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マッカーサー

1.マッカーサーは、フィリピンで日本に敗退し、豪州に逃れた。この状態から、日本優勢に思えるのですが、なぜ、敗戦に転換しちゃったのでしょうか?。 2.その後、目立った活躍もないのに、マッカーサーは、なぜ、GHQ最高責任者となり、アメリカ史上空前の全権が与えられたのでしょうか?。

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  • eroero4649
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回答No.6

三度えろえろさんです。 >大戦中ほとんど活躍してないのに、なぜ占領の「全権」を任せたのか。 それは彼が「軍政統治能力があったから」ですよ。占領軍総司令官は軍人として大軍を率いる能力と共に民政を統治する能力も求められます。「政治家」としての高い調整能力が求められるのです。 マッカーサーは元々フィリピン独立の暁には初代大統領になる予定だったほどだったし彼の数々のエピソードを見てもその本質は軍人ではなく政治家です。才覚もあったし、本人もやりたがるタチでした。 そういう場合は軍人としての能力は関係ありません。パットン将軍とかハルゼー提督のような「難しぃこたァどうでもいいんだ。とにかくぶっ飛ばしゃあいいんだよ」っていう人は統治はできません。奇しくもこのお二人も戦後はアメリカ国内にさえ居場所がなくなってパットン将軍はヤケクソの暴走みたいな交通事故で亡くなり、ハルゼー提督は戦争のヒーローとして大企業が天下り先の椅子を用意してくれたのになぜかお金に困ってスプルーアンス提督などに借金の申し込みをしたほどに生活が困窮したそうです。 考えてもみてください。彼らの中で白人文明圏であるドイツやイタリアならまだしも、野蛮人の土地であるアジアで自爆攻撃はするわ、絶対降伏しないで死ぬまで戦うわなんていう民族を統治するなんて考えただけでも苦労しそうじゃないですか。誰もやりたがらないでしょ?ところが「俺、大統領になりてぇんだよ」っていう奇特な人物が身内にいるわけです。使わない手はないじゃないですか。他に手を挙げる人はほとんどいないのですからね。まさかあんなに従順になるとは誰も想像もしていなかったんですよ。だから皮肉屋のチャーチル卿は日本人が戦争が終わったら急に従順になるのを見て「日本人は喉笛に喰らいつくか、ひれ伏すかのどちらかだ」とお得意の皮肉をたっぷりときかせて日本人を評したのです。 「やりたいの?あっそう。じゃあひとつよろしく頼むよ」となったわけですし、そのときに「俺にすべての権限を渡すんだ!」っていわれたわけです。あ、今思うとジャック・バウアーとマッカーサーはキャラが似てますね。 アメリカは戦略として、対日戦は対ドイツ戦が片付いてから、と最初から決まっていました。「どう頑張ったって日本は豪州もハワイも占領する力はない」っていうのは見抜いていたのです。「ドイツが片付くまでは反撃しない」って決めていたのです。ところがマッカーサーが黙っちゃいなかった。「なんか欧州戦ばっかりが目立って俺様がヒーローとして目立たねえじゃねえか!アイゼンハワーなんてファックだ!俺にすべての権限をよこすんだ!」とあっちこっちで喚いて回りました。また、海軍にもキング提督というスティーブ・ジョブスなみに強烈な方がいてこれもまた「ファック!太平洋にも予算を回しやがれ!この(自粛)が(自粛)野郎め!」とハートマン軍曹なみに叫んでいたので「やむを得ず」反撃していたのです。その条件が「海兵隊師団1個だけ使っていい」で、それでガダルカナル作戦が行われたってワケ。 そしたらさ、当然「ファック!なぜ海兵隊での反撃は認めるのに陸軍は反撃させないんだ!俺にすべての権限を与えるんだ!」って言い出す人が出てくるわけですよ・笑。「ファック!ヒーローは俺様だろう!」とね。 押しの強さの勝利といえるでしょうね。ゆえに大統領によって罷免されることもまた必然の運命だったといえるのではないでしょうか。

