※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:スマホ向けアプリの企画を立ててみました。)
スマホアプリで写真のボケ味を活用した注視効果を再現する
このQ&Aのポイント
スマホ向けアプリの企画を立ててみました。注視する効果を再現するために、写真のボケ味を活用したアプリを開発し、写真作品を撮影するユーザーに提供します。
本アプリは写真研究の成果の実用的なアイデアであり、学術的な観点から提案しています。ピンボケによる情報伝達の効果や人間の視野における認識の特性に着目し、写真編集における新たな可能性を追求しています。
アプリを通じて、ユーザーは注視する効果によって写真作品の認識を集約し、より鮮明な主題を浮き立たせることができます。また、写真投稿サイトなどを通じて作品を発表する機会も提供します。私は研究者の立場でこのアイデアを公開しており、報酬を求めているわけではありません。皆さんのご意見やご質問をお待ちしています。
今回の投稿は、スマホ用アプリの新規アイデアに関わりますが、私は売り込みのつもりはなくて、写真研究の成果の実用的アイデアの提案として学術的に述べたものです。
このアイデアは研究者からの提案として公開しており、誰かが実用化を検討しても私は名誉以外の報酬は受け取りません。
タイトルは視野の主観認識における、注視する効果の、カメラという機会への応用です。
くだけた文章で説明するけど、気にしないで聞いてくれ。
中世の絵画における遠近法の発見に匹敵する、写真工学の革新がテーマだ。
カメラはもうデジタル時代の情報機器の一つで旧世紀の特別な品物ではないよね。
そんな現代でも旧世紀手法である、ピンボケ《ボケ味》が写真の魅力としてあこがれの的だ。
ピンボケは情報密度を縮小する。ボケない方が情報伝達では有効だ。
ところが、化石的設計思想の一眼レフタイプがいまだにカメラの最高峰だ。
スマホで済むのにね。
これはまさにボケ味のコントロールが目当てだからだろう。
ボケ味の良さは、主題のみにピントがあって浮きたち、主題以外は輪郭がぼやけることだ。そして主題が明白になる。
この旧式技術が表現したかった事が何か説明しよう。
今、PCの前でこの文章を読んでいるなら、ちょっと目線をずらして、キーボード脇のボールペンでも見てくれたまえ。
軽い注視なら、ボールペンとその周辺のキーボードとか机周辺の品物が視野の中で認識される状態だろう。より強くボールペンを注視知ることが出来れば、認識できる輪郭はボールペンのみとなり、見えていて当たり前のその周辺の景色は輪郭を認識できない色彩となる。
試した人はなるほどと思うだろう。この認識から外れて、輪郭を失った色彩が旧式カメラの表現でボケ味に相当する技法だ。
スマホでみているなら、スマホの画面を見ている間、その周辺の輪郭が認識できているかどうか意識して確認したまえ。
さて、人は古来から視野を忠実に認識することに取り組んできた。
中世の絵画における遠近法は実に画期的だったが、19世紀末に写真技法が確立して、視野の認識において、機械が投影した写真という成果が認識の全ての回答であるという結論が、まかり通ってきた。私が異論として、この論述をする現在までそれは続いてきた。
機械的な写真は、心に反映された個人の主観的視野と一致していない。
だからこそ、その意味もわからないで従来はボケ味が珍重されてきた。
その答えは、注視する効果による、認識の集約だ。
人がそれぞれの心で受け取った景色は、機械的写真とは一致しないよ。
この分野は哲学から派生した認識論、言い方を変えれば認識学とかもあるよね。
このように学問で20世紀中から研究されてきた事なんだが、だったら話は簡単だ。
ピンボケが出ないスマホカメラで、写真を撮影して認識学の応用アプリを作成して、人間の注視する効果に相当する写真編集をすればいい。
そのようにして、人間の視野における認識により近づいた写真作品を作成可能にして、アプリと共に、写真投稿サイトなどを立ち上げれば儲かるんじゃないかな。
今回はこういう話だ、私は研究者なので、実用化されたら喜ぶけど報酬は期待しない。今回は一般に公開して周知してもらう形だから、独占的企業が一人占めしようとしたら、裁判の際には証人に立ってあげるよ。
ここまでが質問主文です。
私は学問カテゴリーで普段質問を立てていて、こうした自分で質問を作ることになれていますから、意見表明の意図とは別に研究テーマとして投稿しました。
このようなアイデアについてご意見等およせください。
お礼
ありがとうございます。 判り易く言うとその通りですけどね、ライカ版が確立する前後には、主観認識と写真の一致項の研究がスタートしていて、そうした認識学の原点からボケ効果を再検討したアプリを作ったらどうかという話です。ボケ再現だと従来の延長だけど、注視する認識効果に置き換えると、全く新しくなるだろうと言う事です。 くわしい方がちゃんとした意見を回答してくれてうれしいですよ。 学問カテゴリーは意地の張り合いみたいになりがちなんでね。
補足
ライカ版(戦中戦後の時代)は、そもそも主観的視野に対しての写真という回答を認識学上の研究を反映して交換レンズの仕様などは決定していた。 ボケ味の意義なんかも、今あるアプリはボケの再現のみの状態だから、より原点から掘り下げると、写真表現の革新が提案できる。 昔から研究されている事だから、プロモーターがそのような明白な設計思想で要素技術を収集すれば既存の研究成果を反映するだけで実現できる。 これは人間の感性にプログラム的に機械を追従させる事だ。 私の自己紹介欄に私のブログの紹介があるけど、私は本格的に研究していてね、写真を撮影する事が好きな素人はいくらでもいるけど、アマチュア写真評論家と言うのはレアな趣味だ。撮影に関しては、作例にある特定の手法で作家表現をする本職の写真家に一切引けを取らないところまで自分の力量を自覚出来ているけど、なんでもない風景の様なあの作風が、実は立派な芸術表現になっている事を理解する専門家は、私同様にレアな存在だよ。研究が本分で芸術家として生活するつもりのない私にはたしなみでしかないけどね。 プロモーターが、要素技術を集めてきてくれれば、評論家とか芸術家とか、専門家が驚愕するような表現手法の確立について、私は監修もできるけど、まあ私でなくてもそう言う人材はいるだろう。 話し相手になってくれてありがとう。 言いたい事を言えてうれしいよ。