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日本における「死」のイメージ

日本において「死」というものは、忌み嫌わられ、 隠すべきもの、というイメージで捉えられているのですが、 これはなぜなのでしょうか?また。ほかの国においても そのようなイメージで捉えられているのでしょうか?

みんなの回答

  • gldfish
  • ベストアンサー率41% (2895/6955)
回答No.1

どういった点において、そう感じたのでしょう? 死をどう扱うかは、時と場合によると思います。 例えば、地上波のような誰でも目に触れてしまうようなメディアでは「いかにも」な死体は映せない。これは未成年への影響を考慮してのことでしょうが、それは西洋でも同じ。 でも、そんな日本でも西洋でも、文学や映画の中では「死」というものは「誰にでも訪れる運命」として美しく描かれたりします。決して「忌み嫌わられ、隠すべきもの」といった意図は感じません。 一方で、誰だって、愛する人もしくは自分の「死」というものを恐れますから、それを「忌み嫌う」とも言えると思います。これも日本とか海外とかは関係無いでしょう。人として生きている以上、普遍的なこと。 でも参考までに言うなら。 日本の最も古くからの土着信仰である「神道」においては「不浄」ということがとても嫌われる傾向はあります。大陸から来た「陰」「陽」という相反する二つの要素を重んじる陰陽道とのスタンスの違いが面白いですね。まぁ日本人の潔癖症(掃除や衛生等への異常なこだわり)も、この日本の根源的な精神性から来ていると言っていいと、個人的に思います。 この神道の中では「死(死体)」は「不浄」の扱いとされています。神道においてはおおがかりな葬儀が無い(現代にもあまり広まっていない)ことや、それらの儀式が神前(神社)で行わないことも、そういった精神があることが理由のようです。 もし国内において「忌み嫌わられ、隠すべきもの、というイメージで捉えられている」と感じたのだとしたら、たまたまそういった精神が反映されている場だっただけかもしれません。

toranekodaisuki
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 >この神道の中では「死(死体)」は「不浄」の扱いとされています。 この「不浄」という意識こそが、日本人の死に対する根源的な意識なのでは。

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