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89回箱根駅伝で東洋は何故優勝できなかった?
率直に聞きますが、2013年の箱根駅伝で、東洋大学が優勝できなかったのは何が理由だと思いますか? 3年前の話で今更かもしれませんが、当方は東洋は2012年の走りを見ていたら、柏原抜きで勝てる選手層の厚さがあると思っていましたので、2013年も総合優勝は堅いとみていましたが… 実際、4区まではほぼ東洋の勝ちパターン通りTOPを維持していましたので…
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補足についての再回答です。申し訳ありません。 東洋大の戦略は、1, 2区では他大学のエース級に遅れをとらない程度で上位に食い込みつつ、他大学の選手がややグレードダウンする3, 4区に東洋大のエース級・準エース級を配置して首位に立ち、5区で逃げ切る…復路もその差を守りつつ、7, 8区に主軸メンバーを起用、裏エース区間の9区にいたっては、もうその段階でほぼ勝負がついているという算段で、さほど重要視していない印象を受けます。 柏原卒業後、確かに設楽兄弟のどちらかが5区を走る、という考えもあったと思いますが、しかし柏原在学中も、本来エース格だったのはトラックでの実績も十分な設楽兄弟の方であり、柏原ばかりに気をとられがちですが、エースとしての仕事はきっちりこなしていました。 しかし、箱根に関しては柏原が話題を独占してきた中で、設楽兄弟としては、柏原から5区を「引き継ぐ」という形になるのは、ちょっとプライドが許せない感じもあるかもしれませんが、単純に柏原一人に頼って東洋大が優勝してきたように見られがちであるものの、戦略的には柏原の活躍はサプライズ的な要素だったのではないか、と思います。 もちろん柏原在学中は、彼が5区を走ることの影響力は大きかったと思いますが、トラックの実績に対し柏原が予想外に「化けた」というのが実際の始まりではないか、と思います。 ですから89年大会の結果は、ある意味で東洋大本来の戦略通りで、4区までに首位に立つ、という想定で行ったものの、5区での気候条件などのコンディションの悪さがあり、予定通りにはならなかった、ということでしょう。
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- eroero4649
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質問者さんの今回のご質問は「なぜあの年に東洋大学が優勝できなかったのか?」であり、それに対して#1さんがきちんと分析した回答をされているので、その通りだと思います。 それに対して「でも他の選手を起用したら・・・?」というのはタラレバの話であり、それは「あのときに代打を出していれば?」とか「あのときに交代する投手は左の〇〇ではなく、あえて右の××を起用すべきだったのでは?」というのと同じで、「それはそうだったかもしれないけど、終わった後に言ってもね」ってなものだと思います。またそういう不確実性が団体スポーツの面白さだとも思います。ひとつのプレーで流れがガラッと変わることは団体スポーツではよくありますからね。それを結果から見たら「あれがターニングポイントだったね」になるのだと思います。 くり返しますが優勝できなかった理由については、#1さんの分析する通りだと思います。もし質問者さんが闇賭博をしていて東洋大に賭けていて大損したのであれば納得できないお気持ちだけは分かりますけどね。 ところで、柏原竜二選手は私は可哀想だなと思っています。彼は陸上界のキワモノ選手です。登り坂だけが異常に強くて、他はこれといったところもないあるステイタスに全振りしたような選手です。車で例えるとパイクスピークに出てくるような車で、それを普通のサーキットに持ってきて遅いねといってもしゃあないです。 普通の長距離走では、箱根5区のようなコースはありません。極めて特殊な環境でのみ活躍できるタイプで、幸か不幸かそこで花開いてしまったのでしょうね。彼は箱根5区のときが選手人生の絶頂期でしたね。 そしてそれは「元祖山の神」であった今井正人選手も同じです。5区で活躍できる選手は陸上界では異端の存在にしか過ぎないのですよね。今注目を集めている青山学院大学の神野大地選手もそうでしょう。神野選手は体がひときわ小さいですから、パワーを必要とされる近年の長距離走では通用しないと思われます。
