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幸福の基準とは
さっき、テレビを見ていたら、 ある人が幸せの基準は人それぞれ違うと言います。 (普通(一般的)な基準の捉え方が異なるため。みたいに言ってました。) ある状態の時、それでも満足感を得る人とそれではまだ不満な人。 そういう差はあると思います。 でも、それは、必ずしもその状態で幸福感を感じられる人の方が幸せであるとは言えない気がします。 それで満足してしまう(それ以上求めない・欲しない)のは不幸せであり、 不満足な年月が続こうと、もっと上を欲し、追い求めるものがある人の方が幸せである。 とも言えないでしょうか? ※”とも”がポイント ささやかな事でも幸せを感じられる人の方が良い。訳ではなく、不満イコール悪いものとは言えない。 そんなイメージです。 現状(現実)でも満足し、十分幸せを感じられるのが3割。 もっとという欲があるのが7割くらいのバランスの方が良いのではないかと思います。 いかがでしょうか?
- nopne
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- その他(生活・暮らし)
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質問者が選んだベストアンサー
(再)満足と丁寧に共通することは、心が落ち着いて取り組めるということではないでしょうか。頑張るということにも関係してきますが、できることを丁寧にやり続けるというのが頑張るという言葉のの本義だと思っています。とかく頑張るというのは、不満ばかり募って、できないことをやろうと焦ることと勘違いされがちではと思ってもいます。結論的にいえば現状に満足できればこそ向上の可能性が出てくるということのように思っています。
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- in_go_landload
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還暦過ぎのオジサンですが、私も60になるまでは『もっと、もっと』でしたね。「『幸福感』は戦いの邪魔」と思っていました。 でも、還暦も過ぎると日々『幸せだなぁ』って思っています。今更、お金を稼ぐ戦いに出陣するするつもりも必要のないし、『世の中に寝るほど楽は無かりけり、浮世のバカは起きて働け。』って、くなればソファーで寝てます。
補足
ありがとうございました。
- E-1077
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だから「基準はひとそれぞれ」という模範解答があるんじゃない。 感じ方も人それぞれだし、どのくらいのバランスが自分にとって納得のいくものなのかも違うのだから・・・。 結局はそれでいいのだと思います。 質問者さんの考えでも良いし、テレビの中の話もそれで良い。 正解なんてないと思います。 欲はきりがない。ないよりはあったほうが人生は楽しいと思う。 ただ、些細なことでも幸せを感じていくのは小さなことの積み上げで、寝るときに「ああ、今日も無事に幸せに生き延びられたなあ」と思えればいいのではないかしら。 そこに欲はいらないだろうし、寝るときに欲のことは考えないと思う。 願い、望み、希望、などと欲は違う。想像と妄想が違うのと同じ。 欲を求めないのは不幸であるという(ともいえるでいいけど)というのはおかしい話。 今に満足しちゃダメなのかしら。ある程度、ああ今はここまでやったんだ!やれたんだ!という満足感を味わうのはいけないことなのかな。そこで止まっちゃだめだというのはわかるけれど、それも年齢にもよると思う。死ぬ間際に「ああもっと生きたい」と願うのはあり得ても「ああ、旅行に行きたい」とは言わないだろう?大往生ならば・・・だ。 欲の塊のまま(7割でも十分多すぎると思う)死ぬのは不幸だと思う。 それならささやかでも幸せを感じて日々を過ごしたほうがいい。 目標を達成するには目標値を低く設定すること。といった人がいる。目標を達成したのちに少しだけ次の目標は高くする。そうやって日々前進していく気持ちが大切だって。 あり得ない欲望を抱えたまま、不幸の数を数えても意味ないと思う。 これも私だけの考え。誰に同調してもらわなくても結構。 人それぞれっっていうのはそういうことでしょう?
補足
ありがとうございます。 ここで「人それぞでそれでいいのではないでしょうか?」という回答はよく登場しますが、 考える過程に価値があり、なによりテーマを振る人自身「人それぞれである」ということを解ってる場合が殆どではないかと思います。 だけど、考えてみる。そこに面白さがあると思います。 至る結論は、やっぱりそこだよね。 だとしても、考えてみることで視野が広がるからです。 その途中で、今までの自分にはなかった視点が見つかることもありますね。 うちは大変だという人もその人は不幸せと思ってるかもしれませんが、 私から見ると、生きがいと義務があり溌剌としてるように感じる事もあります。 そんな時、幸福度は自分でもなくその人を見つめた人でもなく、あってないようなものにも思えます。 そんな風に色々考えることができるのです。
35歳。仕事内容や職場環境は同じとします。 同僚が5人程いて平均月収が60万。 自分だけ50万で一番低い。 同僚が10人程いて平均月収が35万で自分だけ45万で一番高い。 単純に月収だけで見ると前者よりも後者の方が5万安いですがどちらのほうが幸せを感じると思いますか? 「俺は同僚より安いけどそんなの気にしない」って人は前者でしょうが 「俺は仕事が上手くて誰からも信頼されているから当然」って人は後者でしょう。 幸せの解釈は人それぞれだと思います
補足
ありがとうございます。 今回は、満足だけでなく、不満足も必要なのでは?というテーマです。
- kaitara1
- ベストアンサー率12% (1119/8879)
少しずれるかもしれませんが、私は、現状で丁寧に生きていけるのならば、それが幸せだろうと思っています。丁寧に生きていくことを続けていけば余裕が出た時には自然と上に行けます。逆に現状に不満の結果丁寧な生き方ができなくなっていれば、いつまでたっても上に行けるような余裕は生まれてきません。どうも大切なことは、満足するかしないかというより丁寧に生きていけるかどうかのように思います。
補足
言葉の選択になってしまいますね。 (あなたの言う丁寧。。て何を指しているんだろう) ありがとうございます!
- yumi0215
- ベストアンサー率30% (1335/4411)
千差万別ですね。 質問者さんのように考える人もいれば、多くは求めない、変わりない現状を維持することが一番大切でその状況でいられることを満足と感じる人もいる。おっしゃる通りです。 割合など考える必要はないと思いますよ。 常に挑戦や向上心を持ち続けること、その環境であることに喜びを感じ幸せだと思う人もいれば、変わらぬ環境の中で子供の成長を感じたり家族の喜ぶ顔を見ることが幸せだと満足する人もいますものね。 「とも」とおっしゃっているのですもの。割合など無意味だと思いませんか? 人それぞれの生活スタイルがあるという事は幸せを感じるスタイルもそれだけあるという事ですものね。
補足
ありがとうございます。 そのまま解釈されるとは思いませんでしたが、 割合の数字はあまりニュアンスを伝えようと軽い気持ちで考えたもので、 要は「質素なものからも幸せを感じる」ということを美化し、さらに求める気持ちを卑しさ等の悪い気持ちかのように言ってほしくないという気分です。 実際、7:3とか6:4でいこうということを言ってるのでなく、両方あるし、両方必要ということを伝えようとしたのです。
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良い言葉ですね。 ありがとうございます。