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無執着からの返事
(会話) 先生・・ 延命はしないでくださいね 自然でいいんです 自然で まだ 楽しいことが待ってますよ まだ まだ たくさん 延命じゃないんです 楽しいことを味わってもらいたいんです・・ 嘘だ 楽しいことなんか もうあるはずがない ただ生きて 苦しみを味わうだけだ 自然に命が尽きたほうがいい・・ 自然に尽きる ということが分かっておいでなら・・ いかなる延命も 自然には勝てないのですよ 自然がくれた時間を ちょっと伸ばすだけなんですよ 決して悪いことではない 無執着の心で この世を眺める時間をすこし伸ばしてもいいんじゃないですか? 先生・・ まだ ありがとう というものが見つからないんだよ 見つかるだろうか? 私は そのお手伝いをするだけなんですよ 見つかるようにと 一つでも 見つかればいいんだろうか・・ 一つじゃ さみしいから二つにしてください 二つにする時間を 私にください 先生・・ まかせるよ 握手 ※ 無執着への呼びかけと 返事とは かくの如きものだろうか?
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補足を拝読しました。どうもありがとうございます。ただ私にはちょっと抒情的すぎました。Aさんとは歳が違うという以上に、目線の持ち方が違うのでしょう。だから抒情=共感に訴えかけられても、私にはうまく応答できないのかもしれません。そんないいわけをしつつ、終末医療について思うところを書こうと思います。確かに、医者は技術職ではいられませんね。私は基本的に、医師よりも詳しく調べてから病院に行くことにしており、正直、医者を信用はしていません。しかしそれでも、最後の段階では、医師を信じるしかないということがあると思っています。 最新の技術を持っている医師というのは、大体は、偏差値の高い大学を出たお坊ちゃんです。この世間知らずのお坊ちゃんが、失言をしたら嫌だなあと思います。こちらも世間知らずを相手にしていることは重々承知しているけれど、それでも「いい加減にしてよ」とは思うのです。振りでいいから、まともな振りをして欲しいなあ、とは思います。ことに両親の主治医には、医師を信じないと始まりません。私については、私が心を強くもって防御することもできるでしょうけれど、老いた人はそうはいきませんから。 医師は看取る役をになうわけで、その意味では、牧師だとか神父と似ています。また人生に対して見方を示すことも必要ですから、この意味では教師の役割も備えているでしょう。そうした言葉を全部込めて「先生」と呼ぶのだと思います。しかし・・・どうなのでしょうね。毎日看取っているうちに、感動する力なども磨耗してくるでしょうね。どうあっても事務的にならざるを得ないところがあるでしょう。やはり家族が主体的になるところが必要なのではないかなと思います。先生がありがたいのは、医師に限らず、皆そうだなと思います。サーヴィス業ではなく、仁術だと思いますよ。
どうもありがとうございます。騙されていると分かっていて、敢えて騙されてあげる。これが問題でしょうか。患者はそういうところがありますよね。老人に限らず、若くてもそうだと思います。この医者、ふざけてんなあと思っても、喧嘩しないようにする。ダメだと思えば、相手に意見しないで別の病院に行く。しかし、自分の生き死にに関わることまでこの調子でいいものか。そういう疑問でしょうか。 しかしこのようにすることで、心の延命もできているんでしょうね。明日死ぬと思えば、心もまた殺伐となるわけですから。私はお迎えが来るような年齢ではありませんが、これまでに入院して、これはマズイなと言われたことがあります。そうすると心がどうも鬼のようになりますね。一分一秒が惜しくて仕方がなく、人との会話が成立しなくなってしまいます。まあもともとせっかちな性格ではありましたので、友達ともそれほど打ち解けて話さないという人間でしたけれどもね。ともかく合理的な話をしていない人がいると、大体において我慢ならないのです(笑)。これが変わったのがごく最近。のんびりした人を恋人にしたからでしょうか。相手の歩みにあわせないとなあなどと考えるようになりました。前は、放り出して、私が先にさっさと歩いていってしまったんですけれども。 さておき、心の平静の保ち方について、私はAさんはとても興味深い方だと思うのですよ。あのBさんと会話が成立し、趣味関心の方向性が違うらしいのに、友人みたいになっているのですから(まあ、悪口と受け取られるかもしれませんが、向こうもDとは気があわないところもあるが、あう範囲で会話しようと思っているでしょうから、問題ないでしょう)。なかなかそういう境地には達せないものだと思いますよ。しかしそれでも探していらっしゃる「ありがとう」とは、どういうものなのでしょうか。もう少し言葉を足して、ちょっと教えていただけませんか。私など、日々、様々なものに感謝していますが、そういう平凡なことではないんでしょうね。 ただし、こういう投稿を読むと、何となく、お体が心配ではありますね。私など、時間つぶしに、寂しくなると覗いているだけですが、それが最後の貴重な時間を費やしていただいているのかなあと思うと、ちょっと緊張します。大丈夫ということでしたので、それをそのまま受け取るべきかな、とは思っていますけれども。あまり抒情的な感想が書けなくてすみません。
お礼
