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在日 被害
朝鮮人についての書き込みを見るとコメントに差別はいけないとかありますが、そういう人間に限って自分が被害に遭うと手のひら返すが如く批判側にまわるのはなぜですか?差別はいけないと貫かないんですかね?知り合いに在日に被害に遭い一生の傷をおった人がいますが、ころっと変わりました。なんで差別はいけないと言う人に限って変わりやすいんでしょうか?
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- ROKABAURA
- ベストアンサー率35% (513/1452)
差別はいけないという事は変わらなくても それと傷つけた者たちを許すこととは別の問題だ。 「差別はいけない だがあいつらは別」だ。 「差別」というくくりではない「敵」になったのだ。 おそらく自分が差別を嫌う人間であることを分かってもらえれば きっと相互理解が容易いし交流も信頼も出来ると思っていたのだろう。 だが年寄りにも身障者にも子供にだって悪党はいる。 むろん在日の中にもいる。 それに気づかず善意に頼ったのが裏目に出たのだろう。 だからその自分の甘さも許せなく考え方を否定しているのだと思う。 差別を率先して行う多くの連中は自分のためにしか考えない。 出来ることなら相手より多くの富や名声や評価や人望を欲してそのためだけに他者を貶める。 この人を傷つけた者達もおそらくはそういった連中だ。 仲間入りをしたくなければ簡単に堕ちるのはどうかとは思うがね。
- shiroya
- ベストアンサー率10% (117/1143)
>差別はいけないと言う人に限って変わりやすいんでしょうか? それまでは普通の人間と思っていたら、差別の対象ではなく「敵」であることに気づいたから。 平等論者が差別主義者に変わったのではありません。平等論者は平等論者のままです。 ただ平等論者が「敵」がいることに気づいただけ。
補足
そういう見方もありますね。確かに。
- 783KAITOU
- ベストアンサー率43% (1758/4022)
差別はいけない、というのは社会的な意味でいう「観念論」です。在日朝鮮人及び韓国人に裏切られたりひどい目に遭った人は、事実の体験をしていますので、日本人ではあり得ないことを平気でする。日本人とは違う。関わらない方が無難。等々という想いを自覚していますので、差別はいけないという観念論よりも皮膚感覚で実感した方が正しいという思いに至るのは自然です。 従いまして、差別はダメですよ。と、言って済まされる場合はそれはそれで良いのです。しかし、付き合いが深まり相手の信じられないことを体験した場合、体験の方が優位にあるのは確かです。そこから、日本人と韓国人及び朝鮮人との違いを自覚して差別するのは仕方がないことです。差別はいけないという言葉は、こちら側と相手との間に何もない、差別する理由も無いときに言う言葉です。相手の実態が分かった上で、同じ立場でいられないという思いで差別するのは個人の自由ではないでしょうか。
- toshipee
- ベストアンサー率10% (725/7148)
ころっと変わるのは不幸自慢者だけ。
補足
絶対に貫けますか?
- ryo_ Deathscythe(@Deathscythe)
- ベストアンサー率14% (515/3615)
「区別」したのではないでしょうか。
補足
許す?私思うんですけど、実際に被害に遭った人、家族に許せますかね?私は無理だと思いますよ。どんだけ格好いい事言ったって現実は違いますよ。本に書いてある事とは違う気がしますね。黙ってきた日本人はそうやって朝鮮人をつけあがらせた事実もありますし。本当に貫ける人なんていないんじゃないでしょうか?