• ベストアンサー

荷物運びの兵隊は、自分の背囊をどうしていたか?

第二次大戦以前、自動車が普及していなかった当時、弾薬や大型の武器(重機関銃・山砲・迫撃砲など)を兵士が担いで運んでいたそうですが、こういう兵士は行軍中自分の背嚢はどうしてたんですか?背囊がないと生活できませんよね。

  • 歴史
  • 回答数5
  • ありがとう数1

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
  • pri_tama
  • ベストアンサー率47% (674/1410)
回答No.3

>こういう兵士は行軍中自分の背嚢はどうしてたんですか?背囊がないと生活できませんよね。  背嚢を背負った上で、分解した大砲を肩で担いで運ぶのですが…。  (実際に、戦場へ行った歩兵等の人の手記などでは、その苦行を見かねて背嚢などの荷物を分割して持ってあげた何て話は良くありますが…。)  九二式歩兵砲だと分解したのを十人で運びますから、一人当たり20Kg強です。  背嚢が3~40Kgとしても、別段不可能な数値ではありません。  (現在の自衛官でも、ロケット弾や機関銃等の担当は、背嚢とは別に1~20Kg程度の荷物を運びます。)    まして青函トンネルが開通する前では、青函連絡船の手荷物に制限が無い事を理由に、小柄な女性が背に100Kg近い米を背負って北海道へ運ぶ何ていうのが日常的に行われていたのですから…。  (「かつぎ屋」のお母さんなど)  まして、砲兵は元々、一般歩兵より体格が頑強な者が優先して選ばれます。←弾薬分隊はそうでもない様ですが…。  (戦況が不利に成るとそんな事言ってられませんが…。)  まあ、兵隊さんに必要なのは自分の体重以上の荷物(背嚢+α)を背負って戦える体力な訳ですから、5~60Kgでヘバッテもらっては困ります…。

その他の回答 (4)

回答No.5

日本軍の装備で良いですか? 重機関銃には前に2本、後ろにコの字型担ぎ棒を取り付けて4人で持ちます。お神輿の原理です 山砲は基本馬匹ですが、人力の場合は紐と取っ手(付いている)で引っ張ります 迫撃砲は砲身・底板・脚を分解して運びます。これは自衛隊でも米軍でもやっています。 あと、根本を勘違いしているんだと思いますが、背嚢無くても生きれますよ。 背嚢に入ってるのは着替えとかですから… 緊急用食料は雑嚢に入れるんです 基本は輜重部隊が毎日食料を届けに来ます

  • eroero1919
  • ベストアンサー率27% (3007/11114)
回答No.4

基本的には、バラしてみんなで分担して担ぎました。例えば日本軍の92式重機関銃の場合は、下士官1名(指揮官)に兵士10名、馬2頭で1丁の銃を担当する編成になっていました。1丁の銃を10人がかりなわけです。 自動車が普及した今でも、軽機関銃(銃の性能が発達した現代では、車載型を除けば重機関銃はほぼ廃れています)や軽迫撃砲や対戦車ロケット砲なんかは兵隊さんが自ら背負っています。

回答No.2

早速のお礼ありがとうございます 人の足で行軍できない場所は馬やロバを使ったりして運んでいました 第二次大戦以前というと近代というイメージですが 馬やロバは戦場にも投入されていましたよ

回答No.1

背嚢を専用に運ぶ背嚢部隊がありました

yamada504
質問者

お礼

ご回答有難うございます。 背囊って20キロくらいありますよね。 平地ならリヤカーに乗せて引けばいいですけど 山岳地や不整地の場合・・・ あれを2つ背負って行軍するんですか?

関連するQ&A

  • なぜ日本軍はリヤカーを使わなかったのか?

     太平洋戦争中、日本軍は自動車が不足しており、弾薬や食料も人間が担いで運んでいたと聞きます。しかしなぜリヤカーというか荷車を使わなかったのでしょうか?背中に担ぐより何倍もの重量が楽に運べますし(今でも自衛隊は迫撃砲の運用にリヤカーを使っているそうです)、当時の工業力でも簡単に量産できたはずです。  当時の行軍中の写真を見ても、従軍日記を読んでもリヤカーが殆ど出てこないので不思議に思いました。

  • ソ連の特攻

    第2次大戦中のソ連は、ドイツ軍機関銃陣地に丸腰の兵士を大量に突撃させ、逃げ戻ってくる兵士は機関銃で撃ち殺すといった、人海戦術というか兵士の命を割と軽視した戦い方をしたことで有名ですが、 ソ連の空軍でも、ドイツ軍機甲部隊に体当たり攻撃をしたパイロットが7人いるそうです。この7人はソ連が崩壊する前まで英雄として称えられていたそうなのですが、 このソ連での体当たり攻撃について詳しく書かれている書籍をご存知でしたら教えてください。

  • プッシュマスターって軽機関銃は偵察機U2搭載火器?

