• ベストアンサー

金の当時の価値

・日本の江戸時代当時、小判1枚で何が買えたでしょうか?慎ましい生活を送れば一生暮らせるほど?時代によって純度や重さ、物価など変わると思いますが一例を挙げて回答お願いします ・同年代の欧州中世当時、金貨1枚で何が買えたでしょうか?慎ましい生活を送れば一生暮らせるほど?国や時代によって純度や重さ、物価など変わると思いますが一例を挙げて回答お願いします

noname#221844
noname#221844

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
  • citytombi
  • ベストアンサー率19% (1721/8628)
回答No.1

当時の小判1両は、およそ4000文です。 1文は16.5円で、そばやうどん1杯は16文(264円)です。 詳細・・・ http://www.teiocollection.com/kakaku.htm

noname#221844
質問者

お礼

意外と物価は変わらずというかちょっと高いかな、小判一枚じゃ当時でも一生どころか一か月もしのげない程度なんですね 回答ありがとうございました

関連するQ&A

  • 大判小判って

    勉強している本に「出るわ、出るわ、大判小判ざっくざっく」という文がありますが、「大判小判」は江戸時代の金貨と辞書で説明していますが、読み方は何ですか?教えてください。よろしくお願いします。

  • 江戸期

    江戸時代の秤量貨幣(銀貨:丁銀や豆板銀)は,なぜ,金貨である小判のように整った形をしていないのでしょうか。 教えてください。

  • 大判、小判の流通と、ヨーロッパの通貨について

    江戸時代の日本では、金貨の小判が流通しました。 しかし、実態がもうひとつわかりません。 実際の流通はどういったレベルでしょうか。 たとえば、仮に現在、百万円札や十万円札が発行されても実際は金庫の中に眠ってしまうでしょう。 質問1.当時の大判、小判は現代で言うとどういったレベルでしょうか。レベルとは、購買力換算ではありません。気持の上、実際の流通のレベルです。たとえば、百万円札のようなものか、十万円あるいは一万円のようなものかです。使用頻度、需給関係などの点での比較です。 質問2.この頃、ヨーロッパの国々では、通貨はどういったものが流通していたのでしょうか。金貨ですか、銀貨ですか、それとも紙幣ですか。あるいは、通貨はあまり流通していなかったのでしょうか。 以上、いろいろな角度からの回答でかまいません。よろしくお願いします。

  • 江戸幕府の改鋳によるインフレと金の流出対策について

    当時 江戸時代の日本の金は安く、大量に海外に金が出て行ったらしく それを食い止めるための『海外に出て行く金を減らす』 というのが目的で、幕府は金貨の質を大幅に下げた(改鋳)とテキストに書いてあるのですが、今ひとつ腑に落ちません。 ・『金貨に含まれる金の量を半分にすると、その金で買えるものも、元の半値分になる』とも書いてあります。 これは『額面』ではなく『金貨』自体に価値がある構造になっていて、現代の貨幣制度とは異なっているということでしょうか。 金貨の価値が下がると物価が高騰するということは分かっていますが、海外に出て行く金の量を減らすことと直接に繋がるのはよく分かりません。 金貨に含まれる金の量を減らす→金貨の価値が金を減らした分だけ相応に下がる→海外に出て行く金貨1枚あたりの金の量は減っているが、それに応じて積む枚数も増えるので 結局は同じ金の分だけ出て行く 外国人が日本の商品を買いまくる→日本では品不足で物の供給が減るので物の値段が高くなる→改鋳して更に物の値が高くなる(だけ) こういうことではないのでしょうか。 すでに海外の貿易商人に日本の改鋳する前の金貨が大量に回った後に改鋳をし、外国商人から日本の商品と引き換えに、改鋳前の金貨を大量(枚数的に)に通貨としてもらうということも考えてみましたが 良質な金貨の回収はできますが結局は無意味ですし・・ これはそもそも改鋳前の金貨・改鋳後の金貨を区別して使っていたかによりますかね? もし区別せずに、「金貨一枚の価値は~円分です」。ということにすれば、海外商人に回った良質な金貨を大量に回収して、それに含まれる金を 抽出・再利用..などで金不足を図れそうですが。。 金貨に含まれる金の量を減らし、かつその金貨の価値を減らさない限りに、金が流出する絶対数は減らないと思うのです。 腑に落ちないので、詳しい方はぜひ回答をお願いします。

