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武蔵と戦った佐々木小次郎の流派
武蔵と戦った佐々木小次郎は何流の剣術だったのですか。強さはそれなりに有名だったのでしょうか?
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>武蔵と戦った佐々木小次郎は何流の剣術だったの 他にも回答がありますが、自らは「巌流」と呼んでいた様です。 >強さはそれなりに有名だったのでしょうか? そもそも、佐々木小次郎という人物は「生没・出身地」など全てが不明です。 ※巌流島では、小次郎は死んでいない。小倉藩家老・沼田家記。 佐々木小次郎が名乗った「巌流」も、実は佐々木小次郎ではありません。 同時期に実在した「佐々木巌流という剣客」と、誤って情報が流れたのでしようね。 この佐々木巌流という剣客は、非常に強かった様です。 当時は、情報網は発達していませんよね。 同一人物が二人存在していても、誰も不思議に感じません。^^; ただ、巌流島の戦いで佐々木小次郎が用いた刀は実在します。 備前長船長光。 この刀を自由に用いるには、身長が2メートル近く必要です。 当時の平均身長が150センチ前後ですから、長身で長い刀だと「相手の刀は、小次郎には届かない」ですよね。 相手の刀は届きませんが、小次郎の刀は相手に届きます。 単純に考えると、強かったのでしよう。 そこで、武蔵は「刀を使わなかった」と考える事が出来ます。 小次郎の持つ刀と同じ長さの、木刀でも良かったのです。^^;
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- hekiyu
- ベストアンサー率32% (7193/21843)
自ら編み出した流派で「巖流」といいます。 武蔵と小次郎が、本当に戦ったのかは、 定かでありません。
お礼
なぞが多いんですね
- statecollege
- ベストアンサー率70% (494/702)
佐々木小次郎のWiki(↓)に詳しい説明があるので読んでください。 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BD%90%E3%80%85%E6%9C%A8%E5%B0%8F%E6%AC%A1%E9%83%8E
お礼
ありがとうございます
- meido2010
- ベストアンサー率15% (68/448)
得意としたのは、燕返し(つばめがえし)という剣技です。 背に背負った長刀をいとも容易く抜き、なぎ払った刀を返す刀で切り裂く 凄まじい技です。 武蔵はそれに対抗するため、長刀より長い舟の廻を使って一撃で小次郎を 倒した。と言われています。
お礼
背負った長刀で居合いのようなことをしたのですかね。すごいですね
- あずき なな(@azuki-7)
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小次郎の流派は「岩流(巌流)」です 武蔵と小次郎が戦った船島が「巌流島」と呼ばれるのもそれが由来かも? この時代の剣客だと 伊東一刀斎、小野次郎衛門、宮本武蔵、塚原卜伝などが居ますが 小次郎もその一人に名を連ねるぐらいの強さだったようです ちなみに巌流島の決闘のとき 武蔵は20代 小次郎は60代後半から70歳近かったようです
お礼
そんなに年齢差があったのですね
お礼
長刀の佐々木巌流という剣士はいたのですね。