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瀬古利彦はなぜロサンゼルス五輪で勝てなかったのか

昔の話で恐縮ですが、 マラソン選手だった瀬古利彦は、1984年のロサンゼルス・オリンピックのマラソンでなぜ勝てなかったのでしょうか。 負けた理由を教えて下さい。 ただし、ウィキペディアの『瀬古利彦』の項目は引用しないで下さい。

みんなの回答

  • hide6444
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回答No.2

瀬古選手に限らず日本人選手は国内のマラソンレースのみの戦っており 海外の選手のようにいろんな国のマラソン大会で経験を積むということを してこなかったことが敗因でしょうね。 高橋尚子さんのようにアジアであれ海外であれ挑戦していた選手は金メダルや それに近いメダルと取っていましたが、瀬古さんの時代はどちらかというと マラソンは日本が強いから海外の大会に出るのであれば日本の大会に出た 方が良いという考え方でしたし、海外までの遠征費が出るわけでもなかった ですからね。日本の陸連は昔からケチですからね。 大学で活躍して期待も大きかったですが、あまりにも正攻法なマラソンが 瀬古さんの寿命を縮めたのかもしれませんね。 海外の選手で「イカンガー選手」がいましたがこの選手も瀬古さんと同じで 正攻法なレースしかしなかったのでメダリストにはなれませんでしたね。

  • tpg0
  • ベストアンサー率31% (3785/11963)
回答No.1

こんにちは。 瀬古選手はロサンゼルス五輪の頃は絶頂期のピークを既に過ぎてたからでしょう。 あの、エチオピアのアベベ選手(ローマ五輪と東京五輪マラソン2連覇)でさえ、メキシコ五輪の時は無惨にも途中棄権したことが信じられなかったものですが、絶頂期のピークを過ぎた選手が過去の実績だけで簡単に勝てるほどマラソンを含んだ陸上競技は甘くないということだと思います。

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