東京大学 学力崩壊とは

このQ&Aのポイント
  • 東京大学の学力崩壊とは、グローバル競争で遅れをとり、学生の内向き志向と均質化が進んでいることを指します。
  • 東京大学では教養豊かなスケールの大きな人材が育たなくなっており、国力の低下につながる深刻な事態となっています。
  • 国が東京大学をエリート養成大学と明確に位置付けし、積極的に投資を行うことが必要です。
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東京大学 学力崩壊

某週刊誌に「悲惨なことになっている 東京大学 学力崩壊」という記事が載ってました。 ただこの記事、ちょっとタイトルと中身が違うかなという感じで、実際に具体的なデータで学力低下を論証するような記事ではなくて、要するに東大がグローバル競争で遅れをとっているとか、学生が内向き志向で均質化しているとか、日本を背負って立つような教養豊かなスケールの大きな人材が育たなくなってきている、とかいう話です。 そこで質問ですけど、ではどうすればいいと思いますか? 因みに僕は(全くのど素人の意見ですけど)、「東大の凋落=国力の低下=由々しき事態」だと思うので、国が東大をエリート養成大学と明確に位置付けて、どんどん税金をつぎ込んで優遇すればいいと思います。ダメでしょうか?

  • mkfdh
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noname#181436
noname#181436
回答No.9

企業も大学も人材をほとんど国内でまかなっているのが問題じゃないでしょうか。 アメリカの大学が研究機関として強いのは、世界中から優秀な教授が集まること、それを求めて学生も世界中から集まることにあると思います。 そして企業も世界中の優秀な学生を採用しています。 一方の日本は、教授のほとんどは日本人ですし、日本語のできる学生を相手にしてます。 これでは太刀打ちできないのは当たり前なんでしょう。 途上国からは技術目的で留学してくれますが、欧米からの留学生のほとんどは「日本文化」を学びたいって学生ばかりでしょう。 欧米の学生が技術系の研究に魅力を感じて、日本に留学したくなるようにならないと、これから先は大変だと思います。 まず下地として、留学生を受け入れやすい環境(英語、寮など)を整備すること。 博士課程には、それなりの給与も出ないととてもじゃないけどやってられませんよね。 その上で、いい研究成果を出していくことしかないのかなと・・・。

mkfdh
質問者

お礼

回答ありがとうございました。至極まっとうなご意見だと思います。

その他の回答 (9)

  • takkochan
  • ベストアンサー率28% (205/732)
回答No.10

全体として確かにアメリカがトップであることは認めます。 しかしながら、英語でやるように変えていけば本当に伍していけるようになるでしょうか。 ヨーロッパで英語を中心にやっているところは英国は別にしてほとんどありません。ドイツ語、フランス語、イタリア語、その他いろいろです。 ずいぶん前のことで、今はどうか知りませんが、ドイツに留学すると、半年は英語で相手してくれるけど、その後はドイツ語にしてくれといわれると聞きました(研究者としての留学)。 最先端の研究をやるのが目的であって、英語にこだわるのは本末転倒だと私は思います。先端科学技術のすべてがアメリカがトップだと考えるのは、極論だと思います。本当に深くディスカッションをしたい時、言葉がネックになって研究の進捗がにぶれば本末転倒だと思うのです。 もちろん、すべてを日本語にしろといっているのではないのです。英語でやりたい研究者は英語で、日本語でやりたい研究者は日本語でかまわないと考えます。もちろん日本語でやる研究者も外国人と議論するときには英語が必要になるのは当然です。しかし、議論のために英語が必要だからといって、なんでも英語でやるのが本当に正しいかというと、私はそうは考えません。 9月入学にすると東大がいえばすべての旧帝大が追随するのではなく、4月入学があっても良いし、東大でも4月入学を残しても良い。 誰かが英語でやろうというとグローバリゼーションとか言って、皆がそれが正しいと主張して、全体がそちらに流れるのは危険だと私は思います。

