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哲学に人生を賭けるのは愚かか?
- 私は思春期に色々と考えて哲学を極めないと世界は良くならないと思いました。
- 私はそんなに優秀ではありませんので違う方法を取った訳です。
- 病人の為短文でご感想などお聞かせください。
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質問者が選んだベストアンサー
自身の生の価値を他者に委ねると・・・。 質問者がこの質問をし、そして、多くの回答が寄せられているのですから、それだけでも質問者の生は他者の役に立っている。たとえそれが他者の暇つぶしや時間つぶしであったとしても、何かしらの便益を他者に与えている、と思いますよ。 ☆哲学に人生をかけ 病気をして無意味な一生を終えようとする私はバカだったのでしょうか? ◇これは質問者自身が判断する問いです。 他者が無意味のように判断したからといって質問者がこの判断に従う必要はありませんし、また、他者が質問者の判断を受け入れる必要もありません。 大体ですね、学問に身を捧げる人の圧倒的多数は、これといった成果をあげることなく、儚く去っていくものです。歴史にその名と業績が残せる人は極一部です。それでも身を焦がすような、デモニッシュな衝動に突き動かされ、真理探求のために身を捧げるんですよ。 この哲学カテの名物である、 ブラゲロ、仮面ライダー、アルケ~を見よ!! 他の人にバカにされ、〈き〉印扱いをされつつも、「病院に行け」、「薬を飲め」と論われながら、その雑音に臆することなく、己れの信じる道、そして、真理を目指しているではないか。 この行為を笑いたい奴には笑わせればいいのです。 質問者は、まず、ブラゲロ、仮面ライダー、アルケ~の揺るがない信念と態度を見習うべきです。 慰めの言葉はこよなく甘美であるが、同時にこの上なく甘い自己堕落への悪魔の囁きあり、悪魔の誘惑。 哲学において、もっとも唾棄すべきものです。 慰めの言葉を求めてはいけない。
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- Nakay702
- ベストアンサー率79% (9997/12500)
日常の些事にかまけておりまして、危うくこのすてきなご質問を見逃してしまうところでした。いつも、質問者様の真摯な姿勢に、陰ながら敬服申しあげております。この喧騒の時代・世間・サイト上に、一服の清涼感と安らぎを与えてくださって、ありがとうございます。まずは、そのことを祝福・お礼申しあげます。 >哲学に人生をかけ 病気をして無意味な一生を終えようとする私はバカだったのでしょうか? ⇒絶対そんなことはないと思います。アブラハム・マズローの「欲求階層説」というのがあります。「明日のパン・身の安全・家族や知人の愛・地位や名声」までの欲望は、満たされれば通常それで止まるが、その上に「自己実現の意欲」があり、これは永遠に続く問いである、というものです。ご質問にはいつもこの「自己実現への意欲」が感じられて、心底共感いたします。 私など、マズローの言う欲求のうち前4者、特に地位や名声にはさほど恵まれませんが、何とか「足るを知る」ようになろうと、もがいてばかりいるというのが正直なところです。つくづく、「育児は育自」や「教えることは学ぶことである」と同じで、「回答することは学ぶこと・自省することである」と思いました。ありがとうございました。 質問者様にはいつも癒されます。(バカであろうはずがありません!) お礼と言っては、おこがましいですが、自作の句を進呈いたします。 白露も 久しと思わば 思わるる 晩秋の野は 驚きに満つ 悠久の 時の流れを 拒むがに 椿は白きを 凛と研ぎ澄む 以上、お粗末ながら、ご回答まで。
お礼
今はもう忘れかけている私の初心に理解を示して頂いて、感謝致します。 ここまで丁重な回答が返ってくるとは思わなかたので 私としても救われる思いです。 自己実現というものは、社会で仕事をしている人は何かしら出来てるのだと思うのですが 私はまだそれが目標で 腹痛を抱えつつ出来ることをやっております。 そして回答に短歌まで添えて頂き 私の方が驚きに満ちています。有り難いことです。 回答者様の期待を簡単に裏切らない様に 今からも考えて行きたいと思います。 これはどうも真に大変ありがとうございますm(_ _)m
- alterd2001
- ベストアンサー率20% (33/162)
