• ベストアンサー

自由意志は錯覚か?

脳科学者の間では、自由意志(自分の行動を自分自身が決定しているという感覚)は錯覚であるという考えが広まりつつあるようです。 私は、次のような実験が将来技術的に可能になるだろうと予想しています。 被験者の脳に機械を取り付け、外部から「右足を上げろ」という信号を送り、その通りに右足を上げさせる。しかも被験者に自分の自由意志でそれを行ったと錯覚させる。 もし本当にこのような実験が実現したとしたら、皆さんは自由意志が錯覚だということを認めますか? それとも飽くまで「いや、今のは機械で操作されて騙されたが、普段はこんな機械つけていない。普段俺が感じているのは本物の自由意志だ」と主張されますか?

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
回答No.11

やっていることは、 脳の特定部位を電気的刺激を与えるなどすると、ホニャララの反応が起きるということと基本的に同じでしょう。 この電気的な刺激が信号に置き換わっただけ。 このような実験で分かるのは、あくまで刺激とその刺激に対する反応の経路と過程です。 「右の手をあげる」という意志決定のプロセスとは何の関係もありません。 自由意志の議論で大切なのは、この意志決定のプロセスです。 もし意志決定が原因→結果という因果律にのみしたがっているのであれば、 「右手を上げる」という意志の決定は、先行する事象によってなされるのであり、その意志決定は必然的なもので、そこに自由はない、となります。 極論をするならば、宇宙誕生の瞬間に、その人がその時に「右手を上げる」ということが決定されている、と言ってもいい。  ───こういう考え方を「かたい決定論」といいます─── あるいは、こう言ってもいいでしょうね。 この実験の被験者はただの物理的対象で、装置に過ぎない。 そして、 自由意志で問題になるのは、「何故、被験者の右手をあげさせよう」と、その実験を行う人が考えたか? 左手でもよかったのに、なぜ、右手なのか? ───このとき「左手を上げさせる」という選択の余地があってはいけない。絶対に右手でなければならない。このことを証明しなければならない─── そもそも、なぜ、この様な実験を行おうと思ったのか? このような実験を行うことは、この実験を行なうはるか以前に決定されていた(orもしくはこのことは完全に予測できる、予言でできた)のか? である。

全文を見る
すると、全ての回答が全文表示されます。

その他の回答 (11)

noname#212313
noname#212313
回答No.1

>もし本当にこのような実験が実現したとしたら、皆さんは自由意志が錯覚だということを認めますか?  自由意志と錯覚して他人に動かされてしまうという実験でしかありません。既にそのことは、催眠、洗脳、マインドコントロールなどで知られています。さらに、 >被験者の脳に機械を取り付け、外部から「右足を上げろ」という信号を送り、その通りに右足を上げさせる。しかも被験者に自分の自由意志でそれを行ったと錯覚させる。 という実験は既に行われています。足ではなく手ですが。刺激がない状態では右手使用率6割だったのを、脳のある部位への刺激で左手使用率8割になったとされています。被験者は自分の意思で手を動かしたという確信があったともされています。  それでも自由意志の有無については検証と議論が継続されています。今さら手垢の付いた議論を蒸し返しても、何も得られないでしょうね。

paraspor
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 すでに実験はされていたのですね。 手垢のついた議論を蒸し返してああだこうだいうのも哲学カテの楽しみ方の1つ、ご容赦ください。

全文を見る
すると、全ての回答が全文表示されます。

関連するQ&A

  • 自由意志は存在しない 脳科学の常識ですか? 

