• 締切済み

道をはずしてしまうこと

30代後半です。 間違ったことや道をはずしてしまうことがあり、反省してやらないようになります。 法を犯さない範疇であれば、成長していると前向きに捉えることが出来ますが、法に触れるのは限度を超えていますでしょうか? (限度=法律なのでしょうか?) 以下に例をあげます 例1 交通違反や人身事故は紛れもなく犯罪です。 その罪を犯してしまい、今は大分気をつけるようになりました。 (それでも、スピード違反や一旦停止無視などを稀にしてしまいますが。) 例2 窃盗。子供の頃に親の財布からお金を盗んだり、万引きをしたりしてしまいました。 これらは窃盗罪です。警察のお世話にはなりませんでしたが、明らかに違法行為です。 深い罪悪感に苛まれ反省し、窃盗をすることはなくなりました。 例3 殺人未遂。兄弟や友人からいじめられていました。 あるとき、堪忍袋の緒が切れて、絞殺仕掛けました。 たまたま第三者に仲裁されて事なきを得ました。 私が殺さなければ殺されるのかもしれない、殺されないとしてもこの地獄のような日々は永遠に続くのかもしれないと思い、怒りが大爆発してしまいました。 これは紛れもなく、殺人未遂の罪であり、重罪です。警察のお世話にはなりませんでしたが、少年院(又は刑務所)に送られていても不思議ではないことです。 幼い頃から暴力が嫌いなので、暴力は振るいませんが、十数年に1回くらい大爆発し、自分の身体が自分の理性で動かなくなることがあります。(双極性障害という病気です。) 頭はでは理解していますが、大爆発した際にはどうすることも出来ません。 ですので、暴力に対して極度の恐怖を感じています。 (暴力や暴言に対抗するには自分も暴力的にならざるを得ないからです。) 猛烈に反省はしていますが、感情爆発が起こらない様に気をつけることくらいしか出来ません。 例4 不倫。 妻に邪険にされるあまり、自分の休まる場所はどこにもなくなってしまい、追い詰められて自殺願望まで抱いているときに、励ましてくれる人が現れて、不倫してしまいました。また、周りに不倫している友人が居て、普通にありえるのかなと思ってしまいました。 罪悪感や妻への申し訳なさに苛まれて、今は不倫しないようにしています。 これは犯罪なのかどうかはわかりませんが、今は反省して不倫はしない様、心得ています。 実際警察のお世話になったのは道路交通法違反だけですが、他にも道をはずしてしまって、反省してやらなくなるという様なことがしばしばあります。 この様なことでは家族や世間の方々に大きな迷惑をかけてしまうかもしれません。 改善する術はないものでしょうか? 大きな失敗を糧に、成長しているともいえるのですが、犯罪レベルの失敗をしてしまった人は その後の行いには関係なく人間としての価値が暴落してしまうのでしょうか? 失敗は成功の元と言いますが、「限度=法律」と考えれば良いでしょうか? 「限度=直接他人に迷惑をかけない」ともいえますが、そう考え出すと消極的になってしまいます。 (「同じおなべをつつきあうのも、不快に思われる方が居るかもしれません」と言う様な感じで)

みんなの回答

  • eroero1919
  • ベストアンサー率27% (3007/11113)
回答No.3

法に触れることを線引きにしても意味はないですよ。だってさ、法律ってよくできていて、警察がその気になれば大抵の人は名目をつけて逮捕できるようになっているんです。 例えば、他人の土地や施設に入るときはその持ち主の許可なく入ってはいけないって一応法律で決まっているんです。例えば友達の住んでいる賃貸マンションを訪ねるときは、あらかじめそのマンションのオーナーさんの許可がいるんです(あくまで法律上)。 だから警察は、例えば左翼の活動家を逮捕するときにチラシをポストに投函すると「許可なく敷地に入った」とかそういう理由で逮捕するんです。でもその横をピザ屋のバイト君がメニューを投函していたりするんですけど。 また、人の顔に唾を吐きかけることは法律上の犯罪としては微罪中の微罪(有罪ではあるけど、頑張っても書類送検が関の山でしょう)ですが、だったらやっていいのかというと、ヘタなスピード違反より人として罪は重いですよね。 ただ、罪を犯すことと躁うつ病(双極性障害)はまた別の話しですよ。躁病になって世間にご迷惑をかけるのは、あくまで病気のせいだということもできます。ただ、家族はたまらんでしょうけどね。あとは本人ができるのは、自分の病気を自覚して、きちんとした治療を受けて自らを律するしかないと思います。 人としてどうなのかとかは、それは自分が決めることではないです。変な話、他人が決めるんですよ。その人がどのくらい反省して心を入れ替えてやってるかを見て「まあ頑張ってるんだからもう一度チャンスをやろう」とか「アイツは許さない」とか決めてるわけです。自分が決めることではないですよ。

gdbnb6c
質問者

お礼

>警察がその気になれば大抵の人は名目をつけて逮捕できる なるほど、そうなんですね。 >変な話、他人が決めるんですよ。 これを言ってしまうと、誰にも気づかれることなく事なきを得てしまったことは許されるという様な甘い考えを持ってしまいます。 限度をわきまえると言っても、ケースバイケースで微妙な違いを考えたり、仕分けしたりして意識しなければならないと言うことですね。 それと、迷惑をかけてしまったようなことはその迷惑を被った人がどう思うかが重要と言うことですね。 また、悪いことをしたけどたまたま迷惑がかからなかった場合や、気づかれなかった場合はそれを反省して、教訓を得れば、いつまでもそのことに滅入っている必要はないということでしょうかね。 ありがとうございます。