mkfdh
質問者

お礼

回答ありがとうございました。実体験に基づく貴重なご意見であり大変参考になりました。

回答No.8

世界ランキングです。 タイムズ(アジア) http://10rank.blog.fc2.com/blog-entry-201.html QS http://tabetainjya.com/archives/news/qs_2012-20131/ 傾向としては過去20年と変わりません。 1.医学、数学など理系論文数が多い大学が有利、強い 2.1に重きにおける、大学院教育が強い大学が強い 3.英語教育の強い大学が強い 人口比で考えるとアジアオセアニアでは 香港、シンガポール、オーストラリアが3強です。 次いで日本、 その次がインド、中国、韓国でしょうか。 東大はずっとアジアトップ大学であり、気にしなくていいかな、と思います。 イギリス、アメリカの2国だけを除けば東大はずっと世界一の大学です。 僕が思うに問題はそれ以外(日本の大学トップ20)だと思います。 京大や阪大、東北大は世界トップ100にコンスタントに入るんですけれど 早稲田慶応などの私大やその他国公立はなかなか入って来ません。 香港、シンガポール、オーストラリアのトップ大学はほぼ100%1年の春から、つまり高校時代から全授業を英語で行います。インドネシア、インドも同様です。 ですからこの辺りの高校生は(英語と言うネックがないので)大量に欧米の有名大学に進学していきますし、あるいは大学院で欧米の有名大に進学して行きます。 この辺は参考に出来ると思いますよ。 また大学院研究レベルが高い。 この辺、日本の場合は「どうなんだろ」と言う部分はありますね。特にMBAやロースクールなど文系の専門職院は独自性や実践性、研究性でも壊滅的です。 形式的に大量作成しちゃったツケですね。今後は分かりませんが。 一方で、奈良先端大学院大学や沖縄科学技術大学院大学など独自色を打ち出したユニークな大学は成功してると言えます。 官僚や政治家主導の行政一括だとマヌケなハコモノの大量製作と言う悪名高い3セクの再燃になりかねません。自由にやらしてビルド&スクラップってのがベストだと思います。 そういう意味ではダメなロースクールが最近どんどん潰れているのはとてもいい事だと思いますよ。 あと シンガポールのように海外の有名大をガンガン誘致するのも手だと思いますよ。 大学としては面倒臭い法律面や単純な建設費が肩代わり出切るし、行政サイドは有名大が簡単に誘致できるからwinwinですよね。 もっともっと英語と大学院研究を深めるべきですね。 特に日本は数で言えば7,8割は文系なんですが、例えば東大や慶応の文系に進むと、そこから理系に進む道が事実上ありません。 また中学や高校のどこかで数学に「こぼれて」しまうと救う道がありません。 カリキュラムの柔軟な変更や高校、大学でのサポートなどを含め、もうちょっと「育成」に視点を置くべきだと思いますね。 単に理工系に進んだからと言ってデキの悪い理系を飼っておくのも無駄だし、優秀な文系の行き先が公務員と営業マンぐらいしか無い現実も無駄が多いですよね。 ※個人的には↑の政治家的マクロな発想はますます消えてくと思います。 今は「私立中受験して東京圏の有名大に行く都心部の金持ち」と「公立中高から地元国立に行く田舎の人」ぐらいの差しかないけどもっと細分化されると思う。 例えば 香港人とかずっと前からそうじゃないですか。「小学校は香港、高校は香港のアメリカンスクール、大学はカナダ、大学院はアメリカ、アメリカで働いて、その後中国やシンガポールで働く」なんてのが普通です。 変な話「地元の国立大が潰れても俺は関係ねーよ」みたいな層がどんどん増えてくかな、と。 皆はハーバードなどアメリカ東部の大学を東大と比較したがるけど、 将来の経済・環境面から言えばシンガポールや香港、豪州の英語圏大学が十分に東大、慶応のライバル校になり得る。 大学院は日本も含めてそれこそ世界中になる。俺は俺、お前はお前、みたいな感じですね。 トルコで「オリンピックに悪影響?そんなの俺の生活には1mmも関係ねーよ」って人がたくさん暴れてますけれど、日本もそうなっていくと思いますよ。 政治家や官僚としては、恐らくゆゆしき事態ですけど、事実どんどんそうなっていっています。 言語も感覚も階層で違いますしね。 僕はそれでいいと思いますよ。

