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大日本帝国陸軍の航空機

eroero1919の回答

  • eroero1919
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回答No.5

#3です。 第一次大戦から第二次大戦に至るまでの間、いわゆる戦間期に各国軍は「次の戦争はどうなるか。そして我が軍はどうあるべきか」ということを模索しました。ドイツ軍とソ連軍が戦車重視の戦術になり、フランス軍が陣地戦にこだわったのはご存知のことかと思います。 そして、当然当時最新鋭兵器であった航空機、つまり空軍がどうあるかというのも注目されたんですね。最も野心的だったのが意外にもイタリア軍で、「空中艦隊」なる大爆撃機部隊で一気に敵軍を一掃させようというすっごく少年をワクワクさせる構想を持っていました。ただ残念なことに、実現する実力は持ち合わせてなかったけどね・笑。こういうのを戦略空軍構想といって、ルフトバッフェのような急降下爆撃機で陸軍部隊を支援することを基本とするのを戦術空軍構想といいます。 ちなみにドイツ空軍の場合は空軍を「空飛ぶ砲兵」として運用することにしたので、その分現実の砲兵部隊への予算は後回しになりました。 相変わらず話が横道にそれますね・笑。我らが帝国陸軍航空隊ですが、やっぱり基本的には陸軍の一部門ですから戦略空軍ではなくて戦術空軍志向だったんです。ただ、日本て無線機が死ぬほどダサいので地上部隊と無線でやりとりして地上部隊の支援攻撃をするってことは現実的にはできなかったのです。だから、陸軍航空隊の「戦う相手」は相手空軍だ、となったのです。つまり主要目標は敵機と敵飛行場なのです。 これだけ延々と前フリをしたのは、99式軽爆撃機の名誉のためです。99式軽爆撃機はですね、爆弾積載量がたったの400キロしかないんです。だから「ダサい」「ヨソの奥様(双発爆撃機)なら1トンは積めますわ」「96陸攻だって800キロ積める」と散々なわけですが、それにはちゃあんとした理由があるんです。 99式軽爆撃機は、勇躍敵飛行場に対して強襲することを目的として作られました。だから敵機の攻撃をかわせるように速度重視で、航続距離に余裕があり、防弾性能に優れていることを求められました。敵機を数多く壊して、後で占領したときにすぐ使えるように小型の15キロ爆弾をばら撒くスタイルにしたのです。航続距離と防弾性能が求められたので、その分爆弾搭載力が落ちたのです。 実は陸軍機は防弾性能に優れていたのです。100式重爆撃機(呑龍)も爆弾搭載力がダサいことで有名ですが、なかなか撃墜されなかったことはほとんど知られていません。 そう、陸軍機はどこぞの軍隊の飛行機のように「防御力ゼロ」とか「ワンショットライター」なんてことはなかったのです。当時パイロット1人育てるだけで飛行機1機が買えたといわれるほど貴重なパイロットを無駄死にさせるような軍隊ではなかったのですね。 ついでにいえば、3式戦闘機(飛燕)は非常に野心的な戦闘機でした。「高高度でも充分な性能を発揮すること。上昇性能に優れること」を考えたら液冷エンジンが正解なんです。「次の時代」を考えたら液冷エンジンの開発は避けて通れません。そのため、飛燕は防弾性能も抱えつつ戦闘機としての優れた性能と充分な武装を持つことができました。しかも、武装は12.7ミリ機銃でも20ミリ機銃でもどっちにも転べる設計の余裕がありました。結局液冷エンジンの開発に失敗して空冷エンジンに換装した5式戦闘機が陸軍戦闘機として最高の性能を発揮したように、空冷エンジンに替えられる余裕もあったのです。 どこぞの軍隊のように、現状でいっぱいいっぱいの性能を追い求めた結果、拡張の余裕がまったくなくて末期には特攻機にするしかなかったようなところとは違っていたんですね。ちなみにそこの戦闘機と素人は見分けがつかない隼は、操縦に癖がなくてパイロットに非常に好評だったそうです。カリスマ人気のあのお方は限界まで追いつめた機体のため、非常にピーキーで癖が強くて乗りこなすのが大変だったそうです。まさにオルフェーヴルですね・笑。 >海軍の方が先見の目を持っていたが、陸軍はそうではない… さあ、その認識は改めて頂きましょうか・笑。陸軍機のほうが「先のことを見越した設計」になっていたのです。「いずれ戦闘機のエンジンは2000馬力級になる。その時代を考えた戦闘機を作ろう」だったのです。海軍は液冷エンジンに目もくれなかったけど、そのためか結局烈風の開発に失敗しています。 格闘戦重視の隼を作っておいて、その一方で一撃離脱戦法を考慮した2式戦闘機(鍾馗)なんかも作っていて、案外にレパートリーが豊富なんです。ただ、「敵艦を攻撃する」という目標が明確だった海軍機と違って、戦術目標ひとつでも多岐に渡る陸軍としては方向性をひとつに絞り切れなかったというのはあると思います。でも鍾馗の開発とそのノウハウがあったからこその4式戦闘機(疾風)なんですよ。 ただ、方向性が明確だったルフトバッフェが「空飛ぶ砲兵」に特化しすぎたゆえに初期電撃戦で大活躍したもののバトルオブブリテンで敗れて結局戦争そのものにも敗北したことと、格闘戦万能主義で攻撃力至上主義で防御力ガン無視(堀越二郎氏の名誉のためにいうと、あの方は「優れた格闘性能でそもそも撃たれないことで防御力とする」という思想だったのです)の帝国海軍航空部隊が敗北したことを考えると、やっぱり特化しすぎちゃうのはつぶしがきかないんじゃないかって思いますね。 実は戦術用兵思想についても海軍より陸軍のほうが柔軟な一面があって・・・というのはまた話が長すぎるのでやめます。

noname#192759
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 ご丁寧に説明してされる上に文章も読みやすかったので、とても分かりやすいです! 機体の性能なども細かく書かれているので、より一層に興味が沸きました。 おかげで認識が変わりました。もっと幅広く調べてみたいと思います。

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