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挑戦状はなぜ叩きつけるのか?
- NHKテレビで囲碁棋士に挑戦状が叩きつけられるという情報があります。挑戦状という言葉は叩きつける印象を与えますが、その表現には無礼さや褒められた言い方ではないという意見もあります。
- 挑戦状は上位の者に対して下位の者が行う行為です。相撲で例えるなら、平幕力士が大関横綱に対して使う言葉と言えるでしょう。
- 挑戦状が叩きつけられるという表現は過激であり、また何か昔の逸話に由来するのではないかという可能性も考えられます。その逸話については詳細が不明ですが、別の由来があるかもしれません。
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これは西洋の決闘の儀式からきた表現です。 ですから、日本人だけが鎖国して文化をつくっていた時代にはない表現です。 その時代の日本のなんとか状の一番強烈なのは斬奸状というのがあります。 これは叩きつけるのではなく、理由書です。 仮に江戸詰めの家老が私服を肥やしていたとします。それが藩内で若手が発見したとする。 この話を殿さまに報告したりしようとすると非常に面倒なことになります。 でも幕府に知られたらお家とりつぶしになってしまいます。 で、若手の侍たちがたくんで家老の城から出てくるのを待ちうけ、いきなり斬りつけ、即死させる。 当然役人が跳んできますし、手に縄がかけられます。 このとき懐に忍ばせておくのが斬奸状です。 これを見た役人が、ああこれはもっともだ、お家のためにやむなくやったことか、書類作成を穏便にしよう、表に出したらお家おとりつぶしになって気の毒だから、と動いてくれるのを期待して持っているのです。 斬りつけるときには「天誅」なんて叫んだかもしれませんが、そんなのは誰も聞いちゃいません。聞いていた人間はいま死んでいるわけです。 強烈な響きで聴こえますけど、「斬奸状」というのはそういうものです。 挑戦状というのはそういうモノではありません。 西洋で、騎士同士が個人的に争うときの話です。 騎士の甲冑を着て私闘をするのは厳禁です。騎士のかっこうは王様の軍隊だからです。 だけど、誇りのある同士の果し合いですから、様式が必要です。普段着でやるわけには行きません。宣戦布告をするときにはちゃんとした装備であるのが礼儀です。 で、何をしたかというと、自分のつけていた手袋を外し、それを相手の方向の地べたにたたきつけることで、宣戦布告をしたのです。 この手袋を拾ったら、その決闘は受けたという意味になる、そういう様式です。 叩きつける、というのはここから来ています。 フランス革命で共和制になったとき、国王の軍隊の人間同士の喧嘩というのがなくなりました。 当然軍服として革手袋をして歩くようなことはしなくなった。 そこで、気に入らない相手と決闘をしたいとき、何月何日にどこで命のやりとりをしようじゃないか、ということを書いて、手袋よろしく相手の前にたたきつけるという習慣ができたのです。 これが決闘状とか挑戦状というものです。 この習慣を、いまでも、相手と雌雄を決するという試合時に、挑戦状をたたきつけるという表現で使うわけです。 なお、いまフランス革命といいましたが、実際にはそれより前に挑戦状のやりとりの習慣はちらほら発生していました。 おそらく、文章を書くことの意義が大きくなっていったのだと思われます。ルイ14世ぐらいのときです。 あの「三銃士」と言うなかで語られていたのを思い出しませんか。 あれは設定はルイ13世のころで少々古いけど、挑戦状みたいなものが家に投げ込まれていました。
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- copemaru
- ベストアンサー率29% (895/2998)
>挑戦状はなぜ叩きつけるのか? かつて決闘を申し込む時の作法として相手の足もとに白手袋を投げつける,というものがありました。白手袋は挑戦状を意味しています。
- msMike
- ベストアンサー率20% (364/1804)
挑戦状の目的は所謂喧嘩です。 「喧嘩」は「あまり褒められた」ものではありません。 だから、「あまり褒められた言い方とも思え」ない言い方が相応しいと、私は思ひます。
- Nebusoku3
- ベストアンサー率38% (1468/3833)
~状 とつくものは殆どが感情が高揚しているときのものです。 挑戦状、果し状、離縁状、辞職願い(これは少し違うかも)、公開質問状など 実際はこれらの書類を相手に対して叩きつけていなくても、本来の気持の表現(叩きつけた場合も過去には多かったかもしれません)を踏襲して 「送り付けた場合」 も 「叩きつけた」 という表現になります。 (慣用句として使用されていると思います)