mkfdh
質問者

お礼

回答ありがとうございました。カリキュラムの柔軟な変更の効く制度は僕も必要だと思いました。ご意見ありがとうございました。

  • TANUHACHI
  • ベストアンサー率31% (791/2549)
回答No.7

 >この連中 この規定の仕方に問題がありますね。何を指しての指示語でしょう。文全体から見る限り、その直前の左翼系の連中といっている可能性もあり、この点で僕はこの回答者を問題視します。  何時の時代でも東大はエリート養成組織であるわけでもありませんでした、敬愛する政治学者の南原繁先生は吉田茂から曲学阿世の輩と非難されましたが、これは学者としての最高の栄誉ともいえます。  明治維新以後、日本が「追いつけ追い越せ」で邁進してきた一つの事例が国民皆教育制度のシステムに如実に表れてもいます。  けれどもその実態にはお寒いものもある。漢字の読み方一つとっても、文科省のガイドラインでは「工夫」を「くふう」と読むことを前提とするなどの考えもチラチラと見えています。けれどこの「工夫」が「くふう」ではないケースも多々ある。文脈に従って読めば、これを「こうふ」と読むことで「初めて」意味を示す言葉であると理解させることにつながりもする。  一つのことに対し一つの答しか出すことのできない発想をさせることが僕は問題であると思う。この回答者は色分けすることの意味を表面的にしか理解していないともいえる。成績の良い子どもが理解に少し不安のある子どもにアドバイスをすると、その子どもに新たな視座が生まれることも実証済みです。斎藤喜博の実践や綴り方教育のスタンスをみれば、個性を引き出すともう一方の個性の芽も伸びていく。恰も音叉の共鳴現象にも似ています。  仮にエリートを囲い込んだところで、そのエリート内部でも更に階層分化が進むことも明らかであり、その競争は限りない消耗戦と同じです。ハツカネズミが回すあの輪車を想像すれば、本来ならばハツカネズミが輪車を回すはずが、何時の間にか輪車にハツカネズミが翻弄されてしまっている。まるで本末転倒です。  東大は本来の学術の拠点に戻ればそれでよいでしょう。しかも先端的研究を京大と競う形ならば、日本の学問を相対的に底上げすることにもつながる。  僕も猫の先生同様、日本には大学という名前の付いた幼稚園が多すぎると感じています。もっと少なくても良い。より具体的にいえば、国公立は旧一期校+都立+大阪市大くらいで十分です。私立も早慶(近年は両者とも劣化していますが)私学創立当時からの伝統校(イギリス法の中央・フランス法の明治法政・東洋哲学に強い東洋・理学分野に特化した東京理科大)や医学領域などで特色ある研究活動を続けている大学だけで十分でしょう。猫も杓子も大学に行く必要などどこにもありません。  明治以後の識字率と明治以前の庶民の教養レベルを比べても明らかです。少なくとも江戸時代の庶民は百人一首を通じて古典の教養を身近なものとして受け止め、それをパロディにして遊んでもいた。また「いろはカルタ」の字札一つを見ても「諺の解釈に相違がある」ことも明らかです。この問題を事例に則してみれば、「い」という絵札が「犬も歩けば棒に当たる」の場合は、少なくとも二種類以上はある。  犬に棒が当たっている図柄には犬と棒切れが描かれ、この棒は公方を意味することもある。一方で犬が子どもにじゃれついている絵札の場合もあれば、犬が坊主にじゃれついている絵柄もある。後者は「犬と呼ばれる下層身分の者が庇護を求めた場所」が寺社であったことも意味している。これは当時の人間の社会意識を知るための大きな手掛かりであると見ることもできる。  これに対し、明治以後は「これに対しての答はこれ」と何時しか一問一答形式の発想しかできなくなってしまい、漱石や竜之介はそこからドロップアウトする形で自らのスタイルを確立していったともいえる。これが「日本が持つ歪んだ近代観」でもある。答は本当に一つしかないのか、と疑うことこそが本来の知であるのだが。  官僚は「言われたこと」をそのまま「実行すれば」そこで仕事も完結していたはずですが、いつしか官僚が現実の政治を仕切る形に変形していった。1945年以前のシステムの中心にいたのは「軍部」と呼ばれる官僚組織であり、その中にも明らかなヒエラルヒーが認められる。こうした意味で言えば、あの戦争も軍部の独走ではなく官僚の独走であったと評価することも難くありません。官僚だから「都合の良い想定ばかり」を前提とし、例外は認めないとの頑なな姿勢に固執する。悪循環は何処まで行ってもきりがありません。中には心ある官僚もいることでしょう。でもそうした殆どは異分子として排除されもする。結果は純粋培養されたモノだけが残るとのまことに厄介で恐ろしいシステムです。