    多分60年代の話だと思うのですが、高高度偵察機U2の乗務員に支給された機関銃は特殊な機関銃だと聞いた事がありまして、名をプッシュマスター? 使用弾薬223 何故かやたら部品点数が多い (共産圏への潜入スパイへの武器供与で、銃の部品だと分からないように税関をすり抜ける為?) って聞いたので色々調べるのですが、出てくるのは90年代以降のモノばかりです。 その条件に該当する軽機関銃など存在していたのでしょうか?宜しくお願いいたします

  • 空挺部隊の対戦車戦

    バンド オブ ブラザースを見て疑問に思いました。空挺部隊が、戦車隊が攻めてくる状況で死守命令を受けました。重砲も空からの援護もなく、武器は機関銃、手榴弾、てき弾(迫撃砲は弾切れでした)程度のようです。こういった場合どう戦車を相手にするのでしょう?

  • 自衛隊が関ヶ原にタイムスリップ

    軽装甲機動車ー10台 96式装輪装甲車ー3台 89式装甲戦闘車ー1台 87式偵察警戒車ー1台 82式指揮通信車ー1台 MLRSー1台 155mmりゅう弾砲ー4台 90式戦車ー1台 99式弾薬給弾車ー1台 大型トラックー30台 AH-64Dー3機 OH-1ー1機 CH-47ー1機 UH-60ー1機 隊員ー300名 89式小銃 機関銃MINIMI 対人狙撃銃 12.7mm機関銃 84mm無反動砲 96式自動てき弾銃 81mm迫撃砲 が関ヶ原にタイムスリップしました。 どないなるかな?

  • ドイツ帝国軍の鉄兜

     よく映画や歴史書で、第一次世界大戦までのドイツ帝国軍の兵士の鉄兜に、槍の先のようなもの(スパイクと言うらしい)を着けていますが、あれは、どういう意味なんでしょうか?  単なる飾り・アクセサリーならば、いつ・どういう経緯で、あんな重いモノを着けたのでしょうか?  私は、当初、白兵戦になって、弾薬が尽き、銃剣も折れて武器がなくなったとき、最後の方策として、敵兵に頭突きをする為にあると、真顔で思っていました。

  • コルトガバメントM1911A1の性能についてです。

    第二次大戦において米軍が使用したM1911A1は地上戦において実用性の高い武器だったのでしょうか。 ライフルや短機関銃、その他の強力な兵器が使われる地上戦で拳銃を中心にして立ち向かっていく事はあまりなかったと思うのですが、戦闘では活躍できたのでしょうか? また当時のパイロットがM1911A1を装備している写真などを見かけますが、護身用としても十分だったのでしょうか? 長く米軍で使用された拳銃だと知り、気になってお聞きしました。  私は銃などの兵器について知識がなく素人な質問で申し訳ありませんが、詳しい方がいましたらお願いします。

  • 日中戦争の頃の中国の武器はどのようなものでしたか?

    日中戦争の頃の中国側の武器はどのようなものでしたか? 古い映画をみて、機関銃と迫撃砲くらいしか出てこないので、貧弱だったのかなと想像しています。 戦車や飛行機、戦艦、潜水艦などなかったのでしょうか? 飛行機などあれば日本本土を空襲したはずですよね。 中国の装備が貧弱であったので、日本はやすやすと侵入できたと考えてよいでしょうか? よろしくお願いします。

  • 第一次世界大戦にて使用された武器や兵器について

    こんにちは。 早速ですが質問させて頂きます。 表題にありますように、第一次大戦にて使用された武器や兵器について調べております。 銃、手りゅう弾、スコップ、車輌、飛行機、機関銃、毒ガス、クロスボウ・・・ 有名なのはネットにあるのですが、以外なこんなものがこのように使われていた、 などありましたら、みなさんの知識を拝借させて頂きたいと思います。 また、書籍や丁寧に説明されているURLなどもありましたら教えてください。 本でも良さげなものでしたら購入してみたいと思っております。 それではよろしくお願い致します。

  • 第一次大戦時の欧州西部戦線での歩兵戦術

    先日レンタルビデオで「The Trench(塹壕)」という映画を見ました。そこでは第一次世界大戦の欧州戦線(1916年7月1日のソンムの戦い)での塹壕での英軍兵士の状況とそこからの独軍陣地を目指しての英軍歩兵の突撃シーンが描かれていますが、歩兵は突撃の際に、独軍の塹壕陣地から雨あられの弾が飛んでくる中、多数の歩兵が一斉に立って、走るでもなく歩きながら銃を構えながら、銃を撃つでもなく、敵陣地を目指しながら黙々と進んでいき、案の定、多数の兵士がバタバタと敵銃弾に倒れていくシーンで終了しています。(英軍死者は2時間で6万人)これを見て信じられなかったのですが、今あれば、また、第2次世界大戦でも、このような場合は、伏せて匍匐前進とかで、なくべく分散して進むと思うのですが、当時の歩兵の塹壕戦は、このようなものであったのでしょうか?このような戦法であれば2時間で6万人の死者も当然と思うのですが、このような兵士の人命を完全に消耗品と扱うような戦法が、当時の英国でも取られていたことが信じられないのですが、どなたか、この辺の事情に通じておられる方の教えを乞いたいので、宜しくお願い致します。