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教えてください。よろしくお願いします。
宮澤賢治の「オツペルの文章の一部分ですけど そいつが小屋の入口に、ゆっくり顔を出したとき、百姓どもはぎょっとした。なぜぎょっとした? よくきくねえ、何をしだすか知れないじゃないか。かかり合っては大へんだから、どいつもみな、いっしょうけんめい、じぶんの稲を扱いていた。 質問1:なぜぎょっとした? よくきくねえ、何をしだすか知れないじゃないか。 質問2:かかり合っては大へんだから 意味がちょっと分からないのですが知っている方説明してください。よろしくお願いします。
- fenglianyang
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何度もすいません。no1の回答ですが、この作品は第三者に語りかけられているわけではなく、語り手は牛飼いなので牛飼いが牛に向かって語りかけています。最後に「おや川へ入っちゃいけないったら」のような文がありますが、(川へ入ろうとした牛に)牛への普通のよびかけを行うことによってによって現実に引き戻すといった「おしまいおしまい」のような役割があります。
その他の回答 (4)
象はちなみに、人間の世界が珍しくお祭りのような感覚でやってきてました。 みんながびびっているのに、オツベルだけが冷静に判断し、利用してやろうと巧みに試みたわけです。
お礼
has-eさん 早い回答ありがとうございました。
質問1:なんでそこに象が来たのか分からなくてとまどっている。象はとても大きいので暴れられたり稲を踏みつぶされたりする可能性もある。 質問2:↑の可能性もあるのでかかわりたくない。
お礼
ご説明を聞いてわかりました。たいへんありがとうございました。役に立ちましたよ。
- agboy
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#1です。 <象はなにをしに来たのか分からないじゃないか。 では、象が何か明確な理由をもってやってきたように感じます。 『象が、これから何をしようとしているか分からないじゃないか。』という意味であると思いますが。
お礼
たいへんありがとうございました。参考になりました。
- agboy
- ベストアンサー率29% (93/317)
国語の教科書に載っていたものです。懐かしいですね。 1について この物語は、語り手が架空の第三者に語りかける形式で進行しています。ですから架空の第三者が、なぜぎょっとした?と語り手に質問をしたものです。 2について 象が出てくる場面だと思いますが、象と目が合って建物の入って来られたら困るから、と言う事でしょうか。
補足
早くご回答ありがとうございます。また続けて教えていただきたいと思いますけど。 「何をしだすか知れないじゃないか。」 うえのセンテンスの意味はこういう意味ですか。象はなにをしに来たのか分からないじゃないか。 よろしくおねがいいたします。
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