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足の遅い子への親の対応

マラソン大会などの季節ですね。 足が速い子には記録を伸ばすチャンスですが、 どの学年にも頑張っても早く走れない子っていると思います。 沿道で応援している親にも力が入ると思いますが、 わが子がダントツにビリだった場合、 その姿をどのように見つめたり、接したりしますか? ここでは男の子の場合ですが ある高学年のお母さんが、 毎年いつもビリになってしまうけど一生懸命応援していました。 しかし、高学年になって応援に行かず、 自宅で心の中で応援することにしたそうです。 見れば辛い、でも頑張ってほしい。 マラソン大会前に、自主練習などお父さんとしたけれど、 結局今年もビリでした。 でも、その子は「最後だけど一生懸命に走ります。」と抱負を述べました。 小さいころから泣き虫で、いじめられてきた子で、 お母さんはいつも子供が言えないから自分が言うと、 いじめた相手の子のお母さんに注意を続けていました。 でも、友人の私は、意を決して 「それが逆に子供を弱い認定させてしまっている。  もう、相手の親に伝える年齢ではないよね。」と言いました。 最初は納得いかない様子でしたが、 今ではぐっと我慢して、見守れる母親になってきて、 弱いわが子を陰で見守る強い母になりました。 その子もきっとこれから伸びると感じます。 別の学年で、やはりダントツに足が遅い子がいました。 走るのをやめようと足を止めたりしましたが、 最後はゴールしていました。 しかし、その子はその後記録の紙をぐしゃぐしゃにして 叩きつけて、ずっと暴言を言い続けていました。 それは自分にとって悔しさだったと思うのですが、 マラソン大会をしたこと。その大会や先生にも 憤慨しているような暴言で、 最初はほほえましく見ていた観客席からも、 あの子はどうしてあそこまでキレまくっているんだ?と 疑問の声が上がり、眉をひそめました。 その子は4年の男の子でしたが、 みんなに大幅に遅れて走っているときに、 先生が一緒に走っていましたが、 途中から母親も一緒に走り出しました。 ずっと叱咤激励しながら、最後は背中をどんどん押して、 あきらめようとする子を押し続けていました。 個人的には、そんなことをするから、 自分の力を納得できず、 周りが悪いと思うのではないかと感じました。 こういう対応は親の愛情ではなく、 溺愛ではないかと思いました。 その子は障害などあるわけではないですが、 かなりのわがままで、自分ではなく人が悪いと思うタイプで ケンカしたら友達に「絶対に許さない」と言うような子です。 普段から、かなり甘やかされて溺愛されて育っていると感じました。 私は保護者の立場ではなく観客として見ていましたが、 どちらの子の母親も知っています。 家でじっと待っていたお母さんは、よその子にも愛情を向けれる人で、 自分の子を守りすぎていることに気づき、 見守る強さを持ち始めています。 一緒に走ってしまった母親は、自分の子だけ可愛く、 人よりもすぐれてほしいと思うタイプで、 親同士のもめごとがあっても、相手が悪いと思うタイプです。 母親の性格が、子供にかなり反映していて、 溺愛してゴールさせた子供はのちに大変な子になる気がしました。 足が遅いのは学生時代は辛いことですが、 親だったら、本番はじっと見守ることが大事と思いますが、 どうなのでしょうか?

みんなの回答

  • ROKABAURA
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回答No.4

2度目のROKABAURAです。 正直は美徳じゃない。 誠実が美徳なのだ。 人は悪も当然備えているから 思ったとおり考えた通りやっていたら世界は地獄模様だろう。 だからこそ「相手にとっても善いと思える選択」 をすることが大切なわけだ。 言葉でごまかさない。 「善く在れ」と願えない気持ちは どう表そうが醜い心だ。 おそらくあなたの子供はそれを看破しているぞ。 子供はまず親の悪いところから似てくるもの。 周りの友人と噂をして陰口を言って 「あの人って浮いてて場を読めないよねえ もう話しかけないようにしようよ」 なんて話すような子になるかも。 自分の心に正直な子で・・ね。

