- ベストアンサー
途中から宗派の違う墓を建てるのは問題ないですか?
父の家系は浄土宗だったのですが、二年位前に父が曹洞宗の寺に墓を作りました。父は浄土宗の宗派の活動などは一切やっていなかったのですが、宗派の違う寺に墓を建てて問題ないですか?
- みんなの回答 (4)
- 専門家の回答
質問者が選んだベストアンサー
まったく問題ないです。 ほんの少し考え方が違うくらいです。葬式や法事のあり方や数珠の形や数。 もとは一緒で、宗派に枝分かれして、現代は数え切れない数になっています。これも自由です。 イスラム教やキリスト教でもまったく問題ないです。ただ、子孫に宗教を押し付けたり勧誘するのはよくないですね。教えを共感してるなら別です。 母はキリスト教で、父は仏教ということはよくありますが、墓を管理する側は混乱すると思います。 墓は生きている人の物ですから、何処かにまとめたい時は、遠慮せずまとめた方がいいです。経費がかかる場合はそうします。一括で支払いの場合もあります。 よく、自分のお寺を持ち墓を管理してる人の多くは、お寺宗派や教えをまったく知らず、勉強もせず、墓を参りすれば、家族安泰という考えをもっている人が多すぎます。 ほとんどの人が答えることができないです。 墓を放置したから、不幸が起きたと、愚かな考え方をする人がいます。 生きてる人頃よりも、死んでから墓や位牌を大切にする人はがり。 とても愚かです。 お寺のお坊さんのほとんどが、法事や葬儀屋としての収入で生活がなりたっていますし、仏教の教えを教えてもらう機会はないと等しいでしょう。 バチがあたると思うから、みなさん多くお金を払ったりして、自分の気持ちをお金で安らかにしているようなものです。 先祖代々のお寺でお坊さんや小さなコミュニティの仲間と反りが合わないから脱退することもよくあることです。 後ろめたい気持ちを感じることはありません。 お寺に縛られて心に無理な人生をおくることが問題ですし、そのようなお寺は会社経営として人を顧客として考えているのでしょう。 近年、お寺が破綻する所が多くなり、お寺のあり方が問われています。 生きている人の考えも存在も含め、どう尊重することが出来るか大事な修行だと思いませんか? 難しく考え、問題児化して、自分達は正しいと言ってるのが愚かな人間達だと思います。 された方はどんな思いをするのでしょうか。 大昔のえらいお坊さんは、自分が死んだら墓を作るなと言ったのに、亡くなって、それはダメだとお弟子さん達が墓を作ったことから、現代のいろんな墓問題を作りました。 物に執着して何になる、生きている人を大事にしなさい。と、えらいお坊さんの言葉は無視してしまった形になります。 日本でもほぼ全員が墓をもてるようになったのは、高度成長期の頃からです。 その前は土に埋めて目印に石を積むとか、少しお金をもっている人は、樽にいれて土に入れる。 土の腐敗のが環境問題視され、 火葬義務化されたのは昭和からです。 長々と話してしまいましたが、お父様がどんな気持ちで先祖代々の宗派ではないところに行くのか、最後まで聞いたことありますか?
その他の回答 (3)
- goncici
- ベストアンサー率26% (283/1054)
関係ないでしょう。 ただ、それ以前の墓を管理する手間が増えるだけです。 面倒くさければ、墓から先祖を抜いてもらって新しい墓に入れれば良いでしょう。 今生きている人がお参りするための目印がお墓です。 どっちにしろご先祖様がお釈迦様の元におられる事には変わりはありません。
お礼
ご回答ありがとうございます。
- tzd78886
- ベストアンサー率15% (2590/17104)
ふつうは寺社内に別の宗派の墓は建てさせてくれません。ご父君が宗派替えしたのか、その法人が経営している、寺とは別の専用墓地かと思われます。
お礼
ご回答ありがとうございます
問題ないのでは? 父家系のはかと、自分の墓の檀家づきあいが増えるとか (あ、父家系の墓をだれた見るのかによりますが)そういう わずらわしいことはあるかもしれないですが、問題ありません。
お礼
ご回答ありがとうございます。
お礼
ご回答ありがとうございます