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モンゴル帝国の内部対立
アメリカの国内で人種問題があったり世界中で宗教の対立が起こっていますが、モンゴル帝国内でそれらの問題をどのように抑えていたのわかる人がいれば教えてください。
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- eroero4649
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モンゴル帝国っつうのは基本的にチンギスハンファミリーによる家族支配ですから、人種的対立はないです。モンゴル族という「支配する民族」とその下にある「支配される民族」に分かれるだけの話です。んで、支配される民族はモンゴル族に従うか、反乱を起こして負けたら体の穴という穴に融けた金属を流し込まれるような処刑をされるかのどちらかでした。 最初のうちは家族の中で上手くやっていけましたが、時代が下るにつれて段々それぞれの家族はそれぞれに疎遠になっていきましたので、そこは比較的平和裏に分家されて各地で独立していったという感じですね。それぞれの分家はどちらかというとその支配地域に帰化していったという感じです。 そもそも「民族自治(それぞれの民族は、独立した自分たちの国を持つべきだ)」という考え方そのものが19世紀くらいになってから出てきた思想なんです。それまでは複数の民族でひとつの国家を形成していることはフツーというか当たり前のことだったんですね。 企業は零細や中小であるより、大企業になったほうが安定して一般的に待遇も良くなります。国家も同じで、大国になると安定するのです、イロイロと。だからモンゴル帝国があんなに短期間で大帝国になったのは、チンギスハンの軍事的才能だけではなくて、シルクロード商人たちがシルクロードにまたがる大帝国があると国境を超えるたびにいちいち税金を取られなくていいよねという支持があったからなんですよ。今のEUみたいなことだったのです。
- fujic-1990
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ハッキリ読んだと言えるのは、陳舜臣さんの「耶律楚材」くらいだと思うのですが、アチコチで読み散らかした本から得た知識を総合すると、チンギスハンは、近い民族・仲の良い民族ごとに攻撃先を分けていたんじゃなかったかなぁと思います。 「○○方面軍」的な分団長が、配下の民族群をベースに4つのハン国(元を入れると5国)に分裂したんだったと思います。 宗教的な対立は記憶にありませんが、まあ、概して1つの民族1つの宗教で、攻撃先を分けたことで自動的に宗教問題も表に出なかった可能性は高いと思います。 多少対立はあっても、モンゴル帝国のような常時戦争をしている国家の場合、一致団結して戦わなければならないので、対立は表面化しないのがふつうです。 いまだって中国共産党は、国内問題から国民の目をそらせ、国論を統一したくなると、日本の政策(特に尖閣問題)にクレームをつけて「憤青」たちの愛国心に訴えています。 モンゴル帝国なら、いちいちそんな国論統一作業をしなくても国論は一致していただろうと思いますよ。 ちなみに耶律楚材自身は、民族的には遼の王族で、仏教徒だったと思います。仲間を裏切ってチンギスハンをそそのかし、たくさんの同胞を殺させた的な非難を受けたようですが、実際はチンギスハンに人の貴さや人材登用の利益を教えて多くの殺人を思いとどまらせたようです。