    自由意志は存在しない 脳のニューロンや 脳内化学物質が行動を決めるのでしょうか? ______________ リベットは、自由意志が存在するかどうかを確かめようと思って、 「被験者に好きなときに手首を動かしてもらい、その時の脳活動を観察する」実験を行いました。 しかし、結果は一般の常識とは違ったものでした。 被験者が「動かそう」と意識する約0.5~1秒前に、 脳が手を動かす「準備」を始めていることが明らかになったのです。 このことは、意識は、無意識に脳がすでに行ったことを、 遅れて認識したにすぎないということを意味します。 どうやら自由意志というのは存在しないというのは、ほぼ脳科学の定説と見てよい。 本当は「自由意志」なんて無い?~常識を覆す脳の話~ - NAVER まとめ <http://matome.naver.jp/odai/2136826856775566301> 「自由意志」は存在する(ただし、ほんの0.2秒間だけ):研究結果|WIRED.jp <http://wired.jp/2016/06/13/free-will-research/> リベットは、自由意志が存在するかどうかを確かめようと思って、 「被験者に好きなときに手首を動かしてもらい、その時の脳活動を観察する」実験を行いました。 しかし、結果は一般の常識とは違ったものでした。 被験者が「動かそう」と意識する約0.5~1秒前に、 脳が手を動かす「準備」を始めていることが明らかになったのです。 このことは、意識は、無意識に脳がすでに行ったことを、 遅れて認識したにすぎないということを意味します。 どうやら自由意志というのは存在しないというのは、ほぼ脳科学の定説と見てよい。 本当は「自由意志」なんて無い?~常識を覆す脳の話~ - NAVER まとめ <http://matome.naver.jp/odai/2136826856775566301> 「自由意志」は存在する(ただし、ほんの0.2秒間だけ):研究結果|WIRED.jp <http://wired.jp/2016/06/13/free-will-research/>

  • 自由意志は何が決めてですか?

    自由意志なんてのは、非科学的な心の副産物で、幻想だと思っています。 なぜなら、この質問を見るまであなたは、明日の行動さえ変えられなかったでしょう。 心は、脳の幻想であり、あなたの行動は、資質、環境、経験によって、すべて決まってるんですよ。 これは純然たる事実だと思うのですが、否定派も多いので、否定派の方々に質問です。 自由意志は、何が決め手で自由意志があるというのでしょうか? 例えば、昆虫や、魚、鳥、犬、猫、猿、他の動物には自由意志はありますか? また、赤ちゃんや、脳に障害を持たれている方には、自由意志はありますか?

  • 人間に自由意志はあると思いますか?

    こんな質問はおそらく科学的には答えられないことであって、哲学の問題なのかもしれません。でも、哲学のカテゴリーで質問すると、あまり根拠のない私見しか得られなくなりそうなので、こちらで質問します。 なるべく科学的・実験的な根拠を基にした意見を下さい。もちろん、はっきりとした答えは求めてません。ある程度の根拠を基にしたうえであれば、自分の意見でかまいません。見識深い皆さんはどうお考えか教えてください。 ちなみに、私は・・・わかりません。でも、脳だって物質から出来ているのだから物理法則は免れないはずなので、自由意志なるものが介在しえるのかなぁと思います。

  • 自由意志ってなんですかね?

    自由意志ってなんですかね? 例えば、あなたは明日食べるものを、自由に決められましたか? ただし、この質問を見るまで。 どいうのも、じゃー、あえて変えてやるよ!って人が現れるが、それさえも、私の質問を見たから変化しただけであって、この質問を見るまでは、変わらなかったでしょに。 お弁当を作るのなら、冷蔵庫にあるものか、朝の時点で冷蔵庫にあり、朝の時間でできるものでしょ。 突然、新料理に挑戦っ!ってこともほぼないだろうし。 コンビニで買う人も、好物か、それとも暑さであっさりしたものになるかは、人それぞれですが、個人に関しては自由なんてのはなく、金銭的だったり、嗜好だったり、過去の体験だったりで、結局はそれで、決定するのでは? じゃー、サイコロで選択すればっ!って場合も、サイコロはバタフライ効果やカオス理論やらで、再現できないランダムでしょうが、そこに意志なんかないでしょうに。 好きな人だって、大脳生理学や心理学で説明できたりするわけでしょ? それが意識か無意識かはわからないし、もっと生物学的な理由かもしれませんが、どちらにしたって自由なんてないわけです。 「じゃー、好き勝手自堕落に生きてもいいの?」といえば、それはNOで、好き勝手生きれば社会的に制裁をうけるようになっているわけですよ。 たとえ犯罪者が、選択がない状態であったとしても、社会的に問題があれば隔離されたり、排斥されるわけです。 スタートレックでさー、ある囚人が、実は脳の障害によって暴力的になっていて、障害を取り除けば、犯罪は犯さないだろうって話がありまして。 もちろん、その人は、自分が選んで、自分の自由意志で犯罪を犯していたんでしょうが、それは脳の障害だったわけですよ。 病気のせいだったわけですが、たとえ病気だとしても社会的には邪魔なので、隔離される。 で、自由意志ってなんですかね?

