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T.S.エリオットの訳詩者について
T.S.エリオットの詩、「Ash Wednesday」 (聖灰水曜日)を 訳詩で読みたいと思っています。 日本で最初に訳詩をした人、または1965年以前に訳詩をした人の名前を教えてください。 また実際に訳詩を読みたいので、本またはWeb上に掲載されていれば、その本のタイトルか、URLなどを教えてていただければ助かります。
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補足欄拝見しました。 対応できる領域なので良かったです(ホッ)。 私自身、詩の内容をよく理解しているわけではないので、説明を求められたらどうしようかと思っていました。 漢詩や短歌、俳句という形式はあっても、詩という形式そのものがそもそもなかった日本では、詩は、常にヨーロッパの詩人の影響を受けながら発展してきた、という経緯があります。 森鴎外や上田敏、堀口大学という優れた紹介者に助けられつつ、ヨーロッパの詩の翻訳を通じて、日本の詩が形成されていったのです。 数多くの詩人が紹介されましたが、中でも、最も大きな影響をあたえていったのが、明治大正期のボードレール、昭和に入るとリルケ、そして戦後になるとエリオットです。 日本でいまももっとも優れた詩人の一人としてあげられるのが、萩原朔太郎ですが、彼は処女詩集『月に吠える』で 「詩の本来の目的は寧ろそれらの者を通じて、人心の内部に顫動する所の感情そのものの本質を凝視し、かつ感情をさかんに流露させることである」 と言っています。 いわば、感情の発露たる叙情詩を、日本において高度に洗練させたのが朔太郎だったわけです。 現代詩はこうした叙情性を乗り越えるところから始まっていった。 このときの理論的な支柱となったのが、エリオットでした。 「詩人の仕事は、新しい感情を探して廻ることではなくて、普通の感情を用いて詩を書き、そうすることで人間が実際に抱く感情にはない気持ちを表現すること」(『聖なる森』 吉田健一訳) 朔太郎にあっては詩=感情だったのですが、エリオットは感情ではなく、表現方法が問題なんだ、と言ったんです。 エリオットの場合はことに、宗教詩が中心でしたから、彼の詩に描かれた非常に重層的なヨーロッパの歴史や宗教観を消化して、日本で発展させていくという方向には進みませんでした。 けれどもエリオットの表現方法、そして詩に対する考え方は、「荒地」同人(黒田三郎、鮎川信夫、北村太郎、田村隆一ほか多数)の枠を超えて、すべての現代詩人に影響をあたえたといって、過言ではないでしょう。 木下夕爾についてはほとんど知らなかったのですが、質問者さんが書いていらっしゃった「長い不在」、検索にかけてみると、その一部?を読むことができました。 >私はねじれた記憶の階段を下りてゆく たしかにこの「階段」は、エリオットの『聖灰水曜日』第三節 「第二の階段の最初のまがりかどで わたしはふりむいて、下をみた」(『エリオット全集1』 上田保訳) と呼応しているもののような印象を受けます(あくまで私個人の印象にすぎません)。 木下夕爾の詩を読み込んでいらっしゃる質問者さんなら、さらによくわかるかと思います。 『聖灰水曜日』は、象徴的な意図がこめられた語句もあまたあり、キリスト教に詳しくない私には、わかりにくい部分が多いです。 それでもこれを読むことで、木下夕爾の詩が、より立体的に浮かび上がってくるのではないかと思います。 この回答がなんらかの参考になれば大変うれしく思います。
その他の回答 (2)
次の二つは今も書店にありますね。 「聖灰水曜日」 上田 保訳… エリオット詩集 思潮社 1975 高松雄一訳… エリオット選集4 彌生書房 1975
お礼
教えていただいてどうもありがとうございます。 さっそくあたってみます。
- ghostbuster
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調べてみましたが、日本で最初に『聖灰水曜日』を訳したのがだれであったか、正確にはわかりませんでした。 T.S.エリオットの詩が日本で紹介されたのは、上田保の訳で雑誌『新領土』(昭和十三年八月号)に『荒地』の一部が掲載されたのが最初です。 ただ、戦前ではほとんどエリオットは読まれなかったらしい。 日本で本格的にエリオットが読まれるようになったのは、戦後です。 『聖灰水曜日』の翻訳がいつ、誰の訳で出されたかはわかりませんが、おそらくは上記の上田保、あるいはエリオット研究の第一人者である深瀬基寛ではないかと推測されます。 中央公論社から出ている『エリオット全集1』では、上田保が訳しています。底本がいつのものかはわかりませんが、この全集の初版は1960年7月です。 1960年代になると、エリオットもずいぶん広範に読まれるようになり、一方で現代詩人に大きな影響を与えていきます。それに伴って、安田章一郎に代表されるような研究者、あるいはまた西脇順三郎のような詩人など、エリオットの翻訳を手がける人も増えていきます。 質問者さんが、なぜ初期の翻訳に興味をお持ちかはわかりませんが、60年代の翻訳がお読みになりたければ、手に入れにくいのですが、上述の全集がよいのではないでしょうか。図書館に行けばあると思います。 とくに『聖灰水曜日』は、タイトルからもあきらかなように、宗教詩であり、エリオットがイギリス国教会に改宗した後、書かれたものです。 非宗教的世界を題材に取った『荒地』に対し、『聖灰水曜日』では、『荒地』を出発点とし、そこから信仰の世界へと階段を駆け上っていくことを歌ったものである、とする解釈が一般的です。 ですから、できるなら一緒に『荒地』もお読みになった方が、理解しやすいのではないか(『荒地』自体、決して理解しやすいものではないのですが)、と思います。 Web上では、 http://www.pmms.cam.ac.uk/~gjm11/poems/ashwed.html のように、オリジナルが読めるサイトはいくつもありますが、翻訳を読むことは版権の関係もあって、むずかしいのではないでしょうか。 中途半端な回答で申し訳ありません。
お礼
大変わかりやすく丁寧にお答えくださって、どうも有難うございました。 1960年に「聖灰水曜日」の訳詩が出ていたことがわかり、大変参考になりました。 オリジナルの詩は読んだのですが、大変難しくてよくわかりませんでした。 これから訳詩の方は図書館で探してみようと思います。
補足
詩人・木下夕爾(1914~1965)が、最期に書いた「長い不在」という詩があります。 その詩がエリオットの聖灰水曜日の影響を受けているのではないかという疑問を持ちました。 彼が詩作をしていた時期から考えて、エリオットを読んでいたのかどうか、知りたかったのです。
お礼
大変ありがとうございました。 木下の詩からは 宗教的のものは感じられませんが おっしゃるように エリオットを通して見ることによって 理解を深めることができるように思います。 その他の理解しにくかった詩も。 いろいろご教示いただきまして感謝いたします。