信じても良いのか?信じてはいけないのか?

このQ&Aのポイント
  • 人間は信頼関係が大切とも言いますよねえ。人を信じられないと出来る事も出来なくなります。
  • 結婚でもそうです。最初から上手く行かないのではと疑っていたら結婚など出来ません。お互いに信じあうことが必要です。
  • しかし、毎日交通事故は起こり一年に1万人近くの人が死にます。人間ですからミスもします。結婚しても離婚する人は増えるばかり二回離婚する人も珍しくはありません。そんなことを信じて気楽にいていいのでしょうか?
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信じても良いのか? 信じてはいけないのか?

人間は信頼関係が大切とも言いますよねえ。人を信じられないと 出来る事も出来なくなります 何かをする時も、自動車を運転するにも、事故を起こさない事が出来ると信じないと 自信を持って 運転できません。 結婚でもそうです。最初から上手く行かないのではと疑っていたら結婚など出来ません。 お互いに信じあうことが必要です。 がしかし、毎日交通事故は起こり一年に1万人近くの人が死にます。人間ですからミスもします。 結婚しても離婚する人は増えるばかり 二回離婚する人も珍しくはありません そんなことを信じて気楽にいていいのでしょうか? 哲学では ・・・・・と信じる。という言葉はあまり聞きません。 専ら疑い批判します。疑って疑って 石橋を叩いて叩いて叩き壊して・・・ 巷の人からは 哲学といえば ムズイ キモイ 分からないと言われます。 果たして人間は そして貴方は 信じることもありますか?それとも飽くまで批判精神ですか? 人は信じていいのでしょうか? 信じてはいけなのでしょうか?(詐欺も酷いですよねえ)

質問者が選んだベストアンサー

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  • a_hona
  • ベストアンサー率21% (95/444)
回答No.2

信じる事よりも気をつける事の方がすぐれていると言う。 自動車は危険な乗り物である。その危険は自動車にあるのではなく、多くは運転する側にある。故に運転する時には気をつけていなければならない。 言葉は危険なものである。使い方を誤れば人や自分を傷つけてしまう。 故に使う時には気をつけていなければならない。気をつけて運転する人がスムースに目的地に着くように、気をつけて言葉を使う人は自分も他人も安らげる。気休めでなく。 愛が束縛にならず互いを励まし安らげるものである時、それが特別な気持ちである事を信じえて伴侶となり伴侶を得る。 他人の目線ばかり気にしていても仕方ない。そのようなものに揺らいでいる間は、自分を信じているとは言えない。 人は、人にせよ言葉にせよ、事柄にせよ、真っ当な事を信じるべきである。それは信じた者を裏切らないどころか、真っ当な道に誘ってくれるだろうからである。真っ当な事でなければしあわせになる事はできない。怪しげであったり邪であれば、不幸になる。これらは当然の事なのである。

yuniko99
質問者

お礼

真っ当な事を信じるべき との事ですが。自分を信じてる・・・という言葉からも 何かを信じることもあり という考えと思いますが。 その真っ当かどうかを、どうやって見分ければいいのでしょうか? 戦時中の日本で真っ当な考えと、戦後の日本で真っ当な考えは違いました。 北朝鮮が恐ろしと言いますが では何で米韓は当てつけたように軍事演習をするのでしょうか? 確かに北朝鮮は真っ当じゃないように思えますが。彼らは真っ当だと信じているのかも 信じる事よりも気をつける事のほうが大事 という言葉が印象的です。 自信満々で書くよりも、気をつけて、よく考えて書く方がいいなと思いました。 どうも大変ありがとうございます。

その他の回答 (14)

noname#210058
noname#210058
回答No.18

ほどほどにという事でしょうか。 私は人から嫌われているので(自業自得ですが)、人やその縁を信じることが出来ず、ここ何年も人の機嫌伺いばかりしてきました。 でも、今の私にある僅かな付き合いというのは、私が人を信じなかったから築けたものでは無いか?とも思えます。もっとも、私が人を信じることが出来たなら、もっと人付き合いがあったのかもしれません。 ちなみに、私の祖父母は町内でも人望があり、お正月には祖父母の家への挨拶客が絶えません。年賀状は束になって届いています。 そんな祖父母は人から信頼されているのでしょうね。 マスコミの記事やコラム、どこの誰が書いたのかも分からない本(著者名がなんとか研究会とか、検索しても活動実績がよく見えてこない団体)やネットの記事は疑ってかかるくらいで丁度良いと思います。

  • hekiyu
  • ベストアンサー率32% (7194/21844)
回答No.17

"毎日交通事故は起こり一年に1万人近くの人が死にます"    ↑ それは昔の話しで、いまは五千人ぐらいです。 哲学における懐疑と、質問者さんがいう疑いは 別の次元に属する問題です。 文字が同じだけで、意味が異なります。 言葉に踊らされている典型です。 だから支離滅裂と批判されたりするのですよ。

yuniko99
質問者

お礼

交通事故死亡者は最近特に減ったようですね 失礼しました。 しかし5000人でもいいと言う訳ではありません。 哲学による懐疑と 日常の疑ってみる事と 違うでしょうか? 本質は同じように思いますが。疑う事によって確かめようとする事だと思います。 どうもありがとうございます。

