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自分と周りの人を、不幸にしたりストレスにしたりする

自分と周りの人を、不幸にしたりストレスにしたりするのはなぜなんでしょうか? 自分を不幸、ストレスにする→相手に投影する→相手が苦しんでいるようにみえる これだと人の不幸は蜜の味で自分を苦しめることで相手を苦しめるため。でしょうか? それとも嘘の自分で過ごすことで自分の本心や欠点に自分が気づかなくするためでしょうか? 自分のことを知ろうとすると、緊張したりごまかしたりします 自分と同じような虚栄心の塊の人に会っても耳を塞ぎ、避けていました これが自分の欠点を自覚できず理解できない理由です

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  • 23tomo-u
  • ベストアンサー率27% (433/1565)
回答No.1

>自分を不幸、ストレスにする→相手に投影する→相手が苦しんでいるようにみえる これだと「苦しんでいるように見える」だけであって 相手が本当に「苦しんでいる」わけではありません。 なので質問者様は相手を苦しめたり不幸にしたりはしていません。 そもそもその人が不幸かどうかは聞いてみないとわかりません。 ただ、自分が不幸であったり、ストレスを感じていると、 同じような人を見つけてしまう傾向があります。 この理由はよくわかりませんが、「類は友を呼ぶ」というか、 同じような感じの人と仲良くなったり、ついつい気になって しまったりしまうようです。 他には例えば自分が不幸でストレスがあったりして、 それを周りに同調を求めたとします。 しかし人の反応は千差万別です。 (例) 自分「不幸だよなぁ」→相手「え?別に」 (答えがNOではっきりしている) 自分「不幸だよなぁ」→相手「そうですよねぇ・・」 (内心はそう思っていないけど話を合わせている) 自分「不幸だよなぁ」→相手「そうですよねぇ・・」 (なんとなく人に釣られちゃってる) このように答えがNOではっきりしていれば分かり易いですが、 例え同調したといっても、話を合わせてたりする場合もあるので 必ずしも相手が不幸だとは限りません。 ※話を合わせてその場を取り繕うのも生き抜くスキルの一つです。 また釣られちゃう人は人で質問者様がその人を不幸にしているというより、 他の人にも釣られちゃうので、質問者様と知り合う以前に 他に不幸を背負っている可能性があります。(相手から見て、類は友を呼ぶの関係) なので結局のところ、他人の胸の内はわからないので、 自分が幸せになる方法やストレスを軽減する方法を探した方が 得策だと思います。 そのうち、それも類は友を呼び、幸せな人が近づく可能性があります。 不幸な人がきたら「え?別に」とNOといってあげればいいだけです。 「人の不幸は蜜の味」というのは他人の不幸は、 何もない日常の刺激になったりストレス発散になったり、 するので言われるものです。 他人の不幸というのはだいたい自分には関係ないですからね。 (例) 他人「実は離婚しちゃって・・」→自分「そうなんだ、残念だ」 (残念でもなんでも実際、自分が離婚したわけではない) ただそこから「慰謝料の関係でお金を貸してくれ」とかに なったら「NO」と言えばいいです。 嫌な気持ちに一時的になったとしても、実害がなければ、 おおよそ次の日には忘れてたりします。

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