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情報の島の仮説と普遍的な部分、相対的な部分
- 情報の島にひたると井の中の蛙になります。けれど実際はニューケインジアンのとおり、情報の島に住んでいるように思えます。
- 思考でなくても、自然犯は戦争やある事情以外は殺人や窃盗は人間社会でよくないですし、あるいは思想や人間関係などの世界は現時点でのものであったり、絶対的なものってわからないので相対的であったりもするかと思います。
- 価値観のゆらぐ現代ですけど、相対的普遍的なものは何かあるいは情報の島の島民とすればどのような生き方が最適なのでしょう?知っている情報の中で正しいにぎないのでしょうし。
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不変的な部分は、下の図で示すように、形而上学的な作用が大きいのです。 人間の感覚は、匂いや皮膚からの刺激、そしてそこに生活する人の行動から受ける印象や風習などに敏感であるのに対し コンピューターを通して伝えられる、他の島からの情報から得る感覚は、それらが伝わらないうえに、たとえ情報の操作があっても、それが暴かれるまでの間だけ通用してしまう。 形而上学的に見れば、島が離れているからこそ、安らぎと平和がもたらされるのであって、 他の島を気にしないという選択もあるのです。自分の環境を守ることが結果的に被害の拡大を防ぐこともあります。実社会では判断が重要で、それは普遍的な相互作用を受けつつ相対的に比較処理されます。 決してT字人間が優れているわけではないのです。というのは、あなたがおっしゃる通り、横に時間軸を設定した場合には固定された観測点が果てしなく必要で、横に空間軸を設定した場合には情報が時間的に劣化し、それをカバーしようとして情報のナマ噛みが発生します。それがいかに危険かを考えればわかりますね。情報は一旦蓄積して他の情報と比較し是非を問わなければなりません。それが一過性の情報を回避するのに有効だからです。でも危険と発展は切り離せないものがあるので、アマ噛みも一役買っているとはいえないこともないです。 私は情報収集の仕事には向いていないので、あなたどうぞ経済活動に応用して発展させて儲けてください。あなたに期待してますよ。
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- 雪中庵(@psytex)
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たとえば脳の保持し得る情報量は、ニューロンとその先端 のシナプス結合のON-OFF(=1ビット)の数に依存する。 しかし、その脳自身の情報量は、脳の質量をエネルギーの 最小単位であるプランク質量で割った数であり、当然、 シナプス結合の数よりはるかに大きい数なので、脳は脳 自身の情報量も「完全」に把握する事はできない。 まして脳を含む環境の情報量=全宇宙の質量をプランク 質量で割った数など、論外である。