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鶏口牛後って四字熟語なんですか?

素朴な疑問です。 鶏口牛後の意味は分かります。 でも、これって四字熟語なんですか? 私は子どものころ、故事成語として 「鶏口となるも牛後となるなかれ」 という言葉(文章?)として教わりました。 「鶏口牛後」 って、この故事成語が長くて面倒くさいから単に短縮しただけのように思えます。 こんな比較は薄っぺらくて偉大なる故事成語に申し訳ないのですが、 「あけおめ」と同じレベルに感じるのは私だけでしょうか・・・。 もしかして、四字熟語ってどれもだいたいこんな風にしてできたのでしょうか。 くだらない質問で申し訳ありません。 時間があればお付き合いください。 よろしくお願いしますm(_ _)m

みんなの回答

  • Tacosan
  • ベストアンサー率23% (3656/15482)
回答No.5

本題ではありません. 「鶏口牛後」が今に伝わるのは「史記」蘇秦列伝の 寧為雞口、無為牛後 による. ただしこれ自体「ことわざ」としている模様. そして, いくらなんでも「鶏口牛後」を読み下して「鶏口となるも牛後となるなかれ」になるわけがない. 「なかれ」はどこから出てきたというのか.

ciel_bleu
質問者

お礼

>寧為雞口、無為牛後 あ!よかったです(^_^) そうですよね! 漢文やら漢詩やら中学高校でいろいろやり、「これがかの四字熟語の原文」みたいなものも出てきましたが、どれも、四字熟語にするには余計、でも日本語の読み下しの中には絶対存在する助詞(っていうんでしょうか?)が入っていた気がしていたんです。 原文、ありがとうございました。すっきりしました!

  • hunaskin
  • ベストアンサー率30% (1854/6060)
回答No.4

>>もしかして、四字熟語ってどれもだいたいこんな風にしてできたのでしょうか はなしが逆です。 漢語の「鶏口牛後」を日本語の「鶏口となるも牛後となるなかれ」に読み下したのです。 四字熟語であらわされる故事来歴はほとんど輸入ものだと考えてください。 大陸からわたってきたものをわかりやすいように日本語にして人口に膾炙するようなったのです。 >「あけおめ」と同じレベルに感じるのは私だけでしょうか・・・ ほかにも同様に感じる方はいらっしゃるかもしれませんが、それは無知ゆえの誤り、ということです。

ciel_bleu
質問者

お礼

No.3の回答者様のお礼にも書いたのですが、原文が四字で成り立っているとは知りませんでした。もともと日本語に書き下した分の中にある、「なかれ」とか「なる」とかが、漢字の原文の中にあると思っていたので。いえ、古文・漢文(というより国語全般)が苦手だったので、あてにならない類推ですが(笑) 原文が四字なら、納得です。 ありがとうございました。

  • nananotanu
  • ベストアンサー率31% (714/2263)
回答No.3

>「鶏口となるも牛後となるなかれ」 を、中国語で書くと鶏口牛後。 逆に言うと、鶏口牛後という中国語を日本語に翻訳すると(書き下すと)鶏口となるも牛後となるなかれになる、ってだけです。

ciel_bleu
質問者

お礼

原文がたったの4字なんですね!初めて知りました。これまで、中学、高校と漢文を習ってきて、漢文の日本語訳の中には普通に漢文で漢字表記されているような言葉があったので(この言葉でいえば、「なかれ」とか「なる」とか)、これも原文は4字以上の文章なのだと思ってました。 原文が4字で構成されているなら、なるほど、納得です! ありがとうございました。

  • Tacosan
  • ベストアンサー率23% (3656/15482)
回答No.2

まじめに考えようとすると, そもそも 「四字熟語」ってなんだ ってところから考える必要がありますね. 広くとれば「4個の漢字からなる意味のまとまり」だから「鶏口牛後」も十分「四字熟語」とみなせる. もっといえば「故事成語」とか「四字熟語」だって. 「分割すると意味をなさない」ということまで求めると「故事成語」とか「四字熟語」は四字熟語にはなりませんが, 「鶏口牛後」を「鶏口」と「牛後」に分割してそれぞれの意味を合体させても「鶏口牛後」の意味にはならない, はず. 「文章等を省略したものは認めない」ってしちゃうと, かなりきついんじゃないかなぁ.

ciel_bleu
質問者

お礼

ありがとうございます。 そう、そうなんですよ。 最初は、鶏口牛後にどうも言いようのない違和感があったのですが、四字熟語を突き詰めてみると、結局、省略したものが多いな、と思って。先の回答者様の、温故知新もそうですし。すると私のこの違和感はどこから来るんだろうか、と。 考えてみれば、四字熟語で故事成語から派生しているものはたくさんありますね。省略形が薄っぺらくてどうのこうの・・・と言っているようでは、多くの四字熟語が薄っぺらになってしまう・・・。でも、実際は省略形の四字熟語でも、重厚な意味を感じ取って使っているものも多々あるんです。 そう考えると、鶏口牛後は、頭が固くなってから知った四字熟語だから違和感があるんだなと、思うようになりました。

  • AR159
  • ベストアンサー率31% (375/1206)
回答No.1

とても良くわかります。 ひょっとすると質問者さんと同世代かも知れません(笑) 「温故知新」が、元々「故(ふるき)を温(たずね)新しきを知らば、以もって師と為るべし」という論語の中の言葉ですが、今は四字熟語になっているようなものですね。 すべてが故事成句から変化したものとは限りませんが、最初から四字熟語であったものと同じように扱われているという事でしょうか。

ciel_bleu
質問者

お礼

ありがとうございます。 同世代かもしれませんね! 面白いことに、温故知新も省略形である、にもかかわらず、私は違和感なく、しかも、その深い意味を感じながら使っています。 ということは、「あけおめ」式がだめなのではなく、どうも、私の人生の中で新規に登場した四字熟語で、しかもその原文が重々しい故事成語であり、その故事成語の記憶のほうが古かったことが原因のような気がしてきました。しかも悪いことに、近年妙な日本語の省略形が横行しているという状況も加勢して。 温故知新は四字熟語を覚えると同時に、そのもとである漢文(確か中学生でやった気が)も習ったので違和感なく使っているのだろうと思います。 やっぱり頭が固くなるとだめですね・・・(泣) …というわけで、私はそのような年代です。回答者様と同年代かどうか・・・(汗)

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