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質問者

お礼

ありがとうございます。 前々から今の日本はGHQの戦後ジャッジに物凄く影響されているなーと思ってました。それも「素晴らしい」という意味でです。大ナタから細部に至るまでGHQの処理は日本のウミを吐き出し素晴らしいニューオーダーが組まれたように思えます。 ところが色々見るとGHQを評価している人はあまりおらずどちらかというと「日本を骨抜きにした」的な批判が多い。でも、僕はそんな事はなくてむしろ極めて日本が日本であるに相応しい体制作りだったとしか思えません。例えば軍隊のアウトソーシングなんて、平安時代の貴族にとっての武士の成り立ちや、新撰組など、日本のお家芸そのものです。要するに神道として「ケガレ」を忌み嫌い戦(いくさ)に自ら手を汚さない思想です。なぜよそもんのGHQにそんな芸当が出来たのか?。不思議でならないわけです。財閥解体や女性の地位向上など、やる事なす事いい事づくめではないですか。 「憲法9条」に「日本の誇り」を感じている人が多いですが、コレ、GHQに与えられたものでしょう(再軍備の芽を摘まれただけ)。決して日本の自主的な功績ではない。 いや、むしろ、よそもんにヤラレタからここまで大胆で迷いのない整理が出来たのでしょう。 何もかも理想的国家になるように導かれている。これが敗戦国に与えられた対応でしょうか?。植民地でも分割でもなくアメリカの加護の元、安全に戦後成長が行われた。これってアメリカの悪意のはずないと思います。だって「ジャパン・アズ・ナンバーワン」と言って一時はアメリカの経済状況を超えたのですから。 そんな神がかったGHQの総司令官がどんな人物だっのかに関心がありましたが、拍子抜けというのが実際のところです。 戦争屋としては三流で、利権と虚栄心にまみれたマッカーサーが、GHQにおいては「大統領候補」という環境が日本の処理をパーフェクトにする大義名分となり奇しくもそのおかげで今の日本がある。 アジアに詳しいやつがマッカーサーしかいなかったとか、大統領候補だったとかそうした外的な「都合」が日本に幸いしたのは運命的に幸運な巡り合わせだったと思う次第です。

その他の回答 (5)

  • eroero4649
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回答No.5

#3です。 太平洋戦争は真珠湾奇襲で始まったことはご存知だと思います。実はこの作戦、一度山本五十六提督によって企画されたのですが「あまりにギャンブルだ」と一度は却下されたのです。それで、山本五十六に前例がない二期目の連合艦隊長官を依頼したときに山本提督が引き受ける条件として出したのが「真珠湾奇襲作戦を許可すること」だったのです。 真珠湾奇襲作戦は、現代で例えるなら警視庁本庁に爆弾テロを仕掛けるようなものです。確かに成功すれば警察を大混乱に陥れることができるでしょう。しかし、よりにもよって警視庁本庁に爆弾を仕掛けるなんて大胆過ぎて並みの度胸では実行なんてできません。 もし、真珠湾奇襲に失敗したら?そしたら空母艦隊は一日にして全滅、太平洋戦争は初日で日本の敗北が決定的になったことでしょう。そのくらいシビれるほどにギャンブラーな作戦だったのです。さすがのアメリカも「そこまでのリスクは踏めないだろう」とちょっと油断していたのです。今パリのテロを受けて日本の警察もピリピリしていると思いますが、空港や駅なんかは警戒するでしょうが、さすがに警視庁を直接狙うことまでは警察も考えないでしょう? そのまま逃げ切るというのも難しいです。「じゃあ、講和の条件はなんなの?」ってなったときに誰も答えられないからです。アメリカが納得する早期講和の条件がないんですよ。だって、戦いが長引けば長引くほどアメリカに有利になるんだから、相手の誘いに乗る必要はないからです。 質問者さんが柔道の選手だったとして、異種格闘技戦でボクサーと戦わないといけなかったとしましょう。もし勝てばファイトマネー全額を受け取れる、引き分けでも8割もらえるとなったら、どう戦いますか?あの猪木対アリ戦みたいに相手に殴られないように寝っ転がってグルグル回って引き分け狙いにいくでしょう。それと同じで、アメリカはリスクを踏んで日本と短期決戦の勝負に出なければならない理由はどこにもなかったのです。 海軍の仕事は、目の前の戦いに勝つことだけです。だけど「戦争をどう収めるか」を考えるのは政治家の仕事です。しかし、当時そういうことを考えられる政治家は日本には一人もいなかったのです。いえ、私は今の政治の話をしているのではないですよ。

MONKEYMONKEY
質問者

お礼

重ね重ねありがとうございます。大変よく理解出来ました。 「トラトラトラ」(70)でも山本五十六が「一時的になら撹乱できる」と事前に言ってます。 いま、マッカーサーの経歴を見てるのですが、最初のフィリピン陥落から1944年くらいまでずっと「本国からの援護はなかった」で終始しています。 そして士気を下げぬよう「英雄マッカーサーの善戦」と報道したり、(人気者の)マッカーサーを捕虜にせぬよう豪州に逃がしたりします。 このあたりも本国は「持久戦」として「無援護」をわざとやってたんですか?。ならばマッカーサーは作戦のスケープゴートだったって事でしょうか?。 今回の質問の背景は「マッカーサーがよくわからん」というところにあります。 大戦中ほとんど活躍してないのに、なぜ占領の「全権」を任せたのか。 大戦末期には、南太平洋総司令官などに着任しますが、南太平洋なんてなんもないではないか。まるでマッカーサーを傷つけないで干しているかのよう。 それが終戦で日本に来て「神」となるわけです。 C-3POがイウォークの神と誤解されたような違和感に溢れています。

