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中央集権大和王朝が大和だった理由は何ですか?
古代日本の王朝は大和(近畿地方)に集結して中央集権国家を作りました 大和は都が東京に遷るまで日本の政治権力の中枢でした 天孫降臨の高千穂がある九州や 神が集まる出雲など 大王の権力を誇示するならこれらの地域のほうがはるかに良い気がしますが 何故 古代日本はヤマトに権力の場を定めたのでしょうか?
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- 441moe
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当時の日本は、現在のアフガニスタン同様、各部族国家が分散した状態で、ヤマトの部族連合が一番大きくなった為でしょう。大阪府内にも多くの稜が残っています。中央集権に近く国と認識されるのはもっと後でしょう。 邪馬壹国の所在考えれば、半数以上の学者が大嘘ついて、学生に大嘘ついて金稼いでいるのが考古学会です。 馬鹿学者の嘘基準に考察するのでなく、現存資料(当然事実でないのもあります)だけが事実です、ですから「何故」は単なる想像だけです。 どうせ嘘なら作家の嘘の方が面白いです。 見ていた人は生きていません。
明治時代に、天皇を核に中央集権国家を作る際に、理屈付けが便利だったからです。 日本の歴史のほとんどは、明治期に作られたものです。
- eroero4649
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なんとなく、azukiさんが歴史カテで質問するときは分かってて聞いてるような気がしてならないのですが、大和政権が神武東征で(逃げてきたのだか侵略したのかは分かりませんが)西からやってきた勢力が大和に地場を築いて成立した勢力ならば、「征服した土地に首都を置け」の原則に従ったのだと思います。 ご存じのように、織田信長は自分の勢力の範囲が広がるにつれ、清州⇒岐阜⇒安土と自分の居場所を前(京都により近い場所)に前にと進めました。徳川家康は晩年を駿府城で過ごし、岡崎、浜松など静岡の地をこよなく愛していたにも関わらず首都は江戸に定めました。源頼朝さんだって元は関西の人なのに、東武士の頭領という立場上キャバクラ幕府は守りやすいけどどえらく不便な鎌倉に作りました。クビライも、元の建国に伴って首都をより中原に近い北京に前進させましたからね。 北九州は朝鮮半島から近すぎて影響を受けすぎるというのがあるでしょう。まだ当時は日本より優れていたところがあった朝鮮王朝からすれば、北九州なら対馬海峡を挟んで海の向こう岸だから、情報も早いし様々な政治的介入も簡単だったと思います。 山陰地方は、他の地方との拡張性に著しく欠けるところがありますよね。ほぼ日本海による海ルート一本ですものね。中国山地がすぐ目の前にあって、南部への拡張性がないし連絡路もとれない。出雲だと朝鮮半島と海峡一本だから介入も受けやすいですしね。 それに比べると近畿地方は内海で気候も安定しており、日本列島の交通の交差点と呼ぶにふさわしい場所です。朝鮮半島からも離れていて情報の伝達に時間がかかり、つまり朝鮮半島からの政治的介入も時間がかかって限定的であったというのもあったのではないでしょうかね。宮崎県辺りはあまりに交通に不便で中心地たりえないでしょう。今でも都道府県の中で最も地味な県のひとつですからね(島根・鳥取は「マイナー界の超メジャー」です)。 そう考えると、淀川沿岸である京都から大阪にかけてが日本の政治・経済の中心地だったということは当然というか必然とさえいえるところだと思いますが、じゃあなぜ最初から難波・京都ではなく飛鳥地方からなのかってところですわね、問題は。 ここから先は私の推測になりますが、弥生時代から古墳時代にかけては河内地方に河内湖と呼ばれる巨大な淡水湖があったそうで、海岸線も今よりずっと内陸側でした。交通の便などを考えたら、当然淀川沿いがいいに決まっていますが、ここは古い時代から有力な勢力が根付いていたのではないでしょうか。 一方、南部(飛鳥地方)は大きな河川がなかったのであまり発達しておらず、それゆえに征服もしやすかったというのはあったのではないかなあ。そして淀川沿いの大阪あたりはちょっと台風でも来たら水害がすごかったと思うので、防災という点からも南部のほうが洪水被害が少なかったと思います。紀伊山地で背後を守られ、鈴鹿関さえ抑えれば東国の侵略からも身を守れる。首都としては都合が良かったのだと思います。 海岸線の後退と河内湖の縮小・消失によって奈良盆地は「単なる内陸の盆地」となり、経済の中心地とはなりえず、京都・大阪ラインに政治と経済の中心地は移ることになるのだと思います。大きな河川がなかったというのも大きかったのではないでしょうかね。河川がないと大都市の人口を支える飲料水が確保できませんし、周辺から食料も船で輸送できませんからね。
- oska