  • ROKABAURA
  • ベストアンサー率35% (513/1452)
回答No.3

子育てに正解はない。 なぜならそいつの人生はそいつのものだから。 親は認め教え見せてやらせて応援して願い祈る。 なら十人十色百人百様だろう。 今のポリシーや信念があまり重要視されていない世の中では 親も生き方よりも成功か失敗か 収入が多いか少ないか 将来安定か安定でないかが判断基準になりがち。 自然と例外や異端を排除し 周りと同じような状態で「でも少しだけ自分たちのほうが上」を望む。 なぜ彼らを愛する方法に触れないのか なぜその苦しみや悲しみが昇華できないかを問わないか。 なぜ自分が全て正しいか認められ他者を貶めるか。 私はこれらの子どもたちが人よりその分苦難が多いのは確かだと思うが それが人生における失敗の原因であるなどとは思えない。 人は絶えず反省し成長し自らを正す機会があるのだ。 「大変な子になる気がしました」などと呪いの言葉なぞを 子供の見本となるべきいい大人が吐くべきではない。 親が行うこと? いかなる時でもその子を認め 何度でも善いと思える道を示し そのための方策や知識を探ることだろう。 やり方はそれぞれだ。

noname#199792
質問者

お礼

大変な子 が 悪いと受け取る人が多いですが、 世の中の大物の中では、 子供のころ大変な子っていう子も多いと思います。 私はその子のお母さんは大嫌いだけど、 その子がどう育っていくかは、自分次第だと思います。 でも大変な子ではあります。 大変な子ってわかるだけでも対応できるんですよ。 親の子も正直なんです。 でも、正直でいることが、世の中いいかと言うとそうでもない。 子供の時は正直であれと教わりますが、 大人になって正直だったらうまく生きていけない時もあるわけです。 このような子供の事を話すと、攻撃的意見がありますが、 それはやはり正直だからですよね。 相手が心地いい言葉を選んでいえる人は、 正直ではなく、ある程度は本音を言わずに表現するわけです。 私も正直に言ってみました。 これは現実の世界ではないから。 でも、ほら。正直者って反論意見が出やすい。 その子のお母さんも正直なんですよ。 早く走れない子供と一緒に伴走するなんて、 思っているけど出来ないです。 それが出来るって、なかなかいない。 でも、それが素敵とも思われない時もある。 子供が正直だったから。 だって、早く走れない子にとってみて、 マラソン大会なんて嫌でたまらないもの。 でも、多くの子はそれを表には出さない。 その子は正直に暴言を吐いた。 それはお母さんの正直な性格が反映されているから。 正直で居ることが周りにほほえましく映るわけではない。 そこを考えられるかどうか。 その先の子とは、それぞれの子育て次第。

  • hide6444
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回答No.2

足の遅い子への親の対応 という質問であるのに、何故お子さんの性格や 親の育て方とかこれからどうなってしまうとかのような批評は必要ないのでは ないですか!? 前もって学校で練習していたら、早いか遅いかは分かっていることだから、 親は自分の子供が完走することだけを考えていればイイのです。 学校に行かないのも可笑しいし、伴走するのも可笑しい。 子供の世界に親が土足で入ってくるから、子供も怒りたくなるのです。 遅い子は遅い子で子供ながらのプライドを持っています。 足が速い子供以上のプライドを持っています。 そのことも分かっていない親が多すぎるし、完走して子供の前で満面の笑みを 見せてあげたら子供は喜ぶのです。早いか遅いかを考えているのは 余計なことを勝手に考える大人だけなのです。

noname#199792
質問者

お礼

まぁまぁ。感情入れすぎず・・。 子供の影響ありますよ。

noname#199792
質問者

補足

伴走した方が大嫌いなんですよ。みんなね。

  • toshipee
  • ベストアンサー率10% (725/7148)
回答No.1

 子どもは「恥ずかしいから来るなよ」と言い、私もそう言いましたが、それは「どうせ来ないこと」への自分への保護作用なんです。私は我が子の運動会などに欠かさず行って初めて、自分が来て欲しかったことを、子どもへの嫉妬によって知りました。考えないようにしていたのですね。  何か褒め言葉を言われることやトップやビリに対して批評して欲しいのではありません。「親なら来るのが当たり前だろ」親の義務を無意識に問うているのです。「見に行ったよ」これだけで充分です。  でなければ、参観であんなに振り返りません。

noname#199792
質問者

お礼

参観日など来てもらいたいのは小学校までですから、思う存分行くべきですね。

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