  • ソブリン金貨とポンド価値

    第2次大戦前後を舞台にした小説を書いています。当時の物価等についてお聞きします。 いきなりですが大英帝国で発行されていた(いまもしているようですが)ソブリン金貨というものがありますよね。(片面に当代のイギリス王の肖像が刻まれているアレです。コイン収集家でなくてもそこそこ御馴染みな方は多いでしょう) これは1枚あたり価値1ポンドのようなんですが、第2次大戦末期の段階で1ポンドって今日的にどの程度だったんでしょう。 ヴィクトリア時代の物価については資料が多くて、大体1ポンド=今日の5万円前後って資料があるんですが、それから半世紀後、すでに国際的信用度をドルに奪われて久しい時代のポンドについては世間の関心も薄いのか、資料が見当たりません。  よろしくおねがいいたします。

  • 江戸時代の刀の値段について教えてください。

    江戸時代の刀、つば、よろいの平均的なお値段について教えてださい。あと、それは武士たちがどのような形で支払ったか、お米であるとか金貨であるとか。というのも知りたいです。武士のお給料はその当時どれくらいでお金で支払われたのでしょうか?長い質問ですが教えていただけますか?宜しくお願いします。

  • 江戸時代、なぜ大坂は銀本位制だった?

     つい先ほどまでは何も考えずに江戸時代、江戸の経済は金本位制 大坂の経済は銀本位制と頭に入れていました。  でも疑問が湧きました。  当時、大坂は日本一の経済都市です。世界に先駆けて信用取引や 先物取引を始めた所。とすると江戸よりも商取引の規模も大きく自然、 銀よりも価値の高い金を貨幣の中心にしようと動きがなかったのでしょう? 先ほどテレビ番組の「銀二貫」で主人公たちが二貫の銀を重そうに持って いる。もし金貨(大判・小判)なら少ない量で同じ価値を表したはずですよね (すみません計算が苦手で)。  経済規模が大きくなるほど価値の高い金属を貨幣としついに 金属を離れた信用で紙幣が、さらにPCなどの電子信号で取引 されるのが流れのはず。  と書きながらふと仮説が浮かびました。  江戸は将軍と大名中心の都市、ですからお金のやりとりは 今で言う政府の公的な財源なので動く高も大きくまた立派な 金貨(大判・小判)を必要とした。もちろん庶民にとっては滅多に 拝めないお金に違いないけれど。対して大坂は公的な存在はほぼ 皆無でお金のやりとりは日常の商取引でお金のやりとりは銀貨の 方が使いやすかった。のではないか?  長くなってすみません。この件についてどなたかご教示くだされば 感謝です。もちろん僕のような勝手な私見をのべていただくのも 大歓迎です。宜しくお願いします。

  • 古い硬化・紙幣はどこで鑑定すべき?

    実家のタンスから、いろいろな昔のお金が出てきました。 昔といっても、江戸時代の小判とかではなく、 板垣退助の100円札や、1902年の米20ドル金貨、 岩倉具視の古い500円札、記念硬貨などです。 (ちなみに、お札はどれも新札です) 恐らく、どれも希少価値のあるものはないと思うのですが、 鑑定をしてもらうとすれば、どこに依頼すればいいのでしょうか? 骨董屋?銀行? 良いアドバイスがありましたら、教えて下さい。 よろしくお願いいたします。

  • 中華、イスラム、インドなどどこが先進だった?

    欧米の飛躍の前っておもに3つくらいの文明圏があったと思いますが、中世までそれぞれの時代にどこが一番先進地域だったんでしょうか? イスラムと面していた欧州って昔から戦争ばっかりしてたから戦争は強かったのでしょうか? ギリシャなど科学は発達してたと思いますが。 それはやはり土地がよくないから、上の3つの文明圏に比べて当時は遅れてたのでしょうか?

  • 江戸時代の生活様式について

    今、私的理由から江戸時代について調べています。 そこで、疑問に思ったのですが、江戸末期の生活様式や社会は一体どんな感じだったのでしょうか? 江戸時代はとても長く、一時期の生活様式(中期くらいでしょうか?)しかわかりませんでした。 さらに、どうやら江戸と上方では生活様式が違ったそうなので、私は本当にごく一部の、簡単なことしかわかりません。 当時の人々がどのような生活をしていたのか、よろしければ教えてください。