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>何故 古代日本はヤマトに権力の場を定めたのでしょうか? 他にも回答がありますが、ヤマト地方には「既に、国家」が誕生していた様です。 ニギハヤヒを長(オサ)とした国ですね。 ※東日本に多くある「氷川(河)神社の祭神」が、ニギハヤヒ系の神々です。 ここには、出雲・吉備・北陸をはじめ多くの地域と交流が既にあった様です。 ※出雲大社の祭神である大国主命も、(出雲の国譲り前なので)ヤマトに館を構えていました。 九州での戦いに敗れた神武は、逃亡先を探していました。 そこへ、塩土老翁(しおつつのおじ)が「東に、栄えた国があります。打ち取り(侵略)しましよう」と神武に提案します。 神武はこの提案を受け入れ、ヤマト侵略を実行します(神武東征) 流石にヤマトの防備は完璧で、敗戦につぐ敗戦。熊襲にも、完敗しています。 ※近畿各地に「元(伊勢)神宮という神社・神社後が多いのが、証拠」という説も有り。 ※ヤマトを一度の攻撃で征服出来れば、(伊勢)神宮は一か所で良いですよね。 ※何も、各地をテンテンとする必要はありません。 何度も攻略して、やっと成功。ニギハヤヒ一族は、東国へ亡命します。 ※先に書いた、氷川(河)神社が関東近辺に多い理由。 ※近畿の氷川(河)神社境内は、(伊勢)神宮に乗っ取られ「客神」扱いとなり(広大な境内で)小さな祠として辛うじて存在。 新たな支配者は、前支配者が残した組織を活用します。 ヤマトの組織などを、神武系も再活用した事でしよう。 日本が朝鮮併合後も、京城(ソウル)の組織を再活用しています。 日本の敗戦後、GHQもそのまま東京を利用しましたよね。^^; 新たに政治・経済組織を作るよりも、乗っ取る方が確実です。
- titelist1
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邪馬台国はやまと国で大和だと思っています。中国の魏から倭国の国王と呼ばれた国が大和なのです。小国乱立のなかで勝ち残り君臨できたことが中央集権国家になった理由と思います。 何故に大和が発展できたのか。西に生駒山があり山に囲まれ交通の便では飛鳥の地は立地の良いところではありません。そのことが倭国の大乱で飛鳥が要塞堅固であるゆえに生き残れたと言われています。大和王の血筋が途絶えて即位した継体天皇期に王位継承に異論を唱えた北九州の豪族である磐井との戦いに勝ったことで大和の地位が確立しました。 大和は一番最後に日本に渡来した勢力だと思います。早い時期ほど北九州や日本海側に渡来しているはずです。一番遅い勢力ほど朝鮮半島との結びつきが強かったと思います。多くの渡来人は大和にやって来たのです。日本で一番の 文明地域になったと思います。そして東の蝦夷地を支配することで強国になっていったと思います。
- zkxzm4kz
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古代史は歴史書が残っているもの勝ちの部分があるので 古事記、日本書紀があるので大和朝廷が中央と認識されていますが 当時のほかの地域はそんなふうにはおもってなかったでしょう。 それと、最終的に戦争や侵略に勝ったので他の地域が大和に隷属していったわけです。 大和武尊の遠征も何人かの侵略史を統合したものと思われます。 ただ、現在の近畿圏は天皇家と豪族の連合体でしたが、 九州はまた別でしたし、東北が侵略され尽くすまではまだまだ時間がかかりました。
- chiha2525_
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記紀によれば、宮崎を追い出されて保護してくれた勢力が、岡山の向こうならうちらのじゃないから好きにしていいよとやっかい払いされ、大阪に乗り込むも返り討ちにあい、逃げて和歌山で遭難し、山賊みたいなことをしてるうちに奈良に足場となる土地ができたので、そこから発展させていきました。 最近では考古学から、そこそこ大きな市場が出来て交易などが盛んであったようなので、九州に負けないほどの発展が出来たなどと考えられているんじゃなかったかな。名古屋~静岡辺りが意外と人口が多かったらしく、そことの交易が大きかったとか聞いたことがあるような。 あと集結して作ったのではないよ、そこの勢力が結果的に勢力を伸ばして日本を支配しただけ。 中国の書籍には、日本は(それまで中国で知られていた九州中心の)倭とは別の勢力が倭を統合して成った国である、と正確な記述がされています。(多くの人は、まだこれを正確な記述だと気が付いていないですが)
- itaitatk
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中央集権国家を持った国が近畿地方にあったため、そこで受け継がれていったためだと思います
お礼
その近畿に集結した理由です… 当時は国なんて各地にありましたし 何も大和に大王が居たわけでも無いと思います
お礼
すみません 古代は専門外なので本当に分からずに質問してます 分かってて 回答者の力量試しで質問立てるのは戦国時代ぐらいですね