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部落という言葉について

 今、テレビなどでこの言葉が使われると、必ずと言って良いほど、「不適切な表現がありましたことをお詫びいたします」とアナウンサーなどの謝罪が入ります。  しかし、多くの場合、いわゆる被差別部落を意味しているのではないことは明白です。  先日、旅行に行ったときにも、土地の人は、自分たちの住む集落の意味で使っていました。おそらく被差別部落のことを部落として使う用法自体ご存じないと思います。  本来的には、集落の意味しかない言葉ですし、それに集落と言ってもだれも差別語扱いしませんが、この「部落」という言葉は、今現在は差別語なんですか?部落といえば即被差別地区を指すものなのですか? それとも単に誤解を生むから謝っておけということですか? 質問。  ・部落は、差別語ですか?  放送法など法律ではどう規定されていますでしょうか? いわゆる放送禁止語ですか?  ・そもそも集落の意味しかない部落という言葉を、とくに被差別部落のことだとして使う用法は、いつどこから出てきたのでしょう? 以上、よろしくお願いします。なお、差別的な意味をもって問を立てたのではありませんので、良識的なご対応をよろしくお願いします。

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回答No.2

こんにちは。 「部落」という呼称は、その用語を用いる場合の意識によると思われます。 所謂、放送禁止用語ですが拘束力はありません。 放送時の「使用回避用語」というのが妥当でしょう。 「被差別部落の起源」については、多くの資料文献が掲載されていますので同タイトルで検索すれば一定の理解が得られるでしょう。 下記URLをご参考にして下さい。

参考URL:
http://www.infoaomori.ne.jp/~birdcall/jinkenq&a/jinkenq&a_0427.html
noname#7049
質問者

お礼

 回答ありがとうございます。 分かりやすくまとめられたURLもありがとうございました。これによると、二つ目の問に関しては、明治以降ということになるようですね。 >「部落」という呼称は、その用語を用いる場合の意識によると思われます。 その通りだと思います。が、1さんへのお礼の中にも述べておきましたが、実際には、何でも訂正とお詫びが入ってしまっている状況がありますね。一律に、排除してしまわざるを得ない現実があるのかもしれません。 この問題についての、私の背景についても、1さんのところで書きましたが、どうも体が不自然に反応にしてしまっていけません。差別意識がある、ないに関わらず、言葉自体を私自身が怖がってしまっております。それに、使ってはいけない使ってはいけないとやられたせいか、妙なゆがみを持った差別心が、屈折して蓄積しているようにも思われます。 余計な知識だったのか、必要な教育だったのか・・。 回答ありがとうございました。  

その他の回答 (1)

noname#8234
noname#8234
回答No.1

この問題は、言葉狩りの典型だと思います。 昔、体に障害をもった人たちに対する表現は、差別意識を助長するものとして、新たな表現方法が考え出されましたが、結局、差別というのは各個人の心の中の問題であって、いかに偽善的に表現方法を代えたとしても、差別意識がこの世から消えてなくなるわけではありません。  言葉自体に差別はないのです。 以前、興味深い質問がありました。 いわゆる北朝鮮出身の方々に対して、その国名をとって朝鮮人、と表現すると差別した事になるのか、ならないのか、多くの回答がありましたが、とても簡単な質問なのに、結局のところ、明確な答えは最後まで出なかったですよ。 最後は質問者がシビレを切らしたような感じで締め切りにしたようですが ・・・ この問題でも明らかなように、本来は本国の国名をとって、~人というのは、差別でもなんでもなく、至極当たり前の表現方法なんですが、やはり今でも差別したがる人がいて、~人のくせに、とか差別的に用いられやすいという事実もあるのかな、と考えています。 つまり、いくら差別を避けるため表現方法を代えても、差別意識はなくならない、という事です。 もちろん、何でしないで放っておいてよい、という意味ではありませんが ・・・ また、この言葉狩りのような運動が外国でもあるのかな、という気もしますよ。 長くなりましたが、私の一般人の回答としては、部落という用語は本来はおっしゃるように、集落の意味ですが、過去において差別する人たちが差別的に用いる事が多かったので、放送禁止用語にした方が無難という事だと考えます。 ただ、いつから被差別部落を特定するように用いられるようになったかは、すみません、知識がありません。 とても真面目な質問ですから、他の方は削除されないように注意して回答される事を期待しています。

noname#7049
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 そうですね。朝鮮人というのも、同じような難しさを持ってしまった言葉ですね。困りますのでとりあえず北朝鮮の人とか、朝鮮人の人とかいう回りもった言い方をしてしまいます。 2さんも仰せですが、言葉自体には差別はないはずですね。部落という言葉が、差別的に用いられることが多いというのも、その通りですが、テレビなどで、お年寄りなどが、ご自分の村のことを部落と言っているのに対しても、訂正のお詫びが入ります。なんの差別意識もない、おそらくは被差別部落の存在も知らないかもしれないような人の言葉にまで、横合いからアナウンサーによって訂正とお詫びが入るのを、違和感を持って見ているのは私だけではないと思います。多分、訂正された人は、キョトンとしていることでしょう・・。あまりに不自然な過敏さを感じます。 同和教育の徹底ぶりの副産物かもしれません。私も、中学高校でしつこいくらい習いましたので(学校の方針でもあり、関西でしたから同和教育の割に盛んな地域だったのです)、部落という言葉を聞くと、まず差別語としてのイメージが先に湧き、一瞬背筋がビクッとなります。集落という本来の意味より先に、反射的に、言ってはいけないと体が反応してしまいます。同和教育は成功しているのか、単に息苦しい環境を作っているだけなのか・・・。教育がいけないとは言わないものの、中学生高校生の時の実際を見れば、それでいじめのネタが一つ増えたくらいのものでしたが・・。 テレビでの訂正に関しては、確かに、公共の電波ですから、用心をもって画一的になるのは仕方ないのかもしれないとは思いますけどもね・・。

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