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この20年で日本の良くなった部分と失った部分

情報社会や世界の経済構造が変わる中、慣習に理性でわかる啓蒙のような部分をよくなったりなど起きたと思います。 しかし、日本は犯罪など世界でも歴史上犯罪など少ない文化かと思ってます。 学力の低下や乱れたものというのは、良さを失った部分かと思ってます。 個性を発揮する部分で個人主義化して、チーム力が弱くなりましたね。 新興国やアメリカなどは成功であった15年くらいかもしれないですけど、日欧はそうとはいえないと思ってます。 一体、いつからたどればいいのかわかりませんが、よくなった部分、失った部分って何でしょう?

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  • SPROCKETER
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回答No.2

 20年前と言えば、1995年ですが、阪神大震災の頃ですね。  デフレ不況が長く続いて、GDPがマイナスまで落ち込んだのが、失った部分でしょうが、同時に物価が安くなって、20~30万円したパソコンが半額で買えるようになったのが、良くなった部分でしょうか。  あの当時は増設用メモリーが異常な高値で、パソコンよりも高いメモリーまでありました。1~3万円でメモリーが買える今と比べると、1桁違っているように思います。  20年間と言えば、インターネットの歴史と同じぐらいですが、パソコンがゲーム機だった昔と比べると、ホームページ、ブログ、ツイッター、YOuTubeなど、出版や放送が駆逐されるまでに進歩したインターネットが良くなった面ですし、本を買わない人、テレビを見ない人が増えて、本屋や出版社の倒産が増えたのも事実ですね。  昔に比べると、大規模テロ、通り魔事件、幼児殺害事件などが急増しましたね。デジカメ、ビデオカメラ、携帯、スマートフォンなどを使った盗撮犯罪も急増しました。便利さと裏腹の繁栄ですね。  物の価値観が大きく変わった20年だったようにも思います。昔は情報の保存と言われても、キイボードを叩いてワープロで文章を保存するぐらいしか出来なかったのが、今ではデジカメ、イメージスキャナーなどを使って、パソコンに書籍をデジタルコピーして保存するのが常識化しましたし、写真やビデオが無尽蔵に保存出来る世の中になりました。  個人の情報蓄積量が今ほど多くなった時代は無いと思います。昔は部屋の大きさが情報量の限界でしたが、今は部屋の大きさとは無関係に大量の情報がパソコンに蓄積出来る時代です。  本棚の容量で計算すると、5段式の本棚で本が250冊ぐらい収納出来ますが、同じ本棚にブルーレイディスクが500枚ぐらい収納出来ます。22.5GB×500枚で12TB弱ぐらいですが、本に換算すると、1冊が150MBで、8万冊ぐらい収納出来ますね。(もちろん、読み込み時間がかかるので無理ですが。)  12TBなんて、外付けHDD(3TB)を4台繋げば、今のパソコンでも実現出来る容量です。  情報社会が進んだのは良いですが、本屋や出版社が無くなってしまったら、パソコンに何を入れれば良いのでしょう。

mezoriso81
質問者

お礼

>昔に比べると、大規模テロ、通り魔事件、幼児殺害事件などが急増しましたね。デジカメ、ビデオカメラ、携帯、スマートフォンなどを使った盗撮犯罪も急増しました。便利さと裏腹の繁栄ですね。 ずばりなるほどっておもいました。 便利だから短絡的にえれると思う。それではどうしたらよいかは難しいですけど。 便利さや繁栄のひずみってあるんですね。 ご回答ありがとうございます。

その他の回答 (2)