  • hekiyu
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回答No.4

1.マッカーサーは、フィリピンで日本に敗退し、豪州に逃れた。 この状態から、日本優勢に思えるのですが、なぜ、 敗戦に転換しちゃったのでしょうか?。       ↑ 生産力が桁違いだったからです。 遅いか早いかの違いがあっただけで、負けは 確定的だっと思います。 だから、ミッドウエー海戦を契機に、敗戦へ 傾いただけです。 あれで勝利していても、結果は同じだったでしょう。 日露戦争の時は、長引けば負ける、と計算して いたので、開戦と同時に、金子堅太郎を通じて 米国大統領ルーズベルトを介して、和平工作 をしていました。 そういう戦略が欲しかったです。 2.その後、目立った活躍もないのに、マッカーサーは、なぜ、 GHQ最高責任者となり、アメリカ史上空前の全権が与えられたのでしょうか?。       ↑ 当時の米国には、マッカーサーより、アジアに詳しい 人材がいなかったからです。

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質問者

お礼

ありがとうございます。 真珠湾だけでなく、しばらく「奇襲」効果があったんですかね?。 要は、アジアの田舎はマッカーサーに任せとけてなもんですかね?。

  • eroero4649
  • ベストアンサー率31% (10462/32901)
回答No.3

1. これはもう本が何冊も書けるくらいに語り尽くされてもなお語られる題材なので、書き出したらキリがないです。 なんていうのかな、野球でいうと1回の表にいきなり満塁ホームランを打って、2回にも得点を重ねて相手の先発投手をノックアウトしたとしても、それで試合に勝つとは限らないですよね。5回以降は絶対に点がとれないようなものすごいピッチャーが出てきて、バットの先っぽにちょっと当たっただけでもホームランにするようなものすごいバッターが出てきたら、9回が終わってみたら試合は圧倒的に負けていたってこともありますよね。 戦争って戦場その場で勝てれば勝つほど甘くはないんですね。一例をあげれば、第二次大戦で各国が生産した航空機の数で比較すると、日本が約8万機でドイツが約12万機です。一方のアメリカは32万機以上も作っています。それだけ作ることができるだけの工員がいて、それを乗せられるだけのパイロットの数がいたのです。パイロットってのは誰でもなれるものではなくて、体も頑丈じゃないといけないし、算数も得意じゃないといけない。当時の航法はコンパスと定規を使って計算しないといけませんでしたからね。 「あの戦いに勝てていれば」ってほどに甘い相手ではないのです、アメリカさんというところはね。 2. これは彼が非常に長けた政治力を持っていたということが大きいでしょうね。元々彼はフィリピンの初代大統領になるはずでしたが、第二次大戦でフィリピンを追われてしまいます。普通だったらそこで引退を強いられますが、彼はあの有名な「アイシャルリターン」を発言して国民の心を掴みます。彼はこういう能力が小泉首相なみに優れていたんです。そして当時のアメリカも戦況が苦しい中で国民を鼓舞するヒーローを求めていたんですね。だから政府もマスコミもマッカーサーを「不屈のヒーロー」として持ち上げたのです。 またそれに対してマッカーサー自身も非常に虚栄心が強い人でもありました。あるとき、彼はトルーマン大統領と会うことになったのですが、会見場となった飛行場に向かうときに自分を乗せた飛行機をわざと上空でグルグル旋回させて、とうとう大統領を乗せた飛行機を先に下ろさせたんです。つまり自国の大統領に自分の出迎えをさせたのです。そういう人だったので、まあ全権を与えられたというかどちらかというと自分でもぎ取ったといったほうが近いのではないかと思います。ここら辺はパットンやモンゴメリーやドゴールといった強烈な個性の人たちを束ねなければならなかったアイゼンハワーのバランス能力の高さとは対照的なところですね。結局大統領と対立して退役させられたマッカーサーに、大統領になったアイゼンハワー。いかにもな感じがします。 ちなみに、日本ではほぼ無名なんですが太平洋戦争ではキング提督ってアメリカ人がいましてね。これはあのニミッツ提督の上司に当たる人で、太平洋戦争をアメリカの勝利に導いた立役者の一人なんですが、この人の強烈さはマッカーサー以上です。どのくらい強烈かというと、大統領にも嫌われ、海軍長官とも不仲、どうもニミッツも嫌っていたようで、揚句に奥さんや息子からも嫌われていたというか嫌われ伝説しかない人で、じゃあなんでそんなやつがニミッツより上の立場にいたのかというと「そういう欠点を差し引いてもあり余るほど有能だったから」なんです。この人、戦争が終わると文字通りの狡兎死して走狗烹らるとなって家族からも見放されて死んでしまいました。