mkfdh
質問者

お礼

回答ありがとうございました。庶民の間にも色々な形で教養が浸透することが分かりました。ご意見ありがとうございました。

  • LHS07
  • ベストアンサー率22% (510/2221)
回答No.6

RE.No.1です。 国際規格というと散々話し合ってきまったものですよね。 そうではなく、今の流れを理解してその中で話し合って自ら世の中のルールを日本に都合が良いように 作っていくことが大切です。 そのためには語学力が必要で、いかにこの考えにメリットがあるのか説得することが大切です。 昨日正しかったものが今日は違っている いや数時間前まで正しかったものがそうでなくなる時代にきています。

mkfdh
質問者

お礼

回答ありがとうございました。ご意見は参考になりました。本当におっしゃる通りだと思います。同感です。

noname#232424
noname#232424
回答No.5

ヒトがおいそれとは進化せず,知力が正規分布するとすれば,18歳人口が減るほど「上から何人」のボーダーにいる連中の水準が下がるのは当然。40年前のむかしでも,「個人的に崩壊したやつ」はいましたし 笑。大学の門戸が狭かったろの帝大卒の教員からみれば,ぼくらも「新制の馬鹿」だったろうし。 学力崩壊? なにをいまさら。1994年に『知の技法』が東大教養学部教科書(文系用)として出版されたときすでに,業界では「げ。東大でも大学での勉強法を教えなきゃいかんの?」という驚きがありましたね。タイトルは(いかにも駒場ふうに)かっこうをつけているけど,中身は「お勉強マニュアル」。 問題は,日本全体の若者の学力や意欲が,18歳人口にかかわらず減退している(とぼくには見える)こと。社会が老成したんですかね。ぼくは,初等・中等教育をしっかりやって,高卒でまあまあの人間になれるなら,かつ,もう国家にお金がないなら,かなりの大学をつぶしていいと思ってますね。ぼくは失業するかもしれないけどさ 爆。そのまえに,旧帝大は完全な大学院大学にして学士課程を廃止したほうがいいでしょう。

mkfdh
質問者

お礼

回答ありがとうございました。ご意見は参考になりました。確かに大学教育はもっとスリム化してもいいと思いました。しかし「知の技法」ってタイトル、格好つけすぎですよね? おっしゃる通りいかにも駒場ふうで、このネーミングセンスはどうにかならないのかと思いました。

