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ラテン民族は戦争に弱いっていつから言われてる?

フランス、イタリアなどのラテン民族は戦争に弱いという言葉を聞きますが、いつごろから言われているのでしょうか? また、根拠はやはり第2次世界大戦でしょうか? 第2次世界大戦のときは、フランスはあっという間にドイツに占領されるし、イタリアはもっとダメだめでしたが、それまでの歴史をみると十分、強かったと思います。 古代のローマ帝国、中世以降の世界屈指のフランス帝国、ナポレオン戦争、等々ありますから。

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  • bossnass
  • ベストアンサー率44% (176/394)
回答No.6

日本では、フランスが戦争に弱いという印象を第二次大戦に持ちましたが ドイツでは、普仏戦争以降「フランスには充分勝てる」という思考を持っていますし ロシアでは、ナポレオンを最初に負かしたのは自分たちだという気概を持っていますし、 イギリスでは、建国以来フランスには戦争で一度も負けていないというプライドがあります。 そもそもイギリスは、18世紀に北米の植民地争奪戦で勝っており、それがフランス帝国衰退の要因になりました。 以上のことから、「フランス人は戦争下手」という考えは、意外に古いかもしれません。 ナポレオンもいじわるに見れば、国力の衰えたスペイン、分裂したドイツ、まとまりのないイタリア、周辺の小国相手にしか勝っておらず、イギリスとロシアに大敗北してますからナポレオン個人の卓越した才能とタイミングだけで栄光を手にしたと言っても もしかしたらあまり無理がないかも・・・。 イタリアは、西ローマ帝国滅亡以降、まとまった国家が成立しておらず、他国の侵略を受けっぱなし。 現在でもそれが続き、南北分裂の可能性さえある始末。 同じラテンのスペインは、国家として成熟する前に植民地を大量に抱えてしまい、中学生が株で大金を得たようなもので、その後はさっぱり。国内の少数民族独立問題や沿岸部と内陸の経済格差も解消できず、先進国の末席にかろうじてしがみついているようなもの。 第二次大戦でのフランスやイタリアの低迷は、その時に急に現れたのではなく、もっとずうっと以前から現れていたのです。 でも、フランス、イタリア、スペインって、料理がめちゃくちゃ旨いじゃないですか。 戦争上手のイギリス、ドイツ、ロシアってまともに食えるものが無い。世界一戦争好きなアメリカも大味で粗野な食い物ばかり。食い物のうまい国の国民は、無理して戦争に勝たなくてもいいのかもしれません。

qazxcvfr4
質問者

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ありがとうございます。 勉強になりました。

その他の回答 (7)

  • zep19
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回答No.8

(4)ゴンサロ・フェルナンデス・デ・コルドバ 16世紀前期のスペインの将軍 南イタリアのチェリニョーラで当時最強のフランス重装騎兵とスイスのパイク兵(長槍兵)からなるフランス軍を破る その戦法は 壕と土塁で野戦築城し火縄銃兵の多段撃ち この数十年後、南イタリアの地形に似た日本の長篠で織田・徳川軍が武田軍を破る 武田軍は騎兵隊でなく、徒歩の従者を率いた騎馬武者だが戦法は酷似している 宣教師が伝えたのか? (5)クリミア戦争でのサルディニア軍 クリミア戦争でセバストポリの包囲を破ろうとしてきた後詰めのロシアの大軍を撃退したのみならず 英仏軍も苦戦した損害の多いセバストポリ要塞の砲台を着実に落としていった (6)個の力の第二次大戦のイタリア軍 ・海軍特殊部隊のデ・ラ・ペンネ大尉らはアレキサンドリア港へ潜入し 英戦艦二隻を大破着低させ地中海艦隊を弱体させロンメルの第二次攻勢を可能にさせた 大尉は連合国側にたったイタリア王国軍でも活動し 建造中で枢軸側にあった空母アクィラをはじめ、巡洋艦二隻など撃沈、行動不能にしている ・空挺特殊部隊のたった二名で連合国支配下にあったベンガジ郊外の空港へ降下し米軍爆撃機20機を爆破破壊 ・海軍特殊部隊の特攻ボートでクレタ島にいた英重巡ヨークを大破 ・魚雷艇二隻で黒海においてソ連重巡モロトフを大破 戦後、ソ連に引き渡された戦艦ジュリオ・チエザーレが黒海の軍港で謎の爆沈しているが 引き渡しを潔しとしないイタリア軍の旧特殊部隊員たちの仕業の可能性が強いといわれている 意外と思われるかも知れないが、イタリアの戦後史は同時代の西ドイツや日本と違い、暴力的だ 極左、極右だけでなく、マフィアやカモッラの犯罪組織、国家警察である憲兵(カラビニエリ)や治安警察も暴力的 カラビニエリが極右の軍事キャンプを奇襲し銃撃戦とか また名称をコロコロ変えたイタリア情報部もCIAばりの謀略をやっているのが驚き