ヴィトゲンシュタインは 「哲学においては、問いに答えるかわりに 問いを立てることが、常に適切である」と言っています。 それを私は、哲学において答えは、それほどまれにしか得られないのだと解釈しています。 例え、一生掛って、たった一つの答えしか得られなくても良いじゃないですか。 いや、もしゼロだったとしても、明晰に考え抜いたことに価値はあると思います。 そのことは自ずから、あなたの言動に影響するでしょう。 そして、蛇足かも知れませんが 病気だったとしても善人でありさえすれば それだけでも一定の価値があると考えます。 善人と接するのが楽しいか そうでない人と接するのが楽しいか考えてみれば分かる事です。
お礼
そうですね 自分なりに考えたことは 高校で勉強した事の様に 自分にとっては何かしらの役に立っているのかもしれません 病気でも善人であることを通すことが肝要ですね。 堕落して邪な人間にならないように 倫理についても考えて行きたいと思います。 どうも大変ありがとうございます。
- 日比野 暉彦(@bragelonne)
- ベストアンサー率16% (203/1213)
こんにちは。 ほかのすべての人から受ける批判に耐え得ない内容であっては おろかになります。
お礼
内容次第ということでしょうか。 意味はあると思ってますが言葉の問題があります。 性質という言葉の語感が辞書通りではなかったようです。 見てもらいたいのは山々ですが ここではできません。存在性思想で検索されてください。 どうもありがとうございます。
- Y Y(@yy8yy8az)
- ベストアンサー率17% (89/501)
人の主義、主張はその人の好み(好き嫌い)と云う幹に生える枝葉の様なもの、と思うのでyunikoさんに合うかどうか分かりませんが勧めてみたいです。 明治から大正にかけて活動されたお坊さん、山崎弁栄(やまざきべんねい)上人から学んでみてはどうでしょう。 私は長い事このお坊さんから学んでいますが、人生とは?と云った哲学的な迷いは今は全くありません。 命とは本当に不思議なもので、その不思議さの世界にさらに浸ってみたくて書籍「昆虫はすごい」(光文社新書)を読み始めたところです。 この書籍の紹介分を写してみます。 「私たちのやっていることのほとんどは、昆虫に先にやられてしまっている。狩猟採集や農業、牧畜、建築。或いは恋愛、嫉妬、異常な交尾・・・・・そして戦争から奴隷制、共生まで。あらゆることを彼らは先取りしてきた。もはや“虫けら”なんて呼べない、昆虫の営みのすごさと巧みさを痛感する。」 一緒に読んでみませんか。
お礼
私も子供の頃は昆虫が好きで ファーブル昆虫記も幾らか読みましたし 観察や昆虫採集(虫捕り)もよくやりました。 カブトムシを飼ってサナギやメタモルフォーゼを観察したり。山に行ってパンを撒き アリが寄ってきて3種、4種の蟻がどのような行動や戦いをするかを観察しました。 確かに昆虫は個体数も多いし学ぶことも多いですね。 「昆虫はすごい」という本は興味深い本ですね。 ですが今は人間や未来のことが気になって 一緒に熟読する心の余裕はなさそうです 折角のお誘い真にありがとうございます。カッコ書きの中だけ見ても分かることがあります 成る程 昆虫は出来ることは何でもやってるわけですね なるほどどうも大変ありがとうございます。
- kanto-i
- ベストアンサー率30% (180/596)
哲学は、問いと手法と解でできています。 数学もまた、問いと手法と解でできています。 問いは手法によって解かれます。 人は生きていく上で様々な疑問が湧き、それを解きながら進んでいきます。 その場その場で適した手法を選んで使いますが、それが数学だったり物理だったり 化学だったり哲学だったり、他にも様々です。 全て問いには手法で解を出していきます。 哲学の問いにも、適切な手法を用いれば解けるものです。 解がでないのは、用いるものの選択に問題があるか 用い方に問題があるか、もしくは手法を用いてないか。 哲学に問題がある訳でも人間の根本に問題がある訳でもなく 用い方に問題がある訳ですね。 使いこなせるようになるしかない。 そのために自分を磨くしかないのですね。 哲学も仏門とよく似ているところは、自分と向き合わないと 解を出せないと言うところですね。 人間の作りとしての機能は、向き合うところから始まり できてもできなくても全てを認めて許し、フラットな眼で 物事を見られるようになっていく所から、より多くを解くことができるよになります。 物事が真っ直ぐに見えるようになればなるほど、より複雑な問題が解けるようです。 人間が愚かだとは思いませんが、自分を理解しようとしなければ 人は愚かな行為に走るということは分かります。 本来、高い能力を持つ自分自身を使いこなせないのですね。 自分を知らないので。 誰しもが抱える問題は、そこにあるかなと思います。 自分を理解した分だけ、自分を上手く使えますから。 それには、哲学は必要不可欠だと思います。 「問い」即「解」にはならないですから。
