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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:誰か「存在」を定義して頂けませんか?)

存在の定義とは?センセーショナルなタイトルを考える

日比野 暉彦(@bragelonne)の回答

回答No.5

 こんにちは。  1. 《存在》とは何かについては おそらく人間という存在にかんして人間の側からどう捉えるかを語るしかないように思われます。  2. ヘーゲルの次の命題は いい定義ではないかと考えます。  ◆ (ヘーゲル:法の哲学の講義録より) ~~~~~~~~  無限なものと 有限なものとの一体性・・・この矛盾・・・は   どんな自然的なものも自分のなかにこれを持ってはいない   ないしはこれを 我慢できないであろうが   この矛盾を持ちこたえることができるのが   人格(* ――もしくはふつうに《人間存在》――)の高さである。   (『法の哲学』 §35追加 藤野渉・赤澤正敏訳 1967)  ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~  3. つまりその《あたかも時間の高さ》を容れた時間的なるものが 人間です。  4. 存在をいわゆる実存としてみれば もうそれでおしまいです。  5. もし存在を広義の用語とすれば それは狭義の存在とそして存在する者とに分けられます。それらふたつは ヘーゲルの《無限なものと有限なもの》にそれぞれ対応します。  6. ただし ヘーゲルに従えば 人間は《無限なもの(狭義の存在)と有限なもの(存在者)との――矛盾を容れつつも―― 一体なる〈わたし〉》であるようですから 言わばまぼろしの《存在》なる概念を切り離して必要以上に追い求めることもないはずです。  7. 世界が観測と認識によってあたかも存在すると見るばあい それでもその観測し認識する行為の主体は 誰か? という問題がのこります。  8. 認識する能力とその主体 あるいは 認識するわれと対象との関係 これは すでに世界の一部を成しているのであるが どのように存在するように成ったか? という問題です。  9. つまりそのように問題がのこりナゾをみちびき出すとしたら 自然科学の知力にとっても けっきょく《有限なもの‐無限なもの》という矛盾をはらむ一体性が当てはまります。ナゾが 無限なもの――狭義の存在――になるはずです。  10. 無限なものなどは 無い。無である。という見解があったとすれば そのような存在論も まったく同じくヘーゲルの存在観の内に含まれます。   《有限なもの ‐ 無限なもの(有る無限 または 無い無限)》としての矛盾かつ一体性  という大きな存在観です。無限が有るか無いか これは 人間には決められません。(しかも・あるいはそれゆえ 主観としては 自由にどちらかを――そうしようと思えば――選べることになっています)。  11. ★ 例えば酸素分子は存在するのか? 鎌やスコップは存在するか? 動物は、人間は存在するか? / 宇宙は存在するのか?  ☆ 人間以外のそれとしての存在については 人間がみんなでともに世界にまなびつつ修正しつつ規定する内容として捉えて行くよりほかに仕方がないように思います。  12. ★ 精神は存在するのか?  ☆ 人間は 身と心(身体と精神)とをそなえて生まれてくる実存です。精神が精神するかたちで いまこのように議論しているような存在論をいろいろに模索しています。  13. この人間観にもとづくかぎりでは 《性質》とは この精神が勤勉であったり怠惰であったりするクセのことを言うのが ふつうだと思います。精神のクセや特徴というのではなく 《性質》をほとんど存在と肩を並べる概念として推し出すあたらしい理論ということであれば しっかりとした定義とその理論説明が必要であると思います。

yuniko99
質問者

お礼

哲学用語が歴史的な言葉になって なんか宗教のような感じになっているのが 科学との違いで 哲学が発展しにくいのではと思います。 性質は普通の字義通りの性質でもあります。存在が無限か有限か? 宇宙が無限かどうか分からないとしたらその無限なるものを「存在」と呼ぶのはおかしいですねえ むしろ有限な動植物や車とかの存在を「存在」と呼ばないと 無限なものなんて特別なものだから 無限存在とでも呼べばいいのであって、酸素分子まで「存在者」なんて おかしいですよ。それじゃ哲学は裸の王様です。 我々は無限なものを見たことはありません 無限だとしても認知できないのです。 概念としては無限というものはありますが 現実にはありません。 無限だという可能性はあります。 ですから我々は有限なものを「存在」と捉えなければなりません。在るかどうか分からないものを「存在」と呼べば それは内容がなく空虚という気にもなるでしょう。 マルティン・ルター等が宗教改革を起こした様に 我々も哲学改革を起こさなければなりません。 私がある大学に電話して 哲学の教授と話したら 「あなたの専門はなんですか?私はトインビー専門なので 他の事は分かりません」と言われました。 まあ 話したくなかったのでしょうけど しかしそれじゃあ話になりません 21世紀の人間が20世紀や19世紀以前の哲学者専門なんて 考古学じゃないんだから 現代に通用する哲学思想を配信しなければなりません じゃないと人々は何を信じて生きるのですか?それこそ昔々の宗教ですか? いま思想がないのです。それで人々はバラバラで 世界も一つになりません 宗教も一つにならないのです。 今や哲学で宗教を変えなければならない時代になりました 古い宗教・哲学にしがみつく時代であってはいけないのです。 どうも大変ありがとうございます。

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