,「歩き続ける」とはニュアンスがちがいます。「道を歩き歩きソフトクリームを食べる」のように使い,これは「道を歩きながらソフトクリームを食べる」と同じ意味になります。
その他の回答 (2)
No.2の補足。 >道を歩き歩きソフトクリームを食べる 「ソフトクリームを食べ食べ道を歩く」でも,おなじ意味になります。 童謡「せいくらべ」 https://www.youtube.com/watch?v=mrQikJN1Ins には,「ちまき食べ食べ 兄さんが 測ってくれた 背の丈」というフレーズがあります。「ちまき」は,米の粉に砂糖を加えて水で練り,笹の葉で包んで蒸した菓子で,5月5日の端午の節句(いまは祝日「こどもの日」)によく食べます。毎年,家の柱の前に立ち,1年間の身長の伸びを計測・記録したという歌です。 「歩き歩き食べる」と「食べ食べ歩く」は,厳密にはどうちがうのか? ネイティヴのぼくも明確に答えられませんが,畳語になっているほうが「従」で,単独のほうが「主」じゃないでしょうか。つまり,「食べ食べ歩く」は「歩く」ほうに主眼があると思います。 上の童謡では,「背の丈を測り測りちまきを食べる」も文法的には可能です。しかし,主眼が「子供の成長」にありますので,食べるほうが「従」で畳語,測るほうが「主」で単独になります。 自分でも,なんとなくわかったような,わからないような(笑)。
お礼
何度もご親切に教えていただき誠にありがとうございました。いい勉強になりました。
- msMike
- ベストアンサー率20% (364/1805)
歩き続けても(目的地に中々辿り着けない)
お礼
ありがとうございます。とても参考になりました。
お礼
ご親切に回答していただき誠にありがとうございます。大変参考になりました。