  • a_hona
  • ベストアンサー率21% (95/444)
回答No.16

如何にして真っ当なことを見分けるのか、こればかりは自らの明知を頼るしかない。真っ当なことを求めているならば、真っ当なものと出会った時に、それが真っ当なものだと解る。それが起こるのは、彼が正しい望みを抱いていたからだと考えられます。 時代の豪流の中にあっても、正気な人は居ると考えられます。百人居て、その時99人が誤ったとしても、1人は正しいと言う場合もあり得ます。世にただ流されず、しかし無理に逆らわず、よく観察して道理と真理に通じているならば、道を外す事はないでしょう。

yuniko99
質問者

お礼

それは言えてると思います。ただ 99人が誤って1人が正気だとして 99人から「お前は間違ってる」と言われたら どうやって説明すればいいのか? 先の大戦でも、戦争に反対した人たちは投獄され非国民と言われ 場合によっては拷問されて、「愛国心」を持つよう迫られたのではないでしょうか 矢張り世自体が良くない方向に傾く前に 何とかしなくては行けないのではないでしょうか? 今の集団的自衛権にしても 一度決まったらなかなか取り消しできないのではないでしょうか? どうも大変ありがとうございます。

  • kurinal
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回答No.15

yuniko99様、こんばんは。 >「お互いに信じあうことが必要です。」 全ては「契約」なのかもしれないですが、 それも「違憲無効」かも。

yuniko99
質問者

お礼

違憲無効と言うのは、全てが「契約」 と言う事がでしょうか? それとも「・・・・」の文の事でしょうか クリナルさんは良い事を書かれるのですが 私の理解がついていきません どうもありがとうございます。

回答No.14

性悪説こそ、真理で、当たり前。!

yuniko99
質問者

お礼

そういう気がする時もありますねえ どうもありがとうです。

  • raiden787
  • ベストアンサー率37% (179/473)
回答No.12

>信じる(信ずる)とは元々疑わずに本当だと思い込むことです ではこの質問は根本的に間違っていると思います。 >人間は信頼関係が大切とも言いますよねえ。人を信じられないと 出来る事も出来なくなります 例えばこれがおかしい。信頼関係とは疑わずに本当だと思い込むものではありません。観察したり疑ったりして経験を積んで培うものです。 信頼関係を築くのは時間がかかるものです。 >自動車を運転するにも、事故を起こさない事が出来ると信じないと自信を持って 運転できません。 これも変ですね。事故を起こさない事が出来ると疑いなく本当だと思い込む人は運転すべきではありません。 疑ったり過去の経験や交通事故の知識などから事故を起こす可能性を分析した上で判断すべきことです。 >そんなことを信じて気楽にいていいのでしょうか? 気楽に信じて結婚する人は少ないと思いますよ。多くの人は結婚について大いに悩み、自分やパートナーを疑い、苦しんだ上で決断するのです。 それとも他人なりなんなりを何も疑うことも考えることもせずに盲信してもいいのか、という意味の質問でしょうか? でしたら私は「大いに疑って考え抜いた上で信じるかどうかを自分で決めろ」と答えます。

yuniko99
質問者

お礼

この質問のどこが根本的に間違っているのでしょうか? 疑わずに本当の事と思い込んでもいのか?行けないのか?と言う事ですが。 信頼関係を時間をかけて築いた時に 信じても良いのか?と言う事です。 事故を起こす可能性があれば運転していいのか 考えませんか? 人を傷つけるかも知れないのです。それを承知で運転しているんぽでしょうか? 答えは「・・・・・自分で決めろ」ですか?なんで命令形なのでしょうか?? どうもありがとうございます。

  • raiden787
  • ベストアンサー率37% (179/473)
回答No.11

>哲学をやってると、われわれ人間は基本何かを信じる事は出来ない > と言う事に気づきます。幾ら調べても幾ら備えても100%と言う事は出来ません > ですから信じる事は出来ないのです。 100%信じる必要はありません。50%信じるべき状況なら50%信じればいいんです。 30%なら30%。 極論に走る必要はありません。 >しかし じゃあ何も信じないで生きていけるか?母親の心までも疑い >自分の確信までも信じないで生きていけるか? 母親だろうと他人です。信じる信じないではなく状況分析と観察からどういうことを考えているのか推測すればいいんです。 >神を信じてもいいのか 行けないのか? 信仰は趣味です。どっちでも問題ありません。 >自分を信じてもいいのか? 行けないのか? 今までのデータから自分がどういう時にどういう状態になるか推測可能です。 100%こうだとは言えないにしても恐らくこうだろう、という程度に推測できれば十分では?なぜ100%にこだわるのです? > 今も世界のどこかで少年少女も飢えや病気でバタバタと倒れて死んで行きます。 >それは我々には関係ないのでしょうか?それとも関係あるのでしょうか? これは信じる信じられないの話とは違いますよね。 論理が狂っています。その答えを知りたければ社会や経済を勉強すればよいと思いますよ。 > 人間には人権があるのでしょうか?それとも人間には人権は無いのでしょうか? > 人権があると 信じて良いのでしょうか?それとも人権など信じてはいけないのでしょうか? 人権について勘違いしているように思います。 人権とは信じる信じないで語るものでもありません。 人権とは社会的なシステムです。信じる対象ではありません。 人権はみんなにあるべきだと思うのなら人権が成立する社会になるように具体的に行動しないといけないのです。お祈りをしてたら誰かが勝手に人権を与えてくれるものではないのです。 なんというか、哲学とは無関係に単なる個人的な妄想に囚われているように思えます。