  • 不確定性原理と自由意志 運命

    不確定性原理っていうものは決定論を完全に否定できてますか? 不確定性原理と自由意志との関連性は何ですか? 不確定性原理って人間が観測不可能なので不確定って言ってるだけで、実際にはある法則があるんじゃないですか? 無から有はできませんよね?原因なしで結果があるってのはおかしい気がします。 例えばAとBになる確率が半々だとして、Aになったとします。 じゃあ、何故Aになったの?という問いに対して、そこだけ空白になってしまいますよね。 自由意思存在の正否は、「未来が観測可能か」か、はたまた「未来は観測不可能であるか」か、このふたつだけに依存しているとしたら、 実際には決まってるかもしれないけど(いや、決まってるんだと思います)、自分たちが観測できないだけってことになるじゃないですか。 行動っていうのは その人の脳の構造(性質)と外界からの情報の受信で化学反応を起こし、起きるものだと思うんですけど、 それは自由に起こしたものではなくて、法則に従った=決定された ものですよね? 脳の化学反応によって起きる意思決定は物理法則に従ってますよね・・? 僕は自分の脳の性質にしたがって思考をしていますし、行動も明らかに周りの出来事や情報に左右されているのを日常で実感しています。 原因なしの行動はありえません。 ないとすれば、人間の思考だけこの世の法則を無視した非科学的なものになってしまいます。 全ての事柄は原因=結果=必然なんじゃないですか? 人々は自由ではなく縛られた中で、その行動の原因や要因を認識していないので自由のように錯覚しているだけのような気がします。 そもそも自由意志の定義って何ですか? 質問がたくさんあってすいません 物理学は全く分からないので、数式や専門的な言葉は分かりませが、よろしくお願いします。

  • 自由意志やクオリアも錯覚で、生命とは化学反応にすぎないですよね。

    自由意志やクオリアも錯覚で、生命とは化学反応にすぎないですよね。 あらゆる物事は不確定要素により予測できないと言いますが 予測できないだけで、それも部屋にばらまいたピンポン玉のはね方にすぎないのでは? そこに生命の素晴らしさはあるのでしょうか?たまたまの結果に。 だから何十億年にもわたる生命の歴史も長時間かかった物質の化学反応にすぎないですよね。 科学など物事の性質を抽出して法則を記述したものにすぎないと言いますが、そんなものにすら人間の精神活動さえも逆に記述されてしまってるじゃないですか。 また、生命及び精神活動が科学的に解明されても、仕組みが分かっただけで本質(中身?)は分からないと言いますが、中身なんてないんじゃないでしょうか? 精神活動などあみだくじのようなもので、ある入力がされたらある出力がされるだけで 自我とかそんなものはないんじゃないですか? 何をしても楽しくありませんが、音楽を聴いたり夜景を見たりすると一瞬ホッとします。 しかし、この気持ちも遺伝子にプログラミングされた化学反応だと直ぐに気づき、我に返り絶望します。 http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1446702309 以前yahoo知恵袋で質問していたものです。全ての回答者さんに返信したいのでこちらに来ました。 考えすぎて気が狂いそうになったのでジョギングしたり家にあった精神安定剤を飲みました。 落ち着いて考えてみてもやはり自殺しか頭に浮かびません。 気を紛らわしてどうこうという問題ではないので理屈で僕の意見を否定してください。 よろしくお願いします。

  • 自由な選択が起こりえる・・・、という仮設、論拠は?