  • TANUHACHI
  • ベストアンサー率31% (791/2549)
回答No.4

 もし東大がエリート養成組織であるなら、それは明治維新と全く同じ発想になります。近代国家形成にとって「何が優先順位の上位になるか」との話です。  西洋に比べれば、日本には国家基本法や議会などの発想がなかった。そこで急拵えの形で官僚の養成を図らざるを得なかったとの論理になります。  今時、官僚と国家の関係がそのまま「国力の低下」といえるでしょうか。これは疑問符が付きます。官僚だけがいても、その官僚をコントロールするシステムと官僚の役割が明確でなければ意味もありません。  何か誤解しているかのような印象もあります。東大にも独創的な研究をしている友人もおりますが、彼等に日の当たることは先ずない。文系や理系の基礎科学領域といった部分には何も投資していないのが現実です。専ら東大に求められているのは、お上に逆らわせないための人間を如何に育てるかであって、研究本来の姿からすれば捻れてしまっているともいえます。  質問者様が「エリート」とお呼びになっているのは「どの様な人物」を指すのでしょうか。100年後の日本の姿を見通して研究をする研究者でしょうか、それとも単なる官僚でしょうか。官僚ならばそれは東大に限る必要もありません。むしろマニュアル化して全国の大学から選抜すればよいだけの話です。  けれど「それを言っちゃあ、おしめえよ」との話もあります。マニュアル化の意味するところは思考停止の人間を大量生産することでしかありません。彼等は「設問に対し想定する結果の範囲内」に全てを収める。つまり「初めに結論ありき」の姿勢ともいえ、それは学術の死を意味する。従って僕は質問者の提案には真っ向から反対です。

mkfdh
質問者

お礼

回答ありがとうございました。質問が誤解を招きかねない表現ですいませんでした。僕が国が養成するべきだと言ったのは、政府の御用学者やマニュアル官僚を育てるべきだという意味ではなく、世界で通用するレベルで尚且つ国益を考えて行動できる人材、というくらいの一般的な意味で発言しました。紛らわしくてすいませんでした。

  • oldpapa70
  • ベストアンサー率34% (682/1991)
回答No.3

>国が東大をエリート養成大学と明確に位置付けて、どんどん税金をつぎ込んで優遇すればいいと思います。ダメでしょうか? 良い案だと思いますが、左翼系の連中はOKしますかね。その連中をどうして納得させるかチエの出しどころですね。 この連中が幼少から弱者も何もかも(チョッと云いすぎだが)いっしょうくたにしてできないほうの子のレベルにあわすようにやってきたんです。 したがってよくできても、飛び級もなし、身体他の障害児もみんなと同じ教育を受けさせたいと普通学級に入学させ、先生の負荷を重くさせている癖に、なんかあると学校が悪いとか、先生が悪いとかおっしゃる。 マスコミもこんな弱者をみんなよってかばって仲良し学級にすれば、すばらしいとか何とかと褒めまわす。 これで大きくなったら、東大生でもレベルは落ちるでしょうね。 大津のいじめ問題から、いろいろと改革改善もされたと思うが、いかんせん最近の子は口で言っても悪には通用しません。家でもそうですが、怖いものが居ないといとダメなんですが。 したがってこれからも見て見ぬ振りの先生はなくならないでしょう。 チョッと内容は逸れますが、最近下記URLのような質問が出ていました。これを見ると本質的に何も改善されたように思えないですね。 みんな自分の首が可愛いのでしょうかね。 http://okwave.jp/qa/q8135379.html

mkfdh
質問者

お礼

回答ありがとうございました。ご意見の後半の論旨はよく分かりませんが、前半の論旨には僕も同感です。いわゆる「結果平等」とか「悪平等」とか言われる教育が日本の国力を落とした事実は否めないと思います。