qazxcvfr4
質問者

お礼

ありがとうございます。

  • zep19
  • ベストアンサー率45% (138/306)
回答No.7

はたしてそうでしょうか? 13世紀末から16世紀前半までの欧州ではフランスが最強で それを破ったのはスペイン 17世紀のヴァサ朝のスウェーデンが現れるまではラテン系の方が強かったのでは? ラテン系のエピソードでは (1)アルモガバルス アラゴン、カスティリアに雇われていたスペイン人の傭兵隊 戦いは強いが、凶暴さでも知られ両王国でももて余していたところ オスマンに苦しめられていたビザンツに貸し出された アルモガバルスは小アジア上陸後、オスマンに対し連戦連勝 しかし資金不足のビザンツは給金を払わないどころか傭兵隊長を謀殺 激怒したアルモガバルスは小アジアを荒らしまくり、とばっちりを受けたアテネ公国は国を滅ぼされた (2)マルタ騎士団 オスマン最盛期のスレイマン大帝は大軍を用いマルタを征服しようとしたが 寡兵にも関わらずスペイン人、イタリア人主体のマルタ騎士団はオスマンに大損害を与え撃退した (3)ヤーコポ・デル・ヴェルメ ミラノ大公国最盛期のジャン・ガレアッツォの右腕で大公国軍の司令官 傭兵隊長にも関わらずジャン・ガレアッツォに終生忠誠を尽くす ジャン・ガレアッツォは兵農分離をし、産業を振興させ、軍も外国人を排除しイタリア人のみで組織した フランスなど大国や教皇派都市に囲まれていた状況下でヤーコポは内線作戦の利を利用し巧みに戦い続け ついに教皇派都市筆頭のフィレンツェ軍を率いる史上最も凶悪なイングランド人ジョン・ホークウッドを打ち破り撃退 1398年にはアルマニャック伯率いるフランス軍をミラノ大公国独力で破り 1402年には神聖ローマ帝国軍を独力で破った フィレンツェは本市以外の全トスカーナをヤーコポに占領され風前の灯だったが ジャン・ガレアッツォが急死し、無能な後継者争いに嫌気が差したヤーコポは軍籍を除籍し帰郷してミラノ大公国は凋落してしまう