    自由意志による、自由な選択が起こりえる・・・、という仮設、論拠は? wikiより抜粋 物理学:一般的に、「意志は脳の働き」であり、かつ、「脳が物理法則に従う」ならば自由意志はないと考えるのが適当である。 意思というのは、脳によって生じる。 脳が物理法則に従うのなら、自由意志はない。 というのは、推論、論拠、仮説と言えますよね? 「神は、我々に自由意思を与えたのだから、ある!」とか、「主観的に、あると思うんだからある。」というのは、科学的な論拠、仮説ではない。 また、決定論は「不確定性原理」によって、否定されたのだ!というのも、「不確定性原理」が働くのはミクロの世界であって、マクロで生きている我々には、ほぼ関係がないし、仮にあると言っても、「あなたの行動が意思ではなく、ランダム性が加わった。」というだけ。 道徳や法律的には、自由意志による自由な選択がなければ、問題が起きるのもわかるが、知りたいのは、なにか私の知らない、自由意志があり自由な選択ができるという論拠、仮説って出てますか? 一応書くが。 運命論や宿命論はオカルト。 決定論は、自然科学の中の哲学。 で、全く別物です。

  • 本格小説と自由意志について

     (α) ルーテル( Martin Luther )に《奴隷意志》の議論があるようです。  ▲ ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~  ルターは《人間の意志 voluntas hominis 》が《奴隷的で囚われたもの serva et captiva 》であると主張するが それは人は外からの《強制 coactio 》によって 嫌々ながら何かを意志するという意味ではない。意志が意志であるためには そこに自発性がなんらかなければならない。奴隷的であると言うのは 人間の意志が悪へと向かい 善に向かうことのない状態にある という意味においてである。  (清水哲郎:ルター in 伊藤博明編『哲学の歴史 第四巻 ルネサンス』2007)  ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~  (β) これゆえ 文学において《本格小説》と称する行き方は あたかもみづからの意志をいわば中立として 作者でありつつも観察者の立ち場に徹して物語を編んでいく――と言うのでしょうか?    これが問いです。  (γ) わたしの考えは   ▲ 奴隷的であると言うのは 人間の意志が悪へと向かい 善に向かうことのない状態にある という意味においてである。  ☆ というまでに突き詰めては考えていません。仮りに《悪へと向か》うかどうかは別としうるならば別として単純に言って人間の意志がそのままでは《善に向かうことのない状態にある》としますと それでも その認識に伴なうへりくだりをとおしてゆくゆくはかえって自由意志が建てられて行く――こう見とおしています。  ですから結論づけるなら  (δ) 中立の観察者の立ち場に立てなくてもよい。そうではなく 《作者》はあってよい。主観が顔を出してよい。この主観のうちに建てられて行く自由意志に沿って 物語を編む ないし 自己表現を推し進めて行く これでよい。たとえ挟雑物が交じって来ても 基本の歩みを歩み( basis )としてあたかも悪とともに進んでよい。  ☆ こう考えます。《あたかも悪(または 毒麦)とともに》というのは 社会にあって自分を含めた人びととともにという意味です。  (ε) ちなみに ルーテルはたとえばこう考えたようです。  ▲ われわれの行為なしに恩恵と信が注ぎ込まれ それが注ぎ込まれたうえで行為が生じる。(『ハイデルベルク討論』=前掲・清水)  ☆ 前半すなわち《われわれの行為なしに恩恵と信が注ぎ込まれ》というところが 《私心をあたかも蒸発させ観察者であることをつらぬく》につながると思われます。わたくしは 後半の部分つまり《恩恵と信が注ぎ込まれたうえで行為が生じる》のほうに重きを置きたい――こう思います。かえって自由意志が建てられるという希望です。  これは 一文の全体として つながった過程であることに間違いはないでしょう。  やや不案内のところがあると思いますが 自由なご見解をおしえてください。

  • 世論操作の手法で、限定した選択肢を用意してあたかも自由意志で選んだと民衆に錯覚させながら誘導する行為の名称は?

    以前、ウィキペディアで見た記憶があります。 国家が、あらかじめ市民が選べる選択肢を恣意的に限定し、あたかも自分が自由意志で選んだかのような錯覚を与えつつ、世論、市民運動などを誘導するという政治手法が存在します。 こうした手法の名称をご教示下さい。 ウィキペディアで、世論操作、プロパガンダなどのキーワードで調べましたけれど、どうしてもたどり着けませんでした。 よろしくお願いします。

  • リベットの実験の論文のリファレンス

    脳科学の分野で、自由意志との関わりで、アメリカの神経生物学者ペンジャミン・リベットの実験がよく引用されます。準備電位が・・・・の実験です。有名な実験なので、専門家の方はご存知だと思うのですが、この実験の論文がどこのジャーナルにいつ載ったのか教えていただけないでしょうか? リファレンスをお願いします。