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若者のメールマナーの違いはいつからから?

先般 警察関係の会合で上場企業の重役など様々な話しのなかで、若者の言葉『大丈夫、お疲れ様、ご苦労様、ご馳走さま、』が違う認識でまかり通っているという。 そう、これでよろしいでしょうか?とお伺いをたてるとき 『これで 大丈夫でしょうか?』とタメ口をしたり、昔の映画なら『殿にご苦労をお掛けし申し訳御座いません。』ヤクザなら出所した親分や兄貴分に『親分 お勤めご苦労様でした』が目下から目下へ 目上から目下には御を付けず『ミナの者 苦労を掛けたな。』といい 四十年前は お疲れ様は 芸能界、興行、イベント娯楽パチンコ業界などの身内言葉で 一流企業では文章や手紙にはタブーとなっていたのが、バカ殿や水戸黄門で『ミナの者 ご苦労!』とやっているのを聞いた誰かが ご苦労さまは目上から目下とネット上に流したようだが いつのことか分かる方はいないかな。ちなみに、三十代の東大法学部そつの公務員に現状を調べさせたらば、ご苦労様は直属の部下に使い お疲れ様は一般的にしている人々が多いとなっていた。明治時代の人に 『目下にご苦労様などと敬語を容易く使わない!と怒られた時代 田中角栄が守衛に『ご苦労様』と声をかけ偉ぶらず 庶民的に人の心がわかるとマスコミがはやした。一体 誰が真逆なマナーをネットに流したか知りたいです?

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  • hideka0404
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回答No.1

その時々で違うと思います。 「ご苦労様」は目上から目下 「お疲れ様」は目下から目上 「お疲れ様」としておけば無難 これはビジネスマナーにおける教え方です。実際私もこうした内容の研修を受けた記憶があります。 しかし、この定義は、私には乱暴に思えます。はっきり言って逆じゃないの?と思っています。 よく言われる「『御苦労』とは、昔の殿様が目下に向かって言った言葉、『御苦労であった』からなので…」というのは嘘です。時代劇を見ても分かるとおり、昔は「大義であった」といいました。 この場合の「苦労」とは、その役職、役目、役割特有の「苦労」のことです。 例えば、組織として一つの仕事をする場合、指示する側と指示される側とでは、苦労の度合いが全く異なるわけです。手足を動かしていればよい下っ端は「疲れる」だけですが、首から上の頭を使うマネージャーには、下っ端には分からない「苦労」があるわけです。 「ご苦労様」とは、本来、その「お役目」に対するねぎらいの言葉です。当然、ねぎらいだけでなく、感謝の気持ちも含まれているでしょう。 宅配の配達人が自宅に荷物を配達してくれたときは、「ありがとう」の代わりに「ご苦労様」といってもよいと思います。配達がその人の役割なのですから。 夫が帰宅した際、妻から「おかえりなさい。ご苦労様」と言われればうれしいものです。「一家のために働いてくれてありがとう」というニュアンスが伝わってきます。これが「おかえりなさい。お疲れ様」だと値打ちが下がるような気がします。 「お疲れ様」というのは、仕事以外の、例えばレジャーから帰宅したとき、「やっと着いたね。お疲れ様」という感じです。会社などでも、日常の退社時における同僚同士の挨拶であれば、これでよいでしょう。 しかし、例えば定年退職者の送別会などにおいては、長年のお勤めに対するねぎらいの意味で「長い間ご苦労様でした」と言うことはよくあります。ご質問のケースもまさにこの場面ですよね。 これが「長い間お疲れ様でした」では、主役が下っ端のような気がします。実際に管理職などのキャリアがない万年平社員であったとしても、送別会という主役を持ち上げる場面では「長い間ご苦労様でした」が適切だと思います。 よく駅前などで市議会議員などが「皆さん、朝早くからのお勤めご苦労様でございます!」などと街頭演説をしていますが、彼らは自分が有権者より目上だと思っているわけではありません。一家の大黒柱としてのお勤め(役割)に対するねぎらいの言葉なのです。 昭和天皇の「大喪の礼」の日(1989年2月24日)、前夜の午後8時から葬列を待っていた74歳の男性は「『心からご苦労様でした』といって見送らしてもらいました」と話したことが記事となっています(同日付け朝日新聞夕刊)。 要するに、公的な役割に対するねぎらいと感謝の言葉なのです。 こうして考えてみると、「御苦労様」は、むしろ目上の人に対して使うべき言葉だと思いませんか? あくまで公的な役割に対するものなので、例えば、いくら会社の上司に対する言葉であっても、社内旅行や社内野球大会などレクレーションの終了時は「お疲れ様」が適切だと思います。これらは単なる遊びですから。でも、幹事さんに対しては、普段は社内では下っ端ですが、この場合は「ご苦労様」と声を掛けてやるのが適切な使い分けだと思います。幹事はみんなのために「まとめ役」という役割を果たしたわけですから。 こうしてみると、時代の流れとともに目上の人に対して「ご苦労様」ということが容認されるようになってきたのではなく、昔の人は「ご苦労様」は役割に対するねぎらいの言葉であるということを正しく理解していたため、目上の人に対して言うことの方が多かったのです。つまり、最近のビジネスマナーとしての教え方の方がおかしいわけです。これは「言葉は変化するもの」というレベルではなく、間違った教え方をした結果、現代では変な用法になってしまった、ということです。 なお、このように本来の用法を無視して(というか、深く考えずに)、ビジネスマナーとして簡単な使い分け法を勝手に編み出し、もはやそれが定着してしまった例に、敬称としての「殿」と「様」が挙げられます。 戦前の教育では、こうした言葉遣いは「徹底的」に仕込まれましたが。昨今では教育者自身の「教養」が乏しいために間違いさえ正せません。 主たる意味さえ当たっていれば良いという考え方です。 もう一度、義務教育の内容を改めるべきですね。 英語が話せる以前に、まともな日本語教育が大切だと思います。

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