  • tanuki4u
  • ベストアンサー率33% (2764/8360)
回答No.2

研究機関ランキング それぞれの11年間の論文被引用数 2013年17 東京大学 1,190,750 2012年16    東京大学    1,136,238 2011年13 東京大学 1,080,166 2010年11 東京大学 1,041,057 2009年11 東京大学 984,934 2008年12 東京大学* 917797 2007年13 東京大学 849,355 2006年13 東京大学 792,222 2005年14 東京大学 720,324 2004年13 東京大学 674,179 2003年16 東京大学 612,253 2002年19 東京大学 560,437 理系中心になるが、この20年ではそんなに変わっていない。 COEとかで東大傾斜配分とかいわれたのが2002年からだが http://ja.wikipedia.org/wiki/21%E4%B8%96%E7%B4%80COE%E3%83%97%E3%83%AD%E3%82%B0%E3%83%A9%E3%83%A0 その効果が2007年~2011年くらいなのかなぁ とりあえず授業料全員タダにしてもらわないと、田舎の子には辛いよ。 私の頃で国立は年間144,000円。同級生には留年している奴もいたので、年間12,000円(月額千円)なんてやつもいたもの。 ※ けど記事内容を30年以上前の私の頃に当てはめても違和感がないんだよね。 指導教官の入学の頃は理一の定員が500人くらいで、言われちゃいました。 『昔の500番くらいのやつは、やはり今も500番くらいだろう。分かるか?おまけで入っているヤツはその分勉強しろ』

参考URL:
http://ip-science.thomsonreuters.jp/press/release/2013/esi2013/
mkfdh
質問者

お礼

回答ありがとうございました。ご意見は参考になりました。メダルが期待されるようなアスリートにはバンバン税金つぎ込んで優遇してるんですから、知のエリートにも同じように(と言うかもっと)税金をつぎ込んで養成するのが筋だと僕は思います。

  • LHS07
  • ベストアンサー率22% (510/2221)
回答No.1

世界的に見て東京大学のレベルがていかしているということが問題です。 ニュースでは 欧米では10月入学も可能にして欧米人が入りやすくする。 英語圏の人でも入れ卒業できるように英語の授業を増やす。 日本人も英語で授業をうけられるようにする。 専門分野の論文や資料はインターネットで公表されていますが 大学にはいったらこれらのものをスラスラ読めるようになる。 インターネットで ある日ある場所にあつまって打ち合わせの時間になったら いっせいに踊りだすセレモニーとかありますよね。 たとえばマイケルジャクソンのスリラーとかみんないっせいに踊りだすのですね。 韓国ではおこなわれているようですが、日本ではおこなられていません。 世界から遅れを取っているような。 また、世界中では英語でいろいろなことで議論されているのですが 日本人は参加者が少ないのですね。

mkfdh
質問者

お礼

回答ありがとうございました。確かに、国際規格に合わせなくてはいけないという点は僕も同感です。

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    タイトル通りの質問で、どの大学の方が上下といったの質問ではありません。 自分は、東北大学工学部に現役で合格しました。 地方出身ということもあり、国立大学志向で私立は受験していません。 社会に出てから、生まれも育ちも東京の妻と結婚しました。 妻は、早慶MARCHではないが、それなりの偏差値の私立大学出身です。 妻としては、東北大学は「田舎にある学校」というイメージしかなさそうです。 それは別に良いのですが、TVで早稲田出身の芸能人が出ると「この人早稲田だって。頭いいね。」とか「東京理科大出身ってカッコいい。」と常に東京ベースの思考です。 自分は、妻であっても男としては良く見られたいのですが、少なくとも東京以外は眼中になく生きてきているので、東北大学は学力すらも分からないと思われます。 東大、一橋、東工と比べられれば、ぐうの音も出ませんが、他大学が圧倒的に優秀といった発言がある度、少し悲しくなります。 質問は、大学の優劣ではなく、東京出身者は、やはり東京が全てで物事の判断がなされる傾向があるのでしょうか。 確かにすべて揃ってますしね。