MONKEYMONKEY
質問者

お礼

ありがとうございます。 なるほど、であれば、逆になぜ、そんなアメリカが初回に満塁ホームラン打たれるようなヘマをしたのでしょうか?。そっちの方がナゾです。 或いは初回に満塁ホームラン打った番狂わせでそのまま逃げ切るゲームもあるのであれば、日本勝利のジャイアントキリングもありえたのか?。などが知りたいところです。 正にパットンなんかは西部戦線のホンマもんの英雄ですよね。はっきり言ってマッカーサーの勝利したニューギニアやフィリピンなんてどうでもいいといいますか。 コーンパイプとサングラスって演出とかですよね。 にしても日本の占領の全権掌握というのがあまりにもデカイ。 しかし、思うのは、大統領選の前というタイミングしかり、マッカーサーの早期帰国の目的があった為に、日本の整備を怒涛の如く成し遂げたのは日本にとって幸いだったと思います。 日本の命運が、フィリピン大統領から多額の賄賂を得ていたり、演出の為にトルーマンを出し抜いたり、天皇と面会したりするような、ある意味虚栄心のみのチンケな男に左右されたという、ところが、そして、それが奇妙にも幸いしたところが、面白いところだと思います。 天皇は命を預ける為に会った。 マッカーサーは国民に知らしめる為に会った。 切り口が全く違うのですから。

  • mm058114
  • ベストアンサー率30% (102/337)
回答No.2

1 大統領命令による、日本の侵攻から豪州を守る為の南西太平洋方面総司令官に任命され、豪州に逃れたマッカーサーですが、ニューギニアの戦いに勝ったからです。 これは、日本の珊瑚海海戦の戦略的敗退が大きな要因です。 その後、ニミッツの様に大きく機動できる部隊を持たなかったマッカーサーですが、小さく確実に歩を進め、フィリピンを攻略することができました。 統合参謀本部は、マッカーサーを認めていなかったようですが、アメリカ国民に人気があり、これを解任すると士気に関わるとして、英雄視されていたのも要因でした。 2 日本を攻撃した連合国軍で、再先任だったからです。 そして、アメリカ国民に絶大な人気があったからです。

MONKEYMONKEY
質問者

お礼

ありがとうございます。確かにアメリカ国民に人気があってしょっちゅうパレードとかしてますよね。一方で、大統領候補選出では大敗したりよくわかりませんが。なぜ、日本は形勢逆転されたのか?。逆に言えばなぜアメリカは初期はボロボロだったのか。いまいちナゾです。 なんとなくそれまでパッとしなかったのに終戦で突然「全権をマッカーサーに集中」となったので日本側からしたら唐突感が否めないなと思いました。

noname#230414
noname#230414
回答No.1

アメリカは日本との海戦で日本の船の操舵技術で艦砲射撃しても交わされて命中率が悪く逆に日本のゼロ戦からの攻撃と艦砲射撃で撃沈されて、マッカサー自体が捕虜になりかねねない状況に追い込まれてフイリッピンに逃げています、このときに日本がもっと攻め込んでいたら日本の敗戦はなかったといわれています、何故日本が手を抜いたかといいますと世界一といわれる「アメリカ太平洋艦隊」を撃破したので、アメリカ恐れることなしで甘く見たののです。アメリカは、艦船どうしの戦では勝ち目なしと、爆撃機で日本艦船攻撃に切り替えてゼロ戦が航空母艦から飛びたった後に、爆撃で航空母艦の攻撃をし撃沈された航空母艦に ゼロ戦は帰ることできずに・・・・・アメリカは航空母艦の爆撃を集中させ、日本は艦船を守る戦闘機が少なくなり、戦力が落ちてガァム島に引き上げてガァム島で決戦しますが 負けてサイパンに逃げますが、日本の戦力では勝ち目がなくサイパンで殆ど全滅。 後は沖縄戦で終わり。 私の父も戦死しています。

MONKEYMONKEY
質問者

お礼

ありがとうございます。 戦力の感じがよくわからないのですが、仮りに攻め込んでマッカーサーを、捕虜にしたとしも、そうした母艦攻撃作戦に切り替えたら結局アメリカが逆転するのではないでしょうか?。 或いは、日本もアメリカの母艦を狙う戦略にでれば良いのでは?。なぜそうしなかったのか。やられたらそれが効果的なのは直ぐにわかると思うのですが。

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