死刑制度とは?意味を考える

このQ&Aのポイント
  • 死刑制度に賛成の理由や意味を考えると、犯罪を防止するために社会の安全を守るために必要な制度として捉えられます。
  • 一方、死刑制度に反対の理由や意味を考えると、命や人の心を重んじているからこそ、犯罪者に対しても人権を尊重し、再教育や更生の機会を与えるべきだという考えがあります。
  • また、国や地域によっては死刑制度の意味に対する考え方が異なることもあり、人間の本能や野蛮さについても考える必要があると言えます。
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死刑の意味

私も死刑制度には賛成です 犯罪の重軽はひとまず置いておきますが、死刑には社会を守るために社会にそぐわない人を犠牲にする、という意味合いを持っていると思います ただ、廃止派の方は、犯罪のない素晴らしい社会を求めてではなく、命と人の心を重んじているからではないでしょうか?それもまた間違った考えではないと思います >また、歴史上一番人殺しをして来た国の多くは欧米です。 これは確かでしょう しかし、今でもアフリカや中東の発展途上国では紛争・内戦が多く、毎日多くの命が失われています また、内臓提供や人身御供のための誘拐も後を絶ちませんね…こういった目的の殺人は先進国ではほとんど起こらないものです やりたい放題やっているのはどちらでしょうか?どちらのほうが野蛮でしょうか?私にはどちらともいうことは出来ません 先進国と発展途上国における命の扱いに、差はあまりないと私は考えます 戦争などの大量殺人がおきる要因は、単に文化の発展、経済力、軍事力の差なのです そもそも人間とは野蛮な生き物です 多くの人は人間と動物をはっきり区別し、人間らしさというものを重んじますが、私は人間も動物であり、動物も人間と変わらない、という思考を持っています 集団生活を行う動物の群れでは、仲間殺し、仲間殺しをした個体へのいじめ(からの殺害)、自らの意思による集団生活からの離脱などが見られます 人間と何ら変わらないと思いませんか? 人間とはそもそもヒトという名の動物で、その本能的な部分は文化・人種・国に関わらないのだと思います もちろん人を殺すという行為は原始的で野蛮な行為です、だからこそ人間らしさを重んじる方々は死刑を忌避なさるのでしょう 死刑のネット放映は効果があるかも知れません しかし人の思考は様々なもので、「こんな野蛮なことをしているのか!」「こんなに楽に殺してもらえるなら自分も犯罪を…」といった方々も現れかねません だからこそ、改善も悪化もしない現状維持という無難な選択肢として政府は選びたがるのでしょう 人間はそもそも野蛮な生き物です 個人個人の心理は違えども、生物としての精神構造は変わらない、というのが私の結論です そこで質問です。 みなさんは 死刑の意味について どう考えますか?

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
  • phj
  • ベストアンサー率52% (2344/4489)
回答No.5

死刑に反対です。 死刑の意味を問うと「あだ討ち」「報復」「恐怖」などの言葉が並びます。「被害者・遺族感情」と言うのもこれらの一種であるといえます。 しかし、死刑の本質は「国家が選んで人を殺すこと」にほかなりません。質問者様がいみじくも「死刑には社会を守るために社会にそぐわない人を犠牲にする」と書かれているように、国家が裁判という形式で「犠牲者」を選んで死刑にするのです。 そして、周りの人はこれに「恐怖」を感じて、法律を遵守するようになる、というものです。 この本質にはいくつかの問題点があります。 ・国家が、犠牲者を選び殺すのは妥当か(死刑で殺すことは躊躇わないのに、福一などで少数の犠牲で被害を低減できるのにしないのはなぜか) ・国家が「恐怖」を利用して、国民の順法意識をあおるのは妥当か ・国民主権国家において、国家=国民全体であるので、全国民が殺人に加担することになるのは妥当か などです。 個人であだ討ちをしたいなら、江戸時代にはあだ討ちの法令もありましたので、不可能では有りません。 何よりも、封建主義から脱出した近代的民主主義国家が「国家」の名において殺人を犯すのが一番の問題だと思います。 なぜなら、近代国家は「個人の幸福」を最大限にし、そこに国家が干渉しないのが約束だからです。それなのに、国家が「社会を守るために犠牲になる」人物を選んで殺すのは、本末転倒ではないでしょうか。 そういう点から私は死刑に反対します。 さて、このように書くと「じゃあ、オマエの身内が殺されても死刑を望まないんだな」と聞くやつがでてきますので、一応答えておきます。 もちろん「殺してやりたい」と思いますよ。この手でね。でも死刑を望んでも無期だったら、死刑派でもそこに従うんでしょう。 だったら「殺してやりたい」とは思いますが、死刑がよいとはいえませんね。とにかく「この手で殺してやりたい」とは思います。 ということです。

