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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:仏教の出典について)

仏教の出典について

stmimの回答

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  • stmim
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回答No.3

地蔵菩薩に関する解説としては、それがよく出てきますね。 その文章そのものがどこが出典かはわかりません。 弥勒菩薩が56億7千万年後に出現すること自体は「弥勒下生成仏経」にあるそうです。 基本的に如来は仏陀の別称です(もしくは仏陀と同等の方です)。菩薩は仏になる途中の修行者です。 弥勒菩薩は現在は六道の天部にて修行中です。それが終わるのが56億7千万年です。そして出現した時には弥勒如来と呼ばれることになるのでしょう。ただ、現在は修行中ですから、弥勒菩薩と呼ばれています。

amenhotep2000
質問者

お礼

stmimさん こんにちは。 経典の名前を出してくれたので、ベストアンサー候補にします。 後、少し開けておきます。 No.1 のyamahamuさんへのお礼も見てください。 しかし、先にstmimさんへ回答しましたが、この世だけでなく、あの世でも修行ですか。 真理への道は長いです。 ちなみに「神仏習合」ということを調べていたら、日本古来のイザナミやイザナミの神々も、 「自分は神として煩悩に苦しんでいるので仏に帰依したい」 と言って、神社の境内に「神宮寺」というものが造られたそうです。 無論、明治維新になって、廃仏毀釈により壊されましたが、日本という国は海外の文化を取り入れ、独自なものとして融合して文化を作ることに長けた民族と思いませんか? 回答ありがとうございました。

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