  • 783KAITOU
  • ベストアンサー率43% (1758/4022)
回答No.2

 色々な過去の不都合な出来事を反省されて、真面目に生きようとされているあなたを尊敬します。 ご質問文書を拝見して何か違和感を覚えます。それは、ものごとの成り立ちとか原因とでもいうのでしょうか、そこから結果までのプロセスに問題があるように思います。発生から結果に至るまでのプロセスに説明の省略があるのです。要するに言葉足らずな点です。従いまして言葉を独自に理解されている傾向があります。その結果「双極性障害」なんて病名を付けられてしまうのです。 つまり、左脳の言葉のイメージが右脳にイメージ出来ないか、イメージ出来てもぼんやりしている。逆に、右脳のイメージが、左脳で意味としての言葉にならないか、又はなっても曖昧であったりする、ということが起こるということです。その証拠に「限度=法律」と理解しようとされています。その解釈でもいいのですが、法律で人間の行為の全てを規制している訳ではありませんので、その解釈を善として決めつけるのは間違いです。 人間の行為は色々です。その中で「限度」とはどういうことなのかと考えると、ある場面、ある時、ある人、ある環境の中でのある行為が他者に違和感を与えない程度、範囲、ということになるのではないでしょうか。その程度ならいいでしょうという程度の問題です。それは「善悪美醜」を分かることに通じます。それが分かった上での起ち居振る舞いが、節度(=限度)ある行為になるのでしょう。人間の行為の全てを法律で規制することは不可能です。従いまして、限度=法律と解釈するのは間違いです。 あなたを批判しているのではありません。前向きにご自分と向き合っていらっしゃるあなたを尊敬の念でご質問文書を拝見しています。しかし、言葉のとり違いとまでは行かないまでも「少しだけ違うような気がする。」と、いうところにあなた独自のものの考え方が秘められていて、その少し違う部分があなたが感じる違和感になり、他者との意味の理解に差が生じるので、正しい言葉のイメージが思い浮かばないんです。 交通違反にしても違った解釈をされています。これはご自分を戒める意味でされているのだと思います。交通違反そのものは犯罪ではありません。刑法と交通法規は別です。犯罪は刑法違反をいいます。交通違反も結果として犯罪になる違反もあります。この様に独自にもの事を解釈してそれで善、とするところに社会とミスマッチを発生させる要因があります。言葉の意味、意味する内容を今以上に学習されると、医者に「双極性障害」と診断されることもなくなります。

gdbnb6c
質問者

お礼

仰せのとおりです。 言語力が低いことは自覚しています。 興味のある言葉をWeb上の辞典で調べる様にしていますが、もっと早く沢山学習する必要があります。 ありがとうございます。

回答No.1

以下、回答にも参考にもなりませんが…… (後で、罪悪感を感じるにせよ) そうしたことをしてしまうのは、ある種の快感を 感じるからかもしれませんので、その辺の 自身の心理の深層を、多様な視点・視覚から 知ってみることから始めてみませんか。 日記は平凡な毎日の中に潜む非凡に気づかせてくれる       (橋本武 『日本人に遺したい国語』101歳最後の授業)      ということで、日々の心の動きを記述しつづけて みることをお勧め致します。 併行して、イジメの加害者たちの、当時の 深層心理を知ってみることも、参考になるのでは ないでしょうか。まぁ直接訊いてみるまえに、 家庭環境などを知ってみて、実兄を含めた彼らが Victim of Circumstances でなかったかどうかなども 詳細を知ってみませんか。 承認欲求、偏執的自己愛、被害者意識、 攻撃性の置き換えなどは、できれば、 お早めにクリアしませんか。 許すことも大切ですよ。許せることで、 質問者さまの新生が始まるでしょう。 〈ふろく〉 許すには、心の部屋を1つだけ増やせばいい。 (『私の頭の中の消しゴム』) 弱者は決して許すことができない。 許しとは強者の態度である。 (Mahatma Gandhi) おのれに存する偉大なるものの小を感ずることのできない人は、 他人に存する小なるものの偉大を見逃しがちである。 (岡倉天心) 攻撃性の置き換え心の、奥の奥にある根源的な 情念をクリアできることができれば、質問者さまは 真に救われるのではないでしょうか。 完璧に許すことが可能ならば、 イジメの加害者たちの、当時の心的状況などを 知らなくても大丈夫でしょう。 プラスのストロークを積み重ねながら 自他肯定で、テーマに臨んで 完全燃焼しつづけていれば、質問者さまに いいことが起きつづけるでしょう。 スパッと、 気持ちを切り換えられるのも 男の器量の1つですよ。 これから、 燃えてください。 燃えつづけてください。 CiaoCiao!

gdbnb6c
質問者

お礼

>攻撃性の置き換え心の、奥の奥にある根源的な そうかもしれません、奥の奥にある何かが自分にも良くわかりません。 これをほどくことが出来れば、かなり救われると思います。 >スパッと、 >気持ちを切り換えられるのも >男の器量の1つですよ。 この点については、大変至らないと自覚しています。 ポジティブに居られるように努力します。 ありがとうございます。

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