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プロレス

かつては「プロレスリング」と言われていたように記憶しています。レスリングとは全くルールが異なるのに、なんでそう言われるようになったのでしょうか。

みんなの回答

  • uniquepro
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回答No.2

起源の基の基から辿るとややこしくなるのですが、 「厳密には現代「プロレス」と呼ばれる競技形態の方がアマレスより早く生まれている。」 よく誤解されるのは、アマチュアレスリングからの派生系としてのプロレスという分野、という話。これは大きな間違いで、そもそもがプロレスはプロレスリングと名乗っていますが、どちらかと言えば後付けで「レスリング」と付けただけで、実際は「プロレス」という別個のものがあったという解釈もあります。アマレスが厳密に誕生したのは1900年代、20世紀に入ってからですから。アマレスと古代オリンピックにあったパンクラチオンを含む格闘術(殺し合い)は違います。 そもそも日本最古のプロレスにしても、力道山の日本プロレスではなく、江戸時代末期・黒船来航時に連れてきてたアメリカ国内や航海時の経由地で集めたあらゆる格闘技の選手と(ボクシングからキャッチレスリング(アマレスとは違う)から土着の(当然武器・凶器込み)戦闘術を持つ者まで、すべて”船員”という括りで乗船させていた。実際は各地で上陸後にファイトを路上パフォーマンスのように見せて小銭を稼ぐことを目的にしていた)、幕府が用意した「相撲使節団」の力士との間で行われた、いわゆるストリートファイトが、プロレスという競技が日本で生まれた原点だと言われています(各種文献にありましたが結果は力士の圧勝、力士1人に相手3人で歯が立たなかったそうです)。実際その頃アメリカに厳密にプロレス興行はなく、上記のようなボクサーもならず者もすべて含めて行われていた賭け格闘大会=プロレスの元祖、とされています。 ※これをサーカスの大道芸とみるか純然たる格闘技大会とみるかは各人の解釈の違いらしい。 プロレスと名乗ったのは、あくまでもベースがレスリングであったわけではなく、1800年代初めに行われた賭け興行の場で、当初からイギリスのキャッチレスリング(ランカシャースタイル)の選手が強豪として存在していたことと、元々当時のボクシング自体が現代の「プロレスの反則技(噛みつき・目つぶし・指極め・急所攻撃・顔面踏みつけなど)」と同じ技を使っていたため、ボクシングvsレスリング(&ケンカ)が競技・興行として成立した、という背景もあります。 要するに強かったのがキャッチレスリングの選手だったから「プロレス(リング)」となっただけ。仮に殴り合うボクシングスタイルの選手が強豪となっていたら、今のプロレスが「プロボクシング」(当然ですが当時厳密なプロフェッショナルボクシングの組織・団体は存在しない)となっていたはずです。 アマレスからプロレスにつながるのは、あくまでもその「技術・技法」だけで、ルールは当初アマチュアレスリングとは似ても似つかぬものだった(KOが基本で、後に戦意喪失ルールが加わった)。よって、アマレス・プロレスに秒数は違うものの共に存在する「フォール」については、起源が全く違うので名前が同じ別の物、というのが現在の評価です。 ※だからこそプロレスのフォールはかつてのNWA・全日本(ジョー樋口系)のゆったりした3カウントから、WWWF・新日本(特に山本小鉄がレフェリングの場合)の等間隔の比較的早めのカウント、さらにギミックとしての「超高速・超遅延カウント」も、プロレス上はまったくルール違反ではありません。3カウント以外のルールは一切ないのです。

tzd78886
質問者

お礼

有難うございます。そんな歴史があったのですね。

回答No.1

顔面へのグーパンチやキックが禁止(一応、反則)されていて、組技系としてのルールは同じ。背中(両肩)がマットに着くと負けというのも同じ。 だからこそ、大学レスリング部出身のプロレスラーも大勢いる。中大の鶴田(全日)、専大の長州(新日)、秋山(全日社長)がアマレス出身者。

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