  • 日本の学力低下問題について

    はじめまして、大学3回生です。 近々プレゼンテーションがあり、日本の学力低下問題がどんなところにあって、その解決方法はないのか、ということを探っていこうと思っています。 その問題提起と解決方法提案を、2003年度のPISAで総合1位になったフィンランドの教育からみて考察していこうと思っています。 しかし、日本の教育システムについて理解できていない部分もあり、そしてこのプレゼンの構想がまだまだまとまっていません。そこでみなさんから、情報、アドバイスや意見を頂きたいのです。 本は主に 「変えよう!日本の学校システム―教育に競争はいらない」(古山 明男著 2006年平凡社出版) 「学力低下をどうみるか」(尾木直樹著 2002年日本放送出版協会出版) 「フィンランドに学ぶ教育と学力」(庄井良信・中嶋博編著 2005年明石書店出版) 「競争やめたら学力世界一―フィンランド教育の成功」(福田誠治著 2006年朝日新聞社出版) を読み、あと文部科学省の公式HPや新聞、雑誌などを見ました。 調べていくにつれ、日本の教育についての疑問が多々湧いてきました。 (1)学習指導要領を元に学校はカリキュラムを作成するなど、文科省→教育委員会(都道府県)→教育委員会(市区町村)→学校という風に日本は地方分権化が進んでいるように思えます。(フィンランドのように教師が権限と教育方法の自由を握ってはいませんが)しかし実際のところはどうなんでしょうか?私の中では、文科省の言うことを教育委員会や学校はほぼ、しぶしぶ受け入れ、正当化して世間に発表しているのでは…というイメージがあります。 (2)これからの学力は、「確かな学力」を得ることによって「生きる力」を身につけることだ、としていますが、詰め込み型教育、サタデースクール、授業時間を長くしたり、全国学力テストを再開と、ゆとりをなくし競争をあおるようなことをしていませんか?矛盾を感じます。 (3)習熟度別教育が依然、日本の教育制度には残っています。本には、上のレベルの子にばかり手をかけ、下の子には手をかけないいわゆる「エリート教育」をしている、とありました。これはエリート教育なのですか?そうであれば、これは格差教育につながる一要因なのではないでしょうか? (4)国は、生涯学習を続けていく(生涯教育)ための学びを、と政策を取っていますが、それ以前に、だれでもどこでもいつでも教育を受けれるようなシステムが整っていないのではないでしょうか? (5)世間一般で話題になる「学力低下」はテストの成績以外は見ているのでしょうか?学力という言葉の意味合いがとても難しいのですが、テスト以外にどういった意味がこめられているのでしょうか? (6)大福祉国家・高税率のフィンランドの教育制度が日本に適応できるとは思っていませんが、フィンランドに見習う点、またはこれなら取り込めるんじゃないか…という制度はありますか?(フィンランドの教育について詳しい方にお答えいただきたいです。) 長文になってしまい申し訳ありません。 1つだけ答えていただいてももちろん結構ですし、 この質問以外にも、皆様の考えを是非お伺いしたいです。 どうかよろしくお願いします!

  • 筑波大学附属高校の止まらぬ大凋落

    雑誌を見てビックリしました。かつて東大に70名以上輩出していた筑波大学附属高校が、2008年は東大がたったの25名しかいません。高校や中学から優秀な生徒が入学しているはずなのに、この実績は悲惨すぎます。 東大合格者の推移を調べたところ、以下のように減少する一方です。 50→45→34→34→32→25 過去最低最悪の実績だそうです。高校受験の塾では、今後、筑波大学附属高校と学芸大学附属高校はどんどん実績が低下することは確実と言っていました。 高校受験では、国立の学校の人気が急落しているようですが、来年は日比谷高校で、東大が二桁になり難易度が急上昇した世代が卒業しますから、進学に熱心な都立高校に飲まれることは予想できます。 筑波大学附属高校に未来はないのでしょうか。