Erdbeerkegels
質問者

お礼

回答ありがとうございます。

その他の回答 (7)

回答No.8

>宅間守や加藤智大が死刑によって どれだけ生命の尊さを自覚したでしょうね。 確かに、死刑になることを念頭において犯行に及んだ宅間守や加藤智大のケースでは死刑にする意味が問われます。死刑にすることはまさに彼らの願いを叶えることになるからです。 しかし、そういう特異なケースがあるとしても、やはり死刑には意味があると言わざるを得ません。 死刑判決を受けた(刑が確定した)ことによって生命の尊さに目覚める者もいるはずです。そういう者にとっては、死刑は意味があるのではないでしょうか。例外があるのはなんともやるせないのですが。 本村洋さん「死刑の意味は、犯人が心から反省をして、そこまで反省した人をなおも殺さなければならないという矛盾に皆が直面することで、命の重さと尊さを知ることにある」

参考URL:
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1182105401
Erdbeerkegels
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 >しかし、そういう特異なケースがあるとしても、やはり死刑には意味があると言わざるを得ません。 私は得意なケースではなく、現代の社会の病理が端的に表れた結果だと思います。 >本村洋さん「死刑の意味は、犯人が心から反省をして、そこまで反省した人をなおも殺さなければならないという矛盾に皆が直面することで、命の重さと尊さを知ることにある」 反省しても死刑になるんだったら、誰も反省しなくなるんじゃないの?

回答No.7

死刑には、「生命」の重みを考えるという教育的意味もあると思います。「助けて」と必死に命乞いしている被害者の生命を無残に奪う加害者に生命の尊さの認識がどれほどあるのかと、私は思います。 殺害された被害者は、それまでの努力がそこで無駄になり、将来の夢が絶たれます。いろいろなことをやろうと思っていた被害者にとってそれはどんなに無念なことでしょうか。 私は、かけがえのない他人の生命を奪った者は、同様にかけがえのないその生命で罪を償って当然だと思います。 罪を犯してからその過ちに気付く者もいるかもしれませんが、まったく反省しない者もいるでしょう。そういう者にとって、生命の大切さを気付かせる一つの手段が死刑ではないでしょうか。自分の死刑執行がいつあるかわからない状況というのは、生命の尊さを自覚させることになるのではないでしょうか。 >死刑を施行しているところでは殺人の率も低いのは事実です。 ← No.1  その主張は、何のデーターに基づいているのでしょうか。それを示して貰いたいですね。そうすれば「なるほど」となるかもしれませんが、証明のしようがないことを根拠とした主著は説得力はありません。

参考URL:
http://mayonaka-kansyutyou.blog.so-net.ne.jp/2013-10-08
Erdbeerkegels
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 >自分の死刑執行がいつあるかわからない状況というのは、生命の尊さを自覚させることになるのではないでしょうか。 しかし、宅間守や加藤智大が死刑によって どれだけ生命の尊さを自覚したでしょうね。

noname#202739
noname#202739
回答No.6

意味なんてないと思います。 強いて言うなら、殺したいから殺す、かな。 被害者遺族の「殺したい感情」や社会の「殺してほしい」感情を 代理するみたいな。 あなたのおっしゃる通り、人は野蛮な生き物です。 獣と同じです。 そうでなければ、殺人者を「殺したい」なんて感情は出てこないでしょう。 いじめだってなくなる。 いじめがなくならないのも本能だから。 支配欲求、弱い者を邪魔だから傷つけたいという欲求。 死刑もしょせんは本能に基づくもの。 感情に基づくもの。 「死刑によって何かが良くなる」なんてのはきれいごとです。 殺したいから殺す。 ぼくは獣兼人間兼生き物として、死刑を肯定しています。 だって、おれをいじめたヤツ、殺してやりたいもん。

noname#197435
noname#197435
回答No.4

憲法36条「公務員による拷問及び残虐な刑罰は絶対にこれを禁ずる」なんですが一応無視。 日本人には「仇討ち」感情が強くあり、正当化してるのではないか 先進国で死刑実施国は日本と米国のいくつかの州(銃器殺人がハンパない米国だけに) 私個人は殺人者にはおなじ思いを・・・なんですが、世界の常識としてどうかなと自分の常を疑っているこのごろです。