お礼
どうも丁寧な説明をありがとうございます 私も私なりに色々と問うてみたのですが 最後は言葉の問題に当たりましたね 人によって語感が違うのです。 数学や科学などは大概言葉の定義ははっきりしていて理解できるようにしてありますが 哲学に関しては 人生観、世界観を問うた答えは千差万別に書かれています 誰しも哲学を持ってるわけですから70億いたら70億の哲学があるのかもしれません? いつか哲学も「問い」に関して納得のいく答えが出るといいのですが。 どうも大変ありがとうございます。
- 雪中庵(@psytex)
- ベストアンサー率21% (1064/5003)
私は哲学をしようなどと思った事もない。 哲学も物理学も天文学も論理学も、ただ自分の生きている 環境をより深く認識するためのプロセスに過ぎない。 歩く上で、前をよく見るのは当然ではないか。 社会的な評価を得ようとしたり、認識を深める(=宇宙をより 明確にする&生き方を確実にする)以上の成果を求める 時点で、その哲学は動機を誤っている。
お礼
哲学も人の役に立つものがあっていいと思うのです 自分の周りを照らすだけではなく 社会の未来を照らすような そんな哲学が在っても良いのではないでしょうか。 いま日本人は宗教を忘れながら道徳やモラルもハッキリしない 住みにくい 厳しすぎる労働やうつ病など 宗教に代わって明るくする哲学が必要だと思います 評価を得ると言うより、役に立ちたいと思って考えて来たのです。 どうもありがとうございます。
- a_hona
- ベストアンサー率21% (95/444)
私の聞いた処では、仏道とは、本当のやさしさとは何かを追求することに他ならない、と言うものでした。私も青春をかけて様々な自分なりの世界観を構築し、それで解を得たものと思っていましたが、自分の世界観が瓦解するのを機に、自身の世界観に自信が持てなくもなりました。 私も質問者様と似た処があると思います。それで言うのですが、自身で思索し、それを極めようとしたことは、無駄ではないと思う。もしそれが無駄だったなら、世には無駄な人生がごまんと溢れることになるでしょう。たとえそれが自惚れであったとしても、自分でやって来たことについて、自分自身が過小に評価すべきではないと思いますし、自分自身の足跡を自身で裏切るようなことはあえてする必要はないと思います。 自分が自分を認めてこそ、はじめてその足跡の成否明暗をつけられるのではないでしょうか。 私はもう三十路を過ぎましたが、二十歳ごろの頃には作り上げることが、全てだったように思います。しかし、二十も中頃に挫折し、今になって思えば、作り上げたもの(世界観など)は壊れるものだったのかなと、振り返ってます。壊れるものに頼ってしまえば自身の安定は叶いません。作られないものとは何か、壊れないものとは何か、そんな事も今になって考えるようになりました。 人生は、揺らめきながら明滅する蛍のように、短いものなのかもしれません。 考えが変わり、目標が変わり、道が変わり、そうしている間に終わってしまう、儚いものなのかもしれません。 だから、普遍をめざし、永続するものを求め、安寧を願うのではないでしょうか。 もしそうであるならば、人の願いそのものが人の習性から生まれる儚いものの反作用であるという見方もできます。 何を目指すのか、そもそも目指すものなど無く、求める処も願う処も無い、すでに得た処というのは、そういう処なのかもしれません。 私の人生には、何か温かいものが、欠けているように思われるのです。 それがあれば、充足出来るのに、と。
お礼
>考えが変わり、目標が変わり、道が変わり、そうしている間に終わってしまう、儚いものなのかもしれません 私も何だかその様に思うことがあります 一時は自信満々でしたが 哲学の世界も甘くはないですねえ。本当に求められる、役に立つ哲学を求めたのですが・・・ 仏道は優しさですか。地蔵さんとか菩薩様は慈悲深いですからねえ 私は目指す所は分かったのですが 言葉の壁に当たって 迷いが生じて・・・ 自分だけ納得してるようです。自分の宗教みたいなもんですね 思想信条です。 温かいものは欠けてますねえ、結婚できなかったもんね チャンスも棒に振って考えることを取ったもので・・・ まあ これからは趣味として哲学をやります。存在性思想をよろしく。 どうも大変ありがとうございます。