  • staratras
  • ベストアンサー率41% (1499/3651)
回答No.3

ひと言で言えば「デジタル栄えてアナログ滅ぶ」あるいは「中心繁栄・周辺衰退」の20年ではなかったかと考えます。 デジタルの隆盛については言うまでもないでしょう。20年前1995年といえば、Windows95が発売された年で、相当高価だったパソコンはそこそこ普及していましたが、まだインターネットの普及率は低く、一般家庭ではほとんどネットワークにはつながりませんでした。またつながるところでもダイヤルアップ接続がほとんどのため電話代がかかることもあって常時接続にはできませんでした。いつでもどこでもネットにつながることができる今とは大違いです。 デジタルカメラで言えば、カシオのQV-10が発売されたのがこの年です。25万画素で6万5000円もしましたが、画期的な製品だと大評判になりました。現在ではこの金額を出せばレンズ付きのデジタルの1眼レフが十分買えます。その代わりフィルムカメラ、とりわけ35ミリ判の普通のフィルムを使うカメラはほとんど新製品は販売されなくなりました。CDとレコードの関係のようなもので、趣味的な需要はまだありますのでアナログも絶滅はしていませんが、主役交代は明瞭です。 ネットワーク社会の便利さはあきらかですが、その反面昔からあるメディア、とくに紙の書籍や雑誌は売れなくなり、小さな書店の廃業も相次いでいます。電子書籍は伸びていますが、紙の書籍の減少分を補うほどではなく、総体としての「知」は減少しているのではないかという危惧を回答者は持っています。 「学力の低下」については諸説あって、単純に低下しているとは回答者は考えませんが、「学習意欲の変化」は認めざるを得ないと思います。「家庭で何時間勉強しているか」と高校生に聞くと、0時間や30分程度の割合が増加しているそうです。1日が24時間であることは昔も今も変わらないので、スマホなどで友人と「つながる」ことに追われていれば、きちんと勉強する時間がなくなるのも当然でしょうけれど…。 また知の継承や記録(史料)の保存という点でも不安があります。100年前の手紙はよほど保存状態が悪くない限り今でも読むことができますし、捨てたり火事にあったりしなければ残る可能性がありますが、電子メールは10年前のものでさえ意識して保存しなければ消失してしまいます。また保存しても保存したメディアによっては使われなくなって、将来読み出しが困難になる可能性があります。(回答者は8インチのフロッピーディスクで経験があります) 中心対周辺というのは単純に「東京対(東京以外の)地方」ということだけではありません。人口が少ない県のなかでも、県庁所在地のようにそれなりに繁栄する都市と過疎化・高齢化が止まらず衰退していく町村の対比が20年前より一層顕著になっているということです。また大都市圏例えば東京都内でさえも、都心部の区では人口が増加し子どもの数も増えて学校の教室が足りなくなっているのに、多摩地区など郊外では人口の減少や高齢化が進んで、学校の統廃合を行わざるを得ない状況が続いています。 池の水が干上がるとき、一律に水位が下がって池の形が変わらずに小さくなっていくのではなく、湖底の地形に応じて浅い部分が先に干上がり、深い部分だけに水が残る現象が見られます。さらに水位が下がると飛び地(飛び池?)のようになります。当面人口が減りつづける日本では同様のことが、人口だけでなく、経済的な面でも例えば所得の格差拡大など、これからもっと起きていくことと考えられます。 明るい話をすれば、この20年間でスポーツは強くなった種目が多いと思います。1995年は「ドーハの悲劇」の2年後で、サッカーのワールドカップには1度も出場経験がありませんでした。また野茂英雄投手が大リーグの新人王になったのもこの年ですが、20年たった現在まで、多数の日本人選手が活躍していることはご存知のとおりです。

mezoriso81
質問者

お礼

「中心繁栄・周辺衰退」「学習意欲の変化」 なるほどなキーワードです。 確実にいえることってそういうことなんでしょうね。 ご回答ありがとうございます。

  • hk8854
  • ベストアンサー率16% (138/839)
回答No.1

此処20年失った物の方が多い様に感じますけどね まず、情報化の過密によって人とのコミュニケーションが希薄 次に、食の西洋化が益々進行して思わぬ多臓器疾患の増加 更に、学生の学力低下    高齢者の増加が加速 数えれば桐がない所謂負の遺産が増えた様なきがします

mezoriso81
質問者

お礼

確かに便利さや情報などを得て、人やそのほか失ったものって多いですね。 ご回答ありがとうございます。

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