Erdbeerkegels
質問者

お礼

回答が得られませんでした。 >日本人には「仇討ち」感情が強くあり、正当化してるのではないか 仇討というのは、返り討ちも覚悟で 自分が負けても恨みっこなしのルールなんですが、今の日本人に そんな昔の武士のような 潔さと度胸はないでしょうね。

  • hekiyu
  • ベストアンサー率32% (7194/21844)
回答No.3

”死刑には社会を守るために社会にそぐわない人を犠牲にする、  という意味合いを持っていると思います”      ↑ 死刑に限らず、刑罰の意味については色々な 考え方があります。 マルクスなどは、資本家にとって都合の悪い奴を 排除するためのものに過ぎない、としています。 ”今でもアフリカや中東の発展途上国では紛争・内戦が多く、 毎日多くの命が失われています”     ↑ なぜアフリカや中東では内戦が多いのか、考えた ことがありますか? 人種、宗教などを無視して西洋が勝手に国境線を 引いたのが原因です。 勝手に引いた、というよりも、勢力を分散する為に 故意的にやったと思われます。 英国などが得意とする分割統治です。 インドとパキスタンもそうです。 少数民族に公務員をやらせ、多数民族を支配し 対立を煽る、という方法を採ってきました。 アフリカや中東から奪った資源や奴隷により 西洋は豊かで非野蛮な社会を手に入れることが 出来たのです。 ”そもそも人間とは野蛮な生き物です 個人個人の心理は違えども、生物としての精神構造は変わらない、 というのが私の結論です”     ↑ 人間の脳は、理性を司る大脳新皮質という部分と、 本能を司る大脳旧皮質という部分からなっています。 野蛮というのは大脳旧皮質のなせる作用です。 それを押さえるのが大脳新皮質です。 こういう脳の構造は人間である以上、共通です。 ”だからこそ人間らしさを重んじる方々は死刑を忌避なさるのでしょう”     ↑ 死刑廃止の多くは、左側の人ですが、これは偶然では ありません。 左側のひとは、理性を重んじます。 人間には理性があるのだから、理性で不合理と判断したら 伝統や習慣、常識など無視、破壊して構わないと 考えます。 そして死刑は、理性からは受け入れられない、と主張 するのです。 これに対して右側、というか保守は違います。 人間の理性が当てにならない、信用できないことは 社会主義国の崩壊で実証されているだろう。 だから、試行錯誤の方が信用できるのだ。 試行錯誤の結果が、伝統であり、習慣、常識なのだ と主張するのです。 日本における死刑の賛否は、現実にはイデオロギーの違いにも 関係しているのです。

Erdbeerkegels
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 今回は中立的なご意見ですね。

  • IDii24
  • ベストアンサー率24% (1597/6506)
回答No.2

見せしめと抹殺。きれいごとじゃなくてこれだけでしょう。いいのでは?犯罪者というのは再犯率も高いし、終身刑は税金の無駄。無駄だから模範囚から出所させちゃう制度なんでしょう。深く考え無くてもいいのでは?

  • gamer001
  • ベストアンサー率32% (29/88)
回答No.1

自分は賛成と反対の境界線ですね。 確かに人を殺した人が生きているのはどこかずるいと感じます。 しかし、その人が死んで得する人もいるわけではありません。 被害者の親族が死を持って償って欲しいのであればなにか意味があるわけですが、別に被害者の命が戻ってくるわけではないので、無期懲役にして、刑務所の工場で働かせて少しでも世のためになる方がリーズナブルな気もします。 死刑は勿論殺意のストッパー的な存在でもあります。死刑を施行しているところでは殺人の率も低いのは事実です。でも、人間は時に欲望に負けます。衝動的な殺人は永遠に絶えることはないでしょう。 やはり最初に述べたように賛成と反対の境界線ですね。

Erdbeerkegels
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 >死刑を施行しているところでは殺人の率も低いのは事実です。 ちょっと、これは分かりません。

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