お礼
回答ありがとうございました。 「なぜあの年に東洋大学が優勝できなかったのか?」という質問に対して「でも他の選手を起用したら・・・?」としたのは、優勝できなかったのは選手起用がまずかったからではないかと思ってそのようにしたのですが…
- moritaroh
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選手層は東洋大が一番でしたね。 しかし、特に5区の箱根の登りが、強風による急な気温低下もあり、89回大会はレースそのもののコンディションが悪く、すべての選手が一様にその実力通りの力が発揮できない状態であったと思います。 そんな中、最終的に優勝となった日体大5区の服部翔大が、コンディションの悪い中でも実力通りの力で走った、というのが大きいでしょう。東洋大5区の定方俊樹は、トラック種目での実績こそ服部よりもありましたが、当時のハーフマラソンなどの記録を単純に比較すると、服部の方がやや上、という状態で、順当に行けばギリギリ東洋大の定方が逃げ切れるか、というタイム差だったものを、日体大・服部の好走でひっくり返されてしまった、という状態でした。 メンタル的には、この5区の服部の好走が日体大に勢いをもたらし、東洋大に陰りをもたらした、というのがあるでしょう。前年度、日体大は史上初の途中繰り上げという失敗があったにもかかわらず、予選会を1位で通過し箱根に出場してきました。ある意味で「再スタート」という失うものが何もない状態であったのが強みだったのでしょう。 しかし、東洋大は柏原竜二が卒業した後であっても、設楽兄弟を擁するなど、王者として盤石の布陣で臨んだ印象でしたが、やはり5区での逆転は「柏原竜二がいない」という印象を悪い方向に強めてしまったと思われます。それゆえに、復路の選手も空回りしてしまったのかもしれません。 89回大会は、結果として日体大が優勝したものの、実際、区間賞を獲ったのは5区の服部のみで、決して圧倒的ではありません。 逆に往路の前半は快調だった東洋大も、5区以降はその層の厚さを見せつけることができず、復路はほとんど駒沢大学の選手が区間賞を獲り、復路優勝を遂げています。 東洋としては、往路優勝、という形式を持って、選手自身も、また他の大学に対しても「柏原不在でも強い、王者:東洋大」というのを見せつけ、復路における他大学のモチベーションを挫くという筋書きであったように思いますが、それを日体大5区の服部ひとりに崩されてしまい、結果として復路は日体大以外にも他大学のモチベーションを引き上げてしまった、ということだったのでしょう。 なお、柏原竜二については、箱根の活躍に対して、卒業後の実業団での実績はそれほど芳しくなく、「箱根で活躍した柏原も実際には大したことない」という空気が89回大会の選手達の中に流れていたとも思われます。 柏原は在学中も、確かにトラック種目では実績がそれほど芳しくなかったですが、世間の注目の集まる箱根では「もっとも恐ろしい選手」であったと思われますし、それが東洋大の強さを心理的に強めていたと思われます。しかし、実業団になっての柏原の活躍がそれほどではないことで、東洋大の放っていた威光にも連鎖的に陰りを生み出したというのもあるかもしれません。 学生とは言え、多少の実力差はあっても、やはり選りすぐられた長距離界のホープ達ですから、本当の意味での実力は、心理的作用でひっくり返ってしまうほど紙一重なのだと思います。そこにレースとしてのコンディションの悪さが加われば、誰も予想だにしない結果となることもあるのでしょう。
お礼
回答ありがとうございました。 翌年の90回大会では見事な走りで王座奪還しましたし、更にこの年と翌年はまだ設楽兄弟がいましたので、何故この年だけ…という思いがあります。 ここ2年を見るに、東洋は自分たちのペースに乗れればものすごいけれど、一度どこかで流れを失うと辛い…という感じです。
補足
あと、個人的には設楽兄弟のどちらかが5区に入れば往路5連覇は十分狙えたと思うのですが…どうでしょうか?
お礼
回答ありがとうございました。 もう一度言いますが、翌年の90回では設楽兄が5区の区間賞を獲得するなどして王座奪還を果たしましたので、設楽兄弟のいずれかを5区に起用することは結構プラスに働いたのではと思いますが…