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江戸時代の徒渡し(徒渉河川)について!

今江戸時代のレポートを書いているのですが、徒渉河川の謎にハマッたまま抜け切れません・・・(笑;) 月曜日までの宿題なのですが、なぜわざわざ危険を冒してまで橋を作らずに人手で向こう岸まで運んでいたのか御存知の方いらっしゃいましたら御解答願います! あと、菱垣廻船樽廻船のお話でなぜ江戸と大阪間に定期便が必要だったのかという問題についても御答え頂ければ光栄です。

質問者が選んだベストアンサー

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  • SCNK
  • ベストアンサー率18% (514/2762)
回答No.4

よく言われているのが大井川ですが、これは軍事上の理由でしょう。江戸幕府に敵対する大名の足を止めるためです。 問題はそれ以外の河川ですね。ここからは私の推論ですので自信はありません。 日本の河川は短く急ですので、水量の変化が多い上に、流れてくるのは泥ではなく、石や岩です。普段は水深が一般的に浅くなり、渡渉可能な地点が多いわけです。しかし一旦、上流などに大雨が降ると急激に水量がまし、土石が流れてきます。そうすると橋の橋脚が破壊されてしまいます。それに川底は岩石の場合が多く橋脚を立てるのも難しいでしょう。反対に大陸の河川では水深も深く、底質も泥でしょうから渡河は橋か船になりますね。 もちろん橋脚の必要ない橋の形式もありますが、アーチ橋では両岸が固い地盤でなくては長い時間の内にアーチが扁平して崩れてしまいます。同じく吊橋でも綱の張力に耐える柱を立てるためには深い杭を打たねばなりません。山間部なら作れても沖積平野などでは地盤が弱く難しいでしょう。何しろ日本の場合、山地と沖積平野ばかりで硬い地盤で、流れがなだらかなところは少ないですからね。 ちなみに関東平野とか北海道の平野などでは渡し船が昭和時代まで結構みられました。 日本の陸上交通は牛車とか大八車などがあるにはありましたが、一般的には徒歩や馬による駄載が多かったようです。車輪ですと橋の必要性は高いでしょうけども、徒歩などではそもそもあまり必要なかったと思われます。だいたい山勝ちな地形では車両の移動は容易ではなかったのでしょう。 そういえば西洋では古くから大砲が戦闘において高い頻度で使用されました。その理由の一つは車輪による機動が容易だったからです。日本で車載の大砲は幕末まで見られませんでしたが、人が抱える大筒でなければ戦場を動けなかったのでしょう。これは橋がなかったことも原因の一つかもしれません。逆にいえば橋をかけてしまえば西洋式の大口径の大砲も運用できるようになるわけです。西洋の事情はオランダ等を通じて江戸幕府も知っていますから、このような大砲が運用し易くなることを警戒したのかもしれません。確かに大井川を小銃をもった兵隊が徒歩で渡河するのは容易であまり障壁になりません。しかし大口径の車載砲や兵糧をのせた大八車は簡単には渡れません。

kiyo1059
質問者

お礼

長く御解答頂き有難う御座いました! 大井川ですハイ!(笑) まさにその大井川です! 軍事上の理由、ですか・・・。 どうも有難うございました!

その他の回答 (3)

  • nebel
  • ベストアンサー率37% (117/308)
回答No.3

全部に当てはまるわけではないと思いますが、 知っている一例ってことで。 徒渉河川ですが、橋は現代のようにたくさんかかっていたわけではないです。 橋をかけるのは#1の方がおっしゃるように当時では非常に危険だったり、資金の問題もあるし。 徒渡しは、歩いてわたれるような河川であるが、濡れると旅に影響しますよね? また、女性の方などは着物ですし。 なので、可能な限り濡れないようにってのもあります。 橋は、現代では国や自治体が税金で作ってますが、当時は必ずしもそうではないですし、人力でつくるので、現代のように簡単でも安全でもなかったから。 江戸と大阪(京都)は当時の日本の中心地域であり、 人や物の往来が激しいので、定期便が必要だったのだとおもいます。 陸路だと、多くが徒歩・籠になるわけで、海路よりも日数がかかりますし。 また、トラックなんてないですから、荷物を大量に運ぶとか、重量があるとか大きい荷物を運ぶなら、船の方が楽ですし。 大阪は江戸時代では、商業の中心地であったので、特に荷物を運ぶ目的は大きいでしょうね。

kiyo1059
質問者

お礼

確かに船の方が楽ですよね! ありがとうございました!

noname#113260
noname#113260
回答No.2

橋をかけなかったのは主に軍事的な目的で、万一のとき川で敵を止めると言う、政策的な理由です。 その為、大井川などでは橋の建設を禁じておりました。 菱垣廻船樽廻船に関しては、当時は上方(関西)が酒等の生産地で、江戸が消費地でした。 その為、重量のある酒などを安全に運ぶために航路が開設されました。

参考URL:
http://www.mikan.gr.jp/report/meiji/page6-3.html
kiyo1059
質問者

お礼

あぁそういう事なんですか! 理解できました! 参考URLまでご丁寧にどうも有難うございました!

noname#7200
noname#7200
回答No.1

当時の技術では橋を架けるより徒渡しの方が簡単で確実だったと思います。 増水などでは徒渡しも止まりますが,もし橋が架かっていたらば流されていたでしょう。

kiyo1059
質問者

お礼

早速御答え有難うございます! う~んでも橋は他の川では架かっていたとのお話なんですが・・・。大井川限定なんでしょうか?? とにかく御解答有難うございましたッ!!

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