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なぜアジア人はアメリカ大陸を開拓できなかったのか
14世紀 中国の鄭和は大船団を率いてアフリカ東岸まで到達したと聞きました。 これはヨーロッパの大航海時代に先んじた偉業だと思います。 それなのになぜ中国、日本、などアジアの文明国は アメリカ大陸西岸などを植民開拓することができなかったのでしょうか? アジアがヨーロッパに後れを取ってしまったのは、 そのあたりにも原因があるのでは?と思ったからです。 ちなみにネイティブアメリカンの祖先はアジアから数万年前に渡った人々ですが、 その件は今回は無関係とします。
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日本はさておき、中国といいますか東アジアの人々にとっては必要性がなかったということです。 経済基盤が農耕や牧畜ですので、地続きで広いユーラシア大陸がありますから、わざわざ船を仕立てて海に乗りだす必要がありませんでした。 地上の勢力圏をどんどん広げて行けば良いだけです。 結果として、モンゴルすなわち元は世界史上最大の版図を持った帝国となりました。 遠く離れたアメリカ大陸なぞ必要がなかったということです。 つまり、できなかったのではなく、やらなかっただけです。 二十世紀になって島嶼国である日本がやろうとして袋叩きになり、現在中国共産党政府がやろうとしています。 現在の中国の覇権の拡大方法は経済植民地化と言われています。 ヨーロッパが大航海時代を始めたのも豊かなインドを目指したものでした。 現在の教科書の世界史はユーロッパ中心史ですので、ローマを初めとしてあたかもヨーロッパが有史以来先進国のような印象を受けますが、実際には大航海時代以前は後進国であり新興国でした。 ヨーロッパとインドの間には宗教を異にするオスマントルコが頑張っていました。 インドをはじめとする豊かな東南アジアの産物、特に香辛料を手に入れるにはオスマントルコを経由せざるを得ませんでした。 ヨーロッパ側ではローマの流れをくむベニスなどのイタリアの商人が独占していました。 この事態をなんとかしようとしたのが、当時のヨーロッパでは新興国であったポルトガルのエンリケ王子でした。 アフリカ大陸を迂回して直接インドと取引することを目論みました。 当時、ヨーロッパの船乗り達は、赤道よりも先は海が奈落の底に落ちこんでいると考えていました。 これを打破したのがエンリケ王子です。 当時すでにイスラムの人々はインド洋を自由に航海していました。 航海術はイスラムの人達の方が発達していました。 アフリカ大陸沿岸を一周したのはエジプト人が初めと言われています。 そもそもコロンブスが出航したのも黄金の国ジパングを目指したものでした。 当時の航海術では、南北の位置は北極星の目視高度でほぼ正確に分かりましたが東西が分かりません。 出航時を基点として時計で経過時間を測り推測していました。 ジパングを目指すには、まず大西洋を南下してジパングがあるとされる緯度に達したら西に舳先を向けて真っすぐ進みました。 結果としてカリブ海のサン・サルバドール島に行き当たりました。 その後他の航海士達がインドを目指した結果ブラジル海岸に行き当たりました。 アメリゴがいろいろ測量してどうも広い陸地があるようだということになったのがアメリカ大陸発見の経緯です。 肝心のコロンブスはその後も何度もカリブ海を目指していますが、大陸なぞに目もくれずにジパング探しに終始していました。 コロンブスが発見したとされているのにアメリゴの名前をとってアメリカと言われるのはこの為です。 植民地時代以降にヨーロッパが優勢になりアジアが遅れを取ったことと、どちらが先に新大陸に到達したか、ということとは無関係です。 多数の王朝や民族がひしめき合っているユーロッパで更に豊かになるのはヨーロッパの外へ出る以外に方法がありません。 陸地を東へ進むには強大なオスマン帝国と戦火を交える必要があります。 残るのはエンリケ王子が開いた航路を辿ってインド洋を東へ進むことになります。 この航路の覇権争いが大航海時代です。 航路の先々の国と交易をするよりも、支配下に置いた方が利益効率が良かっただけのことです。 キリスト教を世界に広めるという使命感を持った宣教師なる集団がいたことがこれに拍車をかけました。 唯一絶対なる神を奉じるキリスト教徒はこの神(ヤハウエ)信じない異教徒は信じ込ませるか抹殺することが神の意志に従うものだという信念を持っています。 現在も抜けきっていません。 おなじ唯一絶対なる神をアラーと呼ぶ人々と未だに真っ向正面からぶつかり合っています。 「アジアがヨーロッパに後れを取ってしまった」と受け取られておられるのは現在の経済的な繁栄を基準としてのお考えではありませんでしょうか。 これを歴史的な視点で考えるのであれば、ルネサンスに続く産業革命でヨーロッパの人々が機械で物を生産する技術を発達させたことが直接の原因かと思います。 この機械生産に必要な大量の資源を獲得するための手法として植民地化という手法がとられ、それを支える運搬移動手段が発達した時代を指して大航海時代としているだけです。 ご質問の趣旨は手段と原因を混同されておられるのではないのかと思います。 経済力、軍事力、政治力の三つは相関関係で成り立っていますので止むを得ないかとは思います。
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- あずき なな(@azuki-7)
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ありがとうございます 確かに信長があのまま生きていたら日本の近代化は200年早まったと言われるので 18世紀ぐらいには新大陸を見つけたかもしれません
