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地名
6歳になる孫の素朴な疑問です。東京の地名ですが例えば世田谷(セタガヤ)・祖師谷(ソシガヤ)等~他にあるかもしれませんが今は思いつきません~漢字に無いガを入れて読みますがなぜでしょうか?また最後の字に谷があるところがあるのはどうしてか?と問われましたが答えられませんでした、ご存知の方是非教えてください。
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たぶん行政の考え方で表記を統一しているのだろうと思います。 本来 世田ヶ谷、世田が谷、世田ケ谷、などと書けるわけですが。それを避けるために「が」無しに統一しているのでしょう。1960年代に町名を減らした時に住居表示も変更されました。その時の「美意識」というか「合理主義」にかなう考え方だったのでしょう。 雑司が谷の場合は雑司が谷、雑司ケ谷、雑司ヶ谷のどれも使われていて、私のコンピューターの変換では三つとも最初から入っています。しかし雑司谷はありません。 https://maps.google.co.jp/maps?hl=ja&q=%E9%98%BF%E4%BD%90%E8%B0%B7%E9%A7%85&ie=UTF-8&ei=HXshUuHEEYOVkAXiwIGIBg&ved=0CAgQ_AUoAg 阿佐谷の場合は駅名は阿佐ヶ谷で中学校も阿佐ヶ谷中学、建物名などは阿佐ヶ谷か阿佐ケ谷、しかし住居表示は阿佐谷南・阿佐谷北になっています。確か60年代に住居表示が阿佐谷になったのでそれ以前からある物や地元の人は昔の表記のままヶケを入れているのです。雑司ヶ谷の場合はどれでもOKにしたのだと思います。 祖師谷も駅名にはヶが入ってますから阿佐ヶ谷と同じいきさつだと思います。 谷は本当に地形が谷であってたいていは田んぼがあったところが多いようです。わき水があった所にも。東京の場合地名の谷はほとんどが「や」と読む習慣ですね。谷戸、谷地から来ているのでしょうか。 例外は鴬谷と茗荷谷この内茗荷谷は「みょうががや」はさすがに読みにくいからではないでしょうか。かと言って「みょうがや」では妙ヶ谷みたいで茗荷がつながりにくい。鴬谷のほうは見当が付きませんが、うぐいすでしゃれたつもりなのに語呂が悪過ぎるからか。
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- SPS700
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1。が #1さんのおっしゃる通り「ゲ」とか小さく「ヶ」と書いたりしたものの名残で、意味は「の」、例えば、我が国、七里ケ浜、洞が峠、などにあります。 2。ヤ これは地形のくぼみを指す東日本に多い表現で、ふつう「谷」という漢字が当てられています。西日本では「タニ」系統の語、(例えば九州の一部では「ダイ」)が使われています。「ヤ」の近くは斜面が多いので#2さんが指摘されたように「坂」がつきものです。 地方による差が古くある証拠としては『物類称呼』(1775年刊)1 に、「たに 江戸近辺にて、やと唱ふ。渋谷瀬田谷等也」とあります。次いでですが御書きになった方は越谷吾山(こしがやござん)です。
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回答有難うございます。誠に参考になりました。
谷の字が入る地名はだいたい坂が多いです。 渋谷は道玄坂とか宮益坂とか公園通りとか坂道だらけ。
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回答有難うございます。参考にさせていただきます。
- aokii
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もともとは、ガ(ヶ)を入れた地名だったからでしょう。 ≪世田谷の語源≫ 中世末(安土桃山時代末)までは「せたかい」と発音され、文字にすると「せた峡」(せたかい)となり谷の意 味から「せたがや」と変わって、「世田谷」「世田ヶ谷」と書くようになったという説があります。また、古書によると多摩郡勢田せた郷に含まれていた関係で、「せた」と呼び文字は、瀬戸(狭い海峡)という文字から引用され 、狭い谷地の意味で瀬田(せた)と変化し、谷の多い土地の意味から世田谷と呼ばれたとする説などがあるそうです。 ≪祖師谷の語源≫ 古くは鎌倉時代に日蓮宗の寺ができそこに祖師堂を建設したことから祖師ヶ谷の名が起こったと思われる。元禄時代(1698頃)には上下に村が分かれたが、この地はその下祖師ヶ谷村である。 明治22年(1889)に周辺の7つの村と合併して誕生した千歳村の大字となり、昭和11年(1936)に千歳村が東京市に編入された際に祖師谷2丁目となった。その後町域変更を重ね昭和46年(1971)に住居表示により現在の祖師谷となった。
お礼
回答有難うございます。古いことをよくご存じでとても参考になりました。
お礼
とても詳しく回答頂きまして誠に有難うございます。孫に噛み砕いて説明出来そうです。