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「雪のいと高う降りたるを」の知的で洒落たというのは

清少納言が書いた、「雪のいと高う降りたるを」の古文ですが、みんなが清少納言を賞賛したのはなぜかということですが、中宮定子の知っている漢詩の内容を思い出して、簾を上げて外の雪景色を見れるようにしただけで、なぜ賞賛されるのでしょうか? これのどこが機転の効いたやり取りなのでしょうか? 教えてください。

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  • TANUHACHI
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回答No.3

 当時の貴族にとっての「教養」が持つ意味は、それを知っているだけで「流石にあの人は先進文化を知っている」とのレベルです。  当時の貴族にとって「和歌」「漢詩文」「管弦」の素養があることは、それだけで他の人物との違いを示す材料ともなりました。つまり「知っているだけで教養のある人物」との評価を受けた形にもなります。  ここまででお話しした対象は貴族でした。しかもその貴族は男性であり、女性にその様な教養があったかといえば、極々限定された人達のみといえ、その中に清少納言も含まれていたとの説明になります。今で言うならば、典型的な性差別社会ともいえるでしょう。そうした中にあって漢詩文の素養をさり気なく身に着けていた清少納言ですから、中宮定子の「香炉峰の雪はいかならんや」との質問に対してもとっさに切り返すこともできたのでしょう。  むろん、その様にひけらかしをする人物を余り好ましく感じない人物もいて、ライバルだった紫式部は自身の日記で清少納言のことを「鼻持ちならない女」と評してもいるほどです。

jinnse1
質問者

お礼

知りたいことがどんぴしゃで分かりました。 そういうことなのですね。 社会か国語の先生ですか? どうもありがとうございました。 謎が解けてすっきりしました。

その他の回答 (4)

  • kine-ore
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回答No.5

この282段を、筆者である少納言の言い方のなりに受け止めれば、次のようになるでしょう。 ・中宮御所に不慣れな頃の中宮との御格子のできごと(184段) 葛城の神とあだ名した少納言のために御格子のさし木外しを遅らせたこと。 その思いやりのおかげで、局に戻り格子を上げ散らして見た、その雪景色の格別なこと。 アラサーで女房として宮中に出仕した少納言に対して、10歳以上も年下のセブンティーン中宮がいかに暖かく労わり深かったかがこの段への前提にあります。御格子を上げるかどうか、優しさを受けてから見る雪景色のこと。 ・雪の夜の見舞客との語り明かしの風流ぶり(181段) 雪見舞いは184段の中宮の兄の例もそうですが、雪をめぐって風流のあり様。 雪深く寒さ厳しいことから、この朝は少納言も炭櫃に齧りついておしゃべりに耽っていたところ、現れた中宮はそんな宮中慣れして駄弁ってばかりの少納言にやんわりと出仕当初の初々しさの象徴である御格子のことで、今度は風流の如何をうながしているのでしょう。せっかくの雪の朝なのにあなたも閉じこもったままなのですか、と。 その中宮の思いやりをたたえた皮肉に慌てて応じるのが精一杯の少納言。さすが中宮の風流心は並並ではないと思い知らされる少納言。周りの女房一同も中宮定子への直接の賞嘆は敬して遠慮し、少納言の対応の機転を語る形で間接的に中宮の特別振りを讃えている形でしょう。 ここは素直に中宮定子の、皮肉さえ機微に包んだ、その教養の高さ、心根の優しさが主題と受け止めてはいかがでしょう。

jinnse1
質問者

お礼

ご丁寧にありがとうございます。 ちょっと私には難しすぎて理解できないところがあります。

  • staratras
  • ベストアンサー率41% (1504/3660)
回答No.4

枕草子299段ですね。「さることは知り、歌などにさへ歌へど、思ひこそよらざりつれ。」とあるのが理由だと思います。 中宮定子の周囲にいた女性たちの多くは「香炉峰の雪は 簾(すだれ)を撥(かかげ)て看みる」という白居易の漢詩そのものは知っていましたし、このことを詠んだ和歌も知っていました。しかしなぜ定子がこの漢詩を口に出して問いかけたのか、(御簾を上げてもらいたかったのですが、)その理由をとっさには理解できませんでした。清少納言だけがその意図に気づいて、気を利かせてすぐに対応できたから、賞賛された(と清少納言は書いている)のです。 余談ですが、漢詩や和歌などの文学作品を挙げて、間接的に表現された相手の意思を理解できてよかった(ほめられた)、あるいは理解できずに恥をかいた(これをきっかけに勉強した)という例は歴史上の人物のエピソードや伝説として日本では多数伝わっています。清少納言のこの話や児島高徳の桜の幹に彫った漢詩は前者の例ですし、太田道灌の山吹の和歌は後者の例です。

jinnse1
質問者

お礼

なるほど。ありがとうございました。

  • heisenberg
  • ベストアンサー率23% (591/2556)
回答No.2

No.1です。 「補足質問」にお答えします。 >>◇漢籍に詳しいのがなぜ教養があることにつながるのでしょうか? 漢籍の素養は、日本にあっては、上流階級にとっての大切な知性要素だったのです。 これは、明治時代に至るまで、永い間、変わりはありません。 森鴎外も、夏目漱石も、その素養が文章に裨益しています。 平安時代に、そのような素養を身につけていて、咄嗟に、中宮定子の質問に対して臨機応変に応えられたということは、清少納言の漢籍の素養がかなりのレベルに達していたということを示しています。 分かってはいても咄嗟には出てこず、後で、「あの質問には、こう応える手があった・・・」という思いは、しばしばするものですが、清少納言は、それが出来ていたのです。 なお、漢籍の素養は、今では、更に、影が薄いものになっているようです。 「香炉峰の雪」などと言っても、今の人で知っている人は、まず、いないでしょうね。 国語の教師だとか、一部の人を覗いては・・・。 時代と言えば、それまでですが・・・。

jinnse1
質問者

お礼

再度またまたありがとうございます。 知りたいことがドンピシャでわかりました。 昔の人の知的要素だったとは面白いですね。 学校の先生でしょうか? 謎が解けてすっきりしました。 大人になってから勉強するとこんなにも楽しいとは。

  • heisenberg
  • ベストアンサー率23% (591/2556)
回答No.1

清少納言が漢籍に詳しいということを示しているからです。 要するに、「清少納言は、教養がある」ということを、みなさん、称賛しているんですね。

jinnse1
質問者

補足

漢籍に詳しいのがなぜ教養があることにつながるのでしょうか? どなたか教えてください。

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