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アインシュタインは本当に相対論者ですか?
uen_sapの回答
- uen_sap
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質問の主旨を誤解していたら、指摘下さい。 自分が止まっていて(静止している)、相手が動いている場合。 相手から見ると、こちらが動いているように見える。 これが出発点。 どちらの座標系での運動方程式がどうなるかを研究したのがアインシュタインですから、天動説とは話題の次元が異なります。 アインシュタインは 1)等速直線運動下で、静止系と運動系でどちらでも光速度は一定(実験結果)となる座標変換を見出しました・・・特殊相対論・・・ 2)加速度系では、重力による加速度と運動していることによる加速度が全く同一であるとすると、整合ある運動方程式が得られることを見出しました・・・一般相対論・・・ 宇宙の解明に一般相対論は威力を発揮しています。
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補足
>自分が止まっていて(静止している)、相手が動いている場合。 >相手から見ると、こちらが動いているように見える。 >これが出発点。 おっしゃるとおりですね。 アインシュタインも、同様に「静止系」を捉えているようです。 >どちらの座標系での運動方程式がどうなるかを研究したのがアインシュタインですから、天動説とは話題の次元が異なります。 確かにそう思われるのも無理もないことでしょう。 そういう風に多くの書物などで宣伝されているからです。 ですが、よくよく読んでみると、静止系を連発し 観測者が止まって相手が動いていると思わせることで、 ある方向に読者を誘導しています。 分かりやすい例をお見せします。 たとえば、静かな湖面を白鳥が泳いでいる光景を 思い浮かべてください。 白鳥がチャポチャポやると回りに丸い波が出現しますね。 そしてその波の波長は白鳥が「動く方に」縮みます。 まさに、「光速不変」状態です。 このように、観測者が止まって波源が動いている状態を 思い浮かべると、「光速不変」は理解し易いものとなります。 ですが、観測者が止まって光源が動いている? そう決め付けられるでしょうか? そんな根拠などひとつもありません。 白鳥が作る同心円の輪の中に観測者の方が、 ボートで突っ込んでも同じでなければなりません。 それが「真の相対論」です。 ですから、この例で行けば、相対論は当てはまりません。 それは、現象が同じにならないからです。 つまり、この現象は相対論ではなく、「観測者」と「白鳥」と 「湖面の水」との『三対論』だからです。 三対論を相対論に摩り替えているのがアインシュタインの 「相対性理論」です。 「静止」も「運動」も見方の違いでしかありません。 つまりアインシュタイン風に言うなら、まさに「等価」です。 私たちの身の回りの建物や、地面や橋など、ほとんどの物は 「静止」しているように見えます。 ですから車が、信号待ちで「止まっている」などと表現します。 ですが、物理学的にはこのことを「静止系」などと呼びません。 そう呼んでしまったら、天動説へまっしぐらなのです。