- hekiyu
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西洋人が海外に雄飛し、米国大陸を発見? したのは宗教改革が原因です。 ルターの宗教改革は御存じだと思いますが、 あれで信者を減らしたカトリックが、国家と組んで 信者獲得のために、海外に出掛けたのです。 だから、欧米以外の国のキリスト教はほとんどが カトリックです。 戦国時代に来日したイエズス会もカトリックでした。 つまり、西洋が米国を発見? 出来たのは偶然であり アジアではその偶然が無かった、ということ だと思われます。 14世紀 中国の鄭和は大船団を率いてアフリカ東岸まで到達したと聞きました ↑ 鄭和の航海はコロンブスと違って、非常に平和的な ものでした。 武力などほとんど使いません。 朝貢を約束すれば、それで目的達成です。 武力を使って植民地にしてしまう、というのは 狩猟民族である西洋人だからかもしれません。
お礼
ご回答ありがとうございました。 偶然と言えば偶然ですが、ヨーロッパの歴史は教会や各地の王侯がそれぞれの立場・信条で動いていたので面白いです。 中国や日本の歴史は、戦国時代などの混乱期を除き概ね全国が統一されていましたね。 鄭和の航海が平和的だったのは知っておりましたが、 コロンブスの航海が虐殺も伴うものとは知りませんでした。 ご教示頂きありがとうございました。
- あずき なな(@azuki-7)
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そりゃ無理ですぜ旦那w アジアで最初に地球が丸いと知ったのは織田信長です そして当時のアジアの地理感では 日本の西に朝鮮半島があり その奥に唐天竺がある 程度の地理知識しかなかったのです 伊達政宗なんかは仙台の海を見て「この海の向こうに天竺があるのじゃ!」(そっちはアメリカ大陸がありますがw)ってなレベルの知識ですから そもそもアメリカ大陸の存在なんて知らないでしょう
お礼
ご回答ありがとうございました。 戦国時代(西暦1600年より前)に、信長は地球が丸いと知っていたのなら、 白人の西部開拓(1800年ごろ)まで100年以上時間は残されていました。 その間に日本人もアメリカ西岸に入植していれば、 アメリカの西半分くらいは日本人が取れていたのでは?と妄想しました。 まあ仮にそんなことができていたとしても、 入植したアジア人が軍事技術で後れを取れば、米西戦争のスペインのように難癖を付けられて征服されたと思いますね。
- eroero4649
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「できなかった」のではなく、「しなかった」のです。どうもその、中国人というのは海が苦手というか、海の向こうに基本的に興味がないみたいなのです。 質問者さんのご指摘する鄭和ですが、実は彼に関する資料というのがほとんど失われているんです。理由はよく分からないのですが、鄭和の業績が中国の正史からも意図的に削除されているのです。政敵によって消されたともいわれますが、仮にそうだとしてももうちょっと資料はどこかに残されているのですが、鄭和の資料がほとんど残っていない。 だから、鄭和研究と再評価というのは主に西洋によって行われました。それは今でもそうです。欧米の研究者が鄭和の業績を研究しようにも、肝心の中国人が今も鄭和への興味をほとんど示さないそうです。「世界で最初に南米に行ったのが中国人かもしれないんだ。ふーん。で?」ってなものなんだそうです。 あとね、ヨーロッパ人が外国に植民地を求めたのは、むしろヨーロッパが貧しかったというのがあると思うんですよ。イギリスなんかさ、寒々しい光景が広がるばかりで、ゴルフの全英オープンなんか見ててもそうですが開催されるのは夏なのに上着が必要なほど寒くなって「一日の中に四季がある」なんていわれるほどだし、おまけにメシもマズい。そりゃ外国にも出ていきたくなるわなと思いますね。
お礼
ご回答ありがとうございました。 確かに。ヨーロッパは寒くて貧しい土地だと思いますね。 新大陸からジャガイモが伝来する前は、ドイツやロシア、北欧の人々はよく生き延びられたと思います。 鄭和が中国では歴史が残っていないというのは驚きです。 本を読んでみようと思います。
- okhenta
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共栄の日本と 海賊強奪奴隷の西洋人 西洋方式だから簡単に出来た
お礼
ご回答ありがとうございました。 日本が先の大戦前に大東亜共栄圏を作り勢力拡大をしようと試みましたが、 2、300年は遅く、完全に手遅れだったと思います。 西洋は確かに海賊もいましたが、 アメリカ人の祖先は大多数が普通の農民だったと思います。
- jkpawapuro
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基本的に人が住むのに優れているのは中緯度地域です。 緯度が20~40度のあたりです。夏の日照時間が長く穀物の生産に優れた気候です。 こういった地域に文明は起き人口も多いです。 中国・日本はこの環境的に恵まれた地域にいるので、あまり離れようとしません。 江戸時代末期ヨーロッパの国々は北海道をほしがりましたが、日本人には米の育たぬ価値の低い土地にみえてしまいます。 逆にヨーロッパは緯度が高く穀物生産に向きません。こんなところにすんでいたらよりよい土地を求め民族は移動したがります。ですが南下しようにも宿敵のイスラム教徒が自分らの南側にいます。東は海流からはなれもっと厳しい土地です。その結果移動していった先がアメリカ大陸ということではないでしょうか?