qazxcvfr4
質問者

お礼

ありがとうございます。

  • ithi
  • ベストアンサー率20% (1973/9603)
回答No.5

qazxcvfr4さん、こんばんわ。 hitiです。ナポレオンは将軍達にいちいち指示を出していたらしいです。ロシア遠征の時は最終的には50万人の兵力の配置や指揮には、さすがのナポレオンも能力の限界を超えていたのでしょう。敗れてしまいました。普仏戦争は実際の地の元老である大山巌が直接観戦しています。それ以後、フランス式だった日本陸軍のシステムをドイツ式に改めます。フランスは第一次世界大戦ではイギリス、アメリカ、ロシアと同盟してやっと勝利を収めました。一時はパリは陥落目前でした。第2次世界大戦は質問者様の言うとおりです。マジノ線という要塞はアルデンヌの森という穴が開いてました。そこをドイツ機甲部隊に襲われたのです。これは本当に何も考えていないのと同じだと思います。第一次インドシナ戦争ではベトミン軍に破れ、植民地である仏領インドシナを失います。つまり、植民地すら維持できる状態ではなくなります。 イタリア統一の母体となるサルジニア王国はクリミア戦争を英仏と連合してロシアと戦ったりしていました。まだ、都市国家が乱立していたため、装備や訓練がいきわたらない軍隊は弱体なので、絶えず当時の大国との同盟関係を締結してから戦争に踏み切りました。1858年まず、フランスと同盟しオーストリア戦争に邁進。経済的に豊かなロンバルディア、中部イタリアのパルマ、モデナ、トスカーナを次々と併合しました。フランスにニースとサヴォイアを割譲しました。統一した1861年以後も、オーストリアやフランスに奪われた領土を回復するためにドイツやと同盟を結んで戦争を仕掛けます。これらの戦争に勝利して最終的なイタリア王国になったのは第一次世界大戦以後のことです。ある意味この時代のイタリアの方がフランスより巧妙な立ち回りをしています。 イタリアはもっとダメだめでしたが、 第2次世界大戦でのイタリアの失敗はソマリア・エチオピアという植民地を維持しようとして失敗したためということです。

qazxcvfr4
質問者

お礼

ありがとうございます。

  • tanuki4u
  • ベストアンサー率33% (2764/8360)
回答No.4

フランス、イタリアなどのラテン民族は戦争に弱いという言葉を聞きますが、いつごろから言われているのでしょうか? ↓ 他の方も指摘しているが、ヘタリアで認知が広がったようです。 ※ 「今度はイタリア抜きでやろうな」というエスニック・ジョークはかなり前からありましたが、一般的ではなかったかと。 40年くらい前、軍事マニアの小学生だった私は、当時から上記のジョークは知っていました。 軍事マニアはドイツ好きが多いですから。 http://blog.livedoor.jp/ishibe/archives/50251563.html この辺を読むと、日本側の片思いのようでもあります。 "next time without Italy"で検索したところ 2004年に該当の文字を入れたTシャツが販売されたというのが、一番古いようです。 書籍検索だと Machiavelli's children: leaders and their legacies in Italy and Japan RJ Samuels - 2003 - books.google.com 以外には 古いものは見つからない。 戦争が下手というと、第二次イタリア独立戦争での フランス+サルディーニャ VS オーストリア が 下手同志の戦いと言われています。 1859年のマジェンタの戦いとか。 ちなみに勝ったのは フランス+サルディーニャ のラテン系で 負けたのが オーストリア。 民族で云々というのは、基本的にはナンセンスだと思いますよ。

qazxcvfr4
質問者

お礼

ありがとうございます。

  • eroero1919
  • ベストアンサー率27% (3007/11113)
回答No.3

私もうろ覚えで回答してはいけないのですが、今のイタリア人とローマ帝国のローマ人は確か直系の子孫ではなかったような・・・? ローマ人からするとガリア(フランス)人は蛮民族もいいとこですからね。ガリア戦記で、戦いの直前になるとガリア人が興奮して裸になり出すのを見て、文明人のローマ人は「は?これから斬りあいするのになんでアイツら服脱いでるの?野蛮人はなに考えてるかわけわかんねえ」って戦慄したそうですから。 フランスはそれこそルイ王朝の昔から大陸軍国だったので、一度や二度負けたからといって評価が劇的に下がるというものではないでしょう。現に、今でも世界に冠たる陸軍国であることには変わりありません。 イタリア人が戦争に弱いと揶揄されるのは第二次大戦以降じゃないですかね。最も、第一次大戦で若き日のあのロンメル将軍(当時は確か中隊長)に大戦中最大の敗北を喫していますから。 ただ、イタリア人の名誉のためにいうと、個人的な勇気が試されるような場面だとイタリア人は大活躍なんですよ。小型潜水艇に乗って潜水服で密かに侵入して爆弾を仕掛けるなんていうのに第二次大戦中のイギリス軍が手こずっているんです。たった1人か2人で敵中突破ってのはちょっと日本人には真似はできないですよね。でも、集団になるとなんだか腰抜けになっちゃう・笑。 もっとも、イタリアが弱いって揶揄が一般的になったのはあの「ヘタリア」とかいうアニメだかマンガだかによってじゃないかな。それまでは、軍事マニアの間だけで揶揄されてましたから。 これ、あくまで自説なんですが、戦争のときのその国の兵隊の強さとメシの美味さは反比例の関係にあるのではないかと思っています。フランスもイタリアもグルメ大国だし、中国もそうですよね。 一方、ドイツ人はじゃがいもとソーセージとザワークラフトくらいしか食べないそうですし(じゃがいもの消費量は世界一。ドイツはリサイクルなどで有名ですが、家庭から出る生ゴミの量ってものすごく少ないのだそうです)、イギリス、アメリカのメシのまずさは世界に冠たるものです。私、どこの国にいっても「お米が食べられなくてホームシック」ということはなかった人ですが、アメリカに行った時だけは「なんでこの国はどこで何を食べてもこんなにまずいんだ」って泣きたくなりましたもん。

