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「思案六法」の由来は?

「思案六法」という言い方の由来がお分かりでしたら、 よろしくお願いします。 「元々は、思案"六方"で、」とかでしょうか? --

みんなの回答

  • gekkamuka
  • ベストアンサー率44% (138/309)
回答No.3

 #2 です。 >『「張り札」と「打ち札」の2枚の数字を足した下一桁が「六」の時に、"3枚目" を引くかどうかが思案のしどころ』 >というのが正しいようですね。  「カブ賭博」の方法にもいろいろあるようですが、ヤクザの例で上げたのは「三枚ガルタ」の場合ですが、この「思案六法」がどんな「カブ賭博」由来なのかは、不案内な分野なので良く分かりません。  私自身は密かに、目が「六」なのに<なおかつ引くかどうか悩む者>、それこそは道外れな「六法」者の始まりだぞと戒(いまし)める言葉ではないかと思ってもいるのです。ですからツイ、ヤクザと並べて見た次第です。 「六法は無法者といふ事なり、奴といふに同じ」(俚言集覧から「江戸語の辞典」引用)  ですから、そのような賭博言葉に発する用語にはどんな根拠や戒めや開き直りが篭もっているか分からない「隠語」として、通常の場面では使うのは避けておきたい類いの表現なのではないかと思われます。 なお、賭博用語系の数の符牒でも、昭和の名古屋博徒では「ろっぽん」「しちん」「ちょうべい」「かぶ」、終戦後の盛岡博徒では「ろっぽう」「しちや」「ちょうへい」「かぶ」となっていたようです。(「単位の辞典」ラテイス編)

tochinkun
質問者

お礼

ありがとうございます。 >・・ヤクザの例で上げたのは「三枚ガルタ」の場合ですが、・・ #2 でのご説明は、 "ヤクザの例で" というよりは、 最初の "札で6を引き、さて2枚目をコイコイするかどうかが思案のしどころ。" というお話自体が、「三枚ガルタ」を念頭に書かれたんだろうと思います。 一方、参考に挙げていただいた URL は「おいちょカブ」の話で、 その場合には、思案するのは「3枚目を引くかどうか」のようですし、 #2 のままでは、お話の組立てが少し混線した形かと思います。 ---- 私の方も、たまたま後で、  「知らない日本語 教養が試される 341 語」(谷沢栄一) という本に、この「思案六法」が載っているのに気付いたんですが、 そこでは、  「オイチョカブで、2枚の札の目が六で、   3枚目をもらうかどうかを迷う時の気持ち」 というような説明になっていました。 ---- >・・目が「六」なのに<なおかつ引くかどうか悩む者>、 >それこそは道外れな「六法」者の始まりだぞと戒(いまし)める >言葉ではないかと・・ 「オイチョカブ」であれば、2枚の札で目が六の時に、 3枚目を迷うのは普通のことでしょうし、 "道外れな" というのは、少し考え過ぎではとも思いますが。 --

  • gekkamuka
  • ベストアンサー率44% (138/309)
回答No.2

 賭博用語からのようです。 札で6を引き、さて2枚目をコイコイするかどうかが思案のしどころ。7なら止めたら賢明だから七賢とか。  一説ですが、ヤクザの語源も、 札8でおいちょになっているのに、コイコイしたら札9を引いて一枚下がりの7に。そこで止めれば七賢なのにもういっちょ、何と3札を引いて結果は0=ブタというお粗末に。そんな893札の向こう見ずを呼んだとも言われています。

参考URL:
http://www.h-eba.com/heba/gamble/main08.html
tochinkun
質問者

お礼

ありがとうございました。 意外なところから来ている言葉なんですね。 ---- それはそうと、 「"2枚目" をコイコイするかどうかが思案のしどころ」 ではなくて、 『「張り札」と「打ち札」の2枚の数字を足した下一桁が「六」の時に、 "3枚目" を引くかどうかが思案のしどころ』 というのが正しいようですね。 --

noname#118466
noname#118466
回答No.1

六方は歌舞伎で花道を通って引き上げるとき派手な所作を行うことです。通常は六方を踏みながら元気に足早に引き込見ます。そこから人があれこれ思い巡らせて決心がつかぬ顔で(思案顔で)ぐずぐずしている様子を描いた表現だと思います。六方、六法どちらも使うようです。

tochinkun
質問者

お礼

私も、歌舞伎にそういった六方(六法)があるのかと 思ったりもしてましたが、見事に "ハズレ" のようです。 まあ、おいちょかぶでは、 「六」のことを歌舞伎の六法に引っ掛けて「六法」と呼ぶようで、 全く無関係ということでもないかも知れませんが。 --

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