時代小説と言えども、現代の作家が書いた文章なら現代語で考えていいと思います。
>(1)(2)ともに「アタマ」で通用すると思うが、
たぶんそうでしょう。
ただし、会話文となると事情は違います。優れた作家ほど当時の言語を研究しているようです。もっとも、それも「時によりけり」です。例えば、芥川龍之介が平安時代や中世に題材を取った作品は、会話文も当時の言葉では書かれていません。(一部には引用的に古語が使われていますが)それは古語を理解できない人に読んでもらうためで、やむを得ぬことでした。それに比べると、江戸時代あたりに題材を取った作品は、当時の言葉を出来るだけ使おうとした作品が多いようです。
「早水氏(はやみうじ)が是非こちらへ参れと云われるので、御邪魔とは思いながら、罷(まか)り出ました。」(芥川龍之介・「或日の大石内蔵助」)
厳密な証明は出来ませんが、恐らく当時の言葉と思っていいでしょう。
漢字の読みに迷った時の解決法の一つは、その作品の古い時代の出版物を見ることです。戦前(1945年・昭和20年以前)の場合は、随分丁寧にルビが付いています。現在「朝日新聞」に漱石の「こころ」が連載されていますが、それにもかなり多くの漢字がルビ付きです。さらに、朝日新聞デジタル版では大正時代の文面が見られます。そこでは漢字全部にルビが付いています。
同様のことは「青空文庫」でも見られ、多くの漢字がルビ付きです。上に引用した「或日の大石内蔵助」もそこからコピーしました。ただ、コピー&ペーストしただけなのにルビが( )に入って出力されます。
「青空文庫」は著作権が絡んでいて本当の現代作品は入っていないのが残念です。