お礼
ご回答ありがとうございました。 確かに! 目の前の蝦夷地にも入植しなかった日本人が、遠いアメリカ大陸に入植しようと思うはずがありませんね。 ヨーロッパ人が北海道を欲しがったというのは初めて知りました。 ご教示頂きありがとうございます。 今考えましたが、アジアの主食は米で、米は単位面積当たりに養える人口は多いですが、寒さや乾燥に弱いという弱点がありますね。 その一方、ヨーロッパでは小麦が主食で、養える人口は少ないが、寒さや乾燥に耐えられる利点があります。 そのような主食の耐候性の差も、文明が拡大するかどうかに大きく影響しそうですね。
- weavaest
- ベストアンサー率15% (157/1020)
ヨーロッパ人も偶然見つけただけですから、アジア人は偶然が無かっただけではないでしょうか。
お礼
ご回答ありがとうございました。 アジア人は数万年前はアラスカ経由でアメリカへ偶然移住できたのに、近世ではその偶然が再び巡って来なかったのでしょう。
- hahaha86
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太平洋があるから 地球は丸かったとは考えられていない 時代太平洋横断はさすがに無理だったのでしょう 大西洋はギリセーフだった アラスカ経由はさすがに寒くてきつい
- chiha2525_
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こと鄭和に関しては、彼らを送り出すころまではまだ外を向いていた皇帝が、帰ってきたときには内向きの海禁政策(鎖国)に転じてたため、とか『1421』に書かれてたように思います。 でも実際、アメリカ大陸に到達していたかというと、かぎりなくウソっぽいです。バイキングやら、エジプト文明の伝達(ピラミッドとか)があったのは確かでしょうが。(そういえば縄文土器も) オーストラリアのほうには行ってます。というか5万年前から行き来できているので、普通に到達できたはずです。 徐福(徐市)は伝説として名高いですが、アメリカ大陸まで行けたかというと、おそらく無いと思います。そこまで行く必要も無く、日本海北岸(ウラジオストックとか)にでも定住したのではないかと思います。日本の徐福伝説は、中国に残る記録と比べて、いろいろと違いがありすぎて信憑性に欠けるので、どれも本当だとは思えないところが残念です。
- tiltilmitil
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単純に、遠かった。中国からアフリカ方面といっても、陸地が見える範囲を航海できるし上陸して補給も出来る。しかし太平洋横断はそうはいかない。島しかないような海を渡るのは技術的にも精神的にもきつい。しかもその先に大陸があるかどうかさえわからない。
お礼
ご回答ありがとうございました。 アジア人に太平洋横断が難しかったのと同様に、 ヨーロッパ人の大西洋横断も難しかったかと思います。 その上、15世紀頃までは中国の方が西洋より科学技術も国力も優勢でした。 それだけのチャンスがありながら、ヨーロッパに先んじられてしまったことが本当に残念でなりません。
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お礼
詳細なご回答ありがとうございます。 確かに。中国にとっては、ヨーロッパに対するオスマントルコのような、陸上の障壁(せいぜい北方騎馬民族?)がなかったせいで、海の向こうへは意識が向かなかったのかもしれませんね。 当時の航海の方法も、星の見方も興味深かったです。 ただし、 「アジアがヨーロッパに後れを取ってしまった」と受け取られておられるのは現在の経済的な繁栄を基準としてのお考えではありませんでしょうか。 この点ですが、お言葉を返すようで恐縮ですが、 現在の欧米諸国の政治、経済、軍事の優位の原因は、 1.スペイン・ポルトガルの新大陸の植民地化 2.それに触発されイギリスも海外植民地の獲得に乗り出した 3.植民地インドから大量の綿花がもたらされ、英国の工業化が進んだ 4.英国に触発され、ドイツ、フランス、アメリカ等も工業化が進んだ と考えられます。 皆さまから頂いた回答のおかげで考えがまとまりました、 ありがとうございました。