- shorinji36
- ベストアンサー率17% (406/2382)
どんなに資格や学歴を身に付けようがそれを金に変えることができないヤツは無能と一緒だ。
お礼
経済的には無能と一緒ですね 確かに。 どうもありがとうございます。
- kurinal
- ベストアンサー率10% (128/1195)
♪「よーく、考えよう time is money 」
お礼
time is money? 時間の無駄ということでしょうか?お金が先ということでしょうか? 父もお金にならないことはやらせないと言っておりました。 哲学なんて お金にはなりません 画家やミュージシャンの方がずっとお金になります それは分かっていたのですが どうもありがとうございます。
- precure-5
- ベストアンサー率12% (22/175)
学校の勉強で特に嫌いなものはありませんでした。物理は苦手でしたが嫌いではなかった。しかし、大学に入って「哲学」という授業を受けて、世の中にこんな吐き気のする学問があるのかと30分も話しが聞けずに出て行きました。3週間は出ましたが、いずれも途中退場。哲学って何がそんなに魅力的なんですか??
お礼
哲学も色々ですから。虚無主義などを読んでると嫌になることもあり 実存主義に頷いたり 仏教に頷いたり 老荘思想に頷いたり 色んな言葉と出会います。 哲学は最高に高みを感じたり どん底を感じたり 山あり谷ありです。 自分のためでもあり 人の為でもありますし 面白いものですよ。 あなたが達観しているとすれば退屈なものでしょうけど 心得たと思うは心得ぬなり、心得ぬと思うは心得たるなり。(蓮如)という言葉もあります。 好きな人は魅入られるのが哲学です。 どうもありがとうございます。
お礼
慰めの言葉を求めているのでしょうかね 私は。 私のような思いをしている人もいると思うんですよね 慰められれば気は楽になるかもですが 同時に批判の言葉も来ます。 人が見てどう思うか問うたのですが 自分にもよくわからないのです。 愚かな行為だったのか 一つの生き方として有り得ることなのか 本当は自分の哲学を見て欲しいのですが 反応が少ない。難しいようです。 私の書いたものを見て これは間違ってると笑うか 中には見所もあると見るか ここで宣伝したいのは山々ですが 出来ませんので こういう質問をしたくなったのです。 ネムリネコニャさんは常連でいらっしゃる様ですし 中々の論客でいらっしゃる もしいつか機会があれば読んでください 存在性思想を。 冷静な判断をどうも大変ありがとうございます。
補足
私の考えの一部ですが 存在とは(個性ある)性質を持ったエネルギーであると定義しました。 実存とはえらい違いです。 実存を説明するなら上の性質によって主体化した自我、精神の存在であって個人的なものであると思います。 存在するものは「存在性」という そのものを存在させるのに必要な性質によって存在出来ている。 存在性とはそのものを存在させるために必要な、或いは有効な性質の事を言います。 人間の目的は存在することであり、存続することであり、次代にたすきを渡して行く事です。 存在がこそが目的であり 存在が価値であり、存在する事こそが意義の基本であります。 人間は存在に有利な存続を目指し長い歴史の中(生命としては38億年、人間としても数百万年)でさらに確かに存続進化することを追求し、その延長上に永遠を目指す(到達はしない) エントロピー増大則に抗して人間は何時かエントロピーを減少させる様になる ブラックホールのエントロピーも減少しているのではないか?人間の秩序化 組織化が引力を操って循環と調和の主体をなし 永遠を目指して新たな存在を創る。 物質の持つ性質が精神を成しているのだから 唯物論と唯心論が融合する。 存在性思想は別名「性質進化論」とも言える。 等などですが 「性質」という言葉がちょっとニュワンスが違う様な気がします。 ハタラキと言い換えてはと言われましたが そうすると 性質の働きと言いたくなります。 特殊存在性理論とかあるのですが これは人間が存在することを意思して存在しようとする所に人間の特殊性があるという考えです。