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満州国建国による中国の領土保全とは
princelilacの回答
- princelilac
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そもそも満州国は清が滅亡した時に溥儀が日本に亡命してきたことから始まります。シナでは王朝の交代の時は、易姓革命といって、皇族に少しでも血筋のある人を皆殺しにしてきた歴史があります。その残忍性といったら、記録を読むだけで吐きそうになるほどです。革命軍に捕まれば溥儀もこの世の地獄を味わった末に惨殺される運命でした。 日本はロシアと革命後のソ連の南下を防ぐためには、満州と朝鮮半島を実効支配する必要があったのです。そこで清の最後の皇帝の生まれ故郷に国を建てるという名目で満州を建国したのです。「傀儡」と批判されることもありますが、これは当時の欧米では普通にやっていたことなので、後に批判に回ることには矛盾があります。 そして日英同盟によってロシアの関心を西側に向けるのと同時に、ソ連とは不可侵条約を締結することで、満州の安全を図りました。 この時代の中国は列強との不平等条約に苦しんでいました。99年にもわたって港を割譲されていたのです。これに「扶清滅洋」を唱えて反旗を翻したのが義和団でした。清は義和団を支持しましたが、欧米は不平等条約を解消する訳にはいきません。この時の中国と列強の紛争が義和団事件です。 ロシアは兵力を満州に差し向けようとしましたが、それを拒んだのが英米でした。英国は南アフリカ、米国はフィリピンと交戦中で、極東の兵力が手薄だったのです。 しかし、英米などは他国との戦争中だったので兵力を義和団に向けることができません。そこで日本に『派兵の依頼』が舞い込んだのです。ロシアがこれに乗じて南下したら、欧州列強は清国での利権を奪われてしまうことになります。そこで、日本に対して義和団を抑えるとともに、ロシアの南下を防ぐための出兵の要請が来たのです。 満州は日本が支配することになりましたが、北京を初めとする主要都市は侵略から守られたのです。 ただし、辛亥革命後の中国は内戦に続く内戦のため、自分の国を自分で壊滅させました。元も子もないとはこのことです。
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