yuniko99
質問者

お礼

大辞林 第三版の解説 しんずる【信ずる】( 動サ変 ) [文] サ変 しん・ず (1) 疑わずに本当だと思い込む。心の中に強く思い込む。 「おのれの-・ずる所に従って行動する」 「サンタクロースを-・じている」 (2) 疑うことなく,たよりとする。信頼する。 「 - ・じていた友人に裏切られる」 「わがチームを-・じている」 (3) 神仏などをあがめ尊び,身をまかせる。信仰する。 「仏教を-・じている」 「神を-・ずる人」 信じる(信ずる)とは元々疑わずに本当だと思い込むことです 30%信じるというのは現代用語なのでしょうか? 私は60%神を信じています 何て 天気予報の様で 日本人は器用ですねえ。 まあ この信じるという言葉の語感から違うのですから仕方ありません 私は字義通りの言葉を使い ほんの少しだけ疑いがあることを99・9%信じると表現しただけです。 どうもありがとうございます。

  • raiden787
  • ベストアンサー率37% (179/473)
回答No.9

なぜ「信じていい」「信じてはいけない」の極端な二択なのですか? 状況状況に応じて思考分析して「信じるに足る根拠」を見いだせれば信じればいいし、「信じてはならない根拠」を見いだしたなら信じなければいいのです。 どちらの根拠も明確に発見できない場合でも考えたり調べたりすることでよりベターな選択肢は選べるはずです。 詐欺が怖いなら詐欺の手法について勉強すればいい。ネットでも書籍でも勉強の材料はいくらでもあります。警察や消費者センターに質問してみるという手もあります。 なぜそれらをしようともせずに「信じる」「信じない」の二択だけを突き付けるのかが私には理解できません。

yuniko99
質問者

お礼

哲学をやってると、われわれ人間は基本何かを信じる事は出来ない と言う事に気づきます。幾ら調べても幾ら備えても100%と言う事は出来ません ですから信じる事は出来ないのです。 しかし じゃあ何も信じないで生きていけるか?母親の心までも疑い 自分の確信までも信じないで生きていけるか? 神を信じてもいいのか 行けないのか? 自分を信じてもいいのか? 行けないのか? 自分の愛までも、自分が目の前で見たことも 全て幻かも知れないと 哲学宜しく信じないでいられるか? 「杜子春」と言う芥川龍之介の作品をご存知でしょうか? 全ては夢幻と思って生きていいのか?それとも現実だと信じなければいけないのか? 今も世界のどこかで少年少女も飢えや病気でバタバタと倒れて死んで行きます。 それは我々には関係ないのでしょうか?それとも関係あるのでしょうか? 人間には人権があるのでしょうか?それとも人間には人権は無いのでしょうか? 人権があると 信じて良いのでしょうか?それとも人権など信じてはいけないのでしょうか? と言う様な考えをどう思いますか?と言う様な質問とご理解ください。 どうもありがとうございます。

  • JSJSJS
  • ベストアンサー率5% (1/17)
回答No.7

哲学と何の関係もない投稿ですね。 「信じる」基準を自分に見出せないのは、信じているのではなく依存しているだけ。

yuniko99
質問者

お礼

そうですか。

回答No.6

存在自体が、信じる事で生じている。 決して推測の域を出た「確かな」ものではない。 我々が“目にしている”のは、網膜上の視細胞の光受容 分子が受ける光子(量子)に他ならない。 その量子相互作用パターンに対し、過去の五感の伴った 経験の蓄積によって他の(より直接的・生理的な)感覚 の記憶を励起する事で、“そこに行けば何が起きるか”を 予測する事が、空間的広がりの本質である。 そこにあるのは、経験による予測であり、「信じている」 に過ぎない。 その結果として、電磁波の波長の連続的な変化に過ぎない ものの上に、「赤は青の反対」といった色彩を生じている。 人間を信じるのは、その性質=センスや思想信条を把握し、 その行動パターンが充分よめ、自己の意志の発露の延長に 組み入れる事が可能ならば、「信じられる」と言える。

yuniko99
質問者

お礼

成る程。言葉が難しいので 成る程 と思うのですが 何かスッキリわからない。 人を信じるのはセンスや思想信条を把握し、自己の意志・・に組み入れることが可能なら「信じられる」 と言う事は信じる事もありという事ではありますよね。 その信じるという事に必要な条件が書いてあると見なせばいいのでしょうか? 言葉が難しいので 分かったような気がします。 どうも大変ありがとうございます。

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