qazxcvfr4
質問者

お礼

ありがとうございます。 メシのうまさと反比例するという傾向はあるかもしれませんね。 しかし、日本はどうなるんでしょうか。 メシがうまい国といえると思うんですが。

  • ithi
  • ベストアンサー率20% (1973/9603)
回答No.2

qazxcvfr4 さん、おはようございます。 フランスが戦争に弱いのは普仏戦争後から言われていました。それまではナポレオンの影響でヨーロッパ最強の陸軍の一つと呼ばれていました。だから、日本が陸軍建設にモデルに最初になったのはフランス陸軍でした。 フランスの軍事的アイデアは光るものもありますが、総じてドイツほど実際的ではありませんでした。また、装備の更新には後氏としては画期的な装備も不統一な見解からたびたび中断、もしくは遅らせられるなど、はっきり言って物事をしっかり考えてから出来ないという感じを受けます。つまり、物事をしっかり考えるナポレオンのような強力なリーダーがいないとだめなのです。 イタリアはドイツとほぼ同じく、19世紀半ばになってから統一したので、まだ地域国家の寄せ集めのような感じですので、フランスよりも条件が悪く、装備更新についておくれがちで統一したシステムがありませんでした。 ラテン民族の方々は理論よりも感情に重きを置いているのでこういう組織的でかつ冷静な判断を求められる事柄には不得手なのかもしれません。 一番、良い方法はこの二カ国とドイツを比較するのが良い方法かもしれません。

qazxcvfr4
質問者

お礼

おはようございます。 ご回答ありがたいのですが、疑問を感じます。 フランスは普仏戦争で敗れましたが、そこだけで急激に評価が下がるのでしょうか。 世界屈指のフランス帝国はその後も長い間、続くわけですし。 それと「ラテン民族は」というくくりで表現しているわりに、イタリアはまだ統一されたばかりなので、 その時点では弱いとか強いとか評価しようがないのではないでしょうか。

  • tzd78886
  • ベストアンサー率15% (2590/17104)
回答No.1

西洋のうち、地中海に面した南欧は比較的温暖で、昔から生きていくのに苦労しませんでした。  北欧系の国は寒冷で碌に作物も育たず、海外に進出していくしか生きていく手段がなかったのです。主食にして南欧はパンだったのに対し、北欧はかつては野生動物、農耕が入ってきても牧草で家畜を養うくらいしかできなかったので、肉が主食です。南欧の戦闘というのは支配者に限定されていたのに対し、北欧系は国民性が闘争的なのです。  つまり、農耕民族と狩猟民族みたいなもので、民族性の違いとしか言いようがありません。  日本人は韓国、中国では歪曲されていますが、世界的に見れば温厚な民族です。温帯地域で、米が大量にとれたため、海外に進出することが無かったためです。戦国時代など支配者である武士の歴史しか学びませんから誤解している人が多いですが、大多数を占める農民は支配者が変わっても無関係でした。

qazxcvfr4
質問者

お礼

ありがとうございます。

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