ありがとうございます。 人生の終着みたいなところを皆さんが どう思っているのか こんな質問の形で聞いてしまいました。 私は医者ではありませんが たくさんの人の最後を見てきました そのへんのところから自然に出てきた感じもします。 医師の方、或いは、若い医学生の方は、終末医療というものを、どう考えておられるのか 興味がありますね 補足欄にて、つづきを書いてみました やや一方交通の感はありますが 思い当たることが、次々に出てきたのは 人の終末のさまざま からでしょうか お読みください。
補足
(回想・・) 風のある公園のベンチで ゴソ ゴソ ・・一通の手紙 先生 ありがとうございました。 父に代わってお礼申し上げます。 最後まで父を看取ってくださった事、心より感謝いたします。 ・ ・ ・ ・ ・ の事情 ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・いい先生にめぐり会えたと ・ ・ ・ 私も父のその言葉を聞いてご相談 ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ありがとうございました。 ふぅ ・ ・ っ これで いいんだろうな これで いいんだけど やっぱり辛かったな・・ 時計を見るとき 見えなかった 涙で・・ いつもは 周りに大勢いて 役目を果たすという感じで さっとできるんだが そうはいかなかった ずっと手を握って じっと見ていたし・・ 先生・・ と言っているみたいだった 足りないんだよな・・ いつも足りない これでいいって 思えない こんな人との別れは いつもそうなんだけど・・ 下手な医者・・なんだろうな 自分は X X さん・・ あんたが 先生だよ 先生と呼べる人が必要だと 教えてくれた あんたが先生だ ・ ・ ・ ・ ・ 先生・・と言いたいときに 先生は いなくちゃいけない 誰かが 先生になってあげなくちゃいけない 風がすこし強くなった 娘さんの便箋が揺れて、時々音をたてる 三枚の便箋 三枚目の一番下にある便箋には 何も書かれてはいない よくある事だが 丁寧さというものだろう 謹んで意を表す という包みみたいなもの 言葉でない心のつづきが この白い便箋にはある 娘さんの・・ 誰も いつかは 無執着になる時が来るのかもしれない 無執着は いいけれど その言葉を聞いてあげる人が必要だ 強くない人間の 最後の・・ 自分は こうですよ・・という言葉を そうか 分かったよ・・と 優しく聞いて 頷いてあげる人が必要だ 家族に恵まれ 或いは 信仰をもっている人は 心の支えがあるから 無執着でも 明るい無執着でいられる けれど そうでない人は 無執着でも暗くなってしまうのだろう 医者は 特別な事がない限りは そうしたメンタルな事への深入りはしない 患者に対して 必要以上に関わりたくないのが本音だろう 終末医療の落とし穴みたいなものだ 医者は普段から 先生と呼ばれている 医者だから 先生と呼ばれている でも その言葉が 医者であること以上の響きを持つことがある 先生・・ なんて 切ない言葉だろう それはきっと ありがとう という つづきを持ったものに違いない また そうであるべきではないだろうか。
- 日比野 暉彦(@bragelonne)
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★(No.5お礼欄) ~~~~ >患者は 生きることだけを思っていればよい・・ 単純に・・そうでしょうかね そう いきますかね・・。 ~~~~~~~~~~ ☆ つまり ★★(No.3お礼欄) この人に 自分の命を預けよう ☆ というのも ○ 患者は 生きることだけを思っていればよい に含まれます。だからです。
お礼
ありがとうございます。 >患者は 生きることだけを思っていればよい これなら医者も楽でしょう 体だけというメンタル抜きで扱うことができる どっこい そうはならんのですよ そのうち 書きます。
- 日比野 暉彦(@bragelonne)
- ベストアンサー率16% (203/1213)
★(No.3お礼欄) ~~~ この人に 自分の命を預けよう そうだったのではないでしょうか。 ~~~~~~~~~~~~ ☆ 医者は 患者がどう思いどう言おうと 活かすために出来ることをぜんぶおこないます。 そういう意味で 医師は 無執着です。 患者は 生きることだけを思っていればよいのだと思います。
お礼
ありがとうございます。 >患者は 生きることだけを思っていればよい・・ 単純に・・そうでしょうかね そう いきますかね・・。
今度も仏教に深入りしない範囲で、一般論を答えさせていただきます。No2のぶらじゅろんぬさんのように、質問が曖昧だと言えばそうなんでしょうが、もともとこのカテそのものが曖昧なもので溢れていると私は思いますし、私なりに解釈を決めてお答えしてみます。 まず質問文に関する解釈から。自然に任せる=無執着ということのようですが、最後はお医者さんに任せてしまっているようですね。問題は医療との関係のようです。この質問は、助かるものを助けてもらうことは自然=無執着の範囲と呼べるかどうか、ということに思いました。 つまり本来なら、「助けを拒み、生に執着しないこと」が無執着には違いない。しかし現代の医療において、「自然」の示す範囲は、広がっている。治せないものを無理に生かすのが不自然で、それ以外は「自然」という考えになっている。こうしたズレについて、問いかけるのが、この質問の趣旨なのではないかと考えました。 まあ、無執着について、仏教に則して?原理主義的な物言いをすれば、よくないでしょうね。生に執着せず、死に向かって歩んでいくことが無執着なのでしょう。しかし、私は、お医者様の言う通りで良いのだと思いますよ。医者が言う「自然」は、その人の人生の価値を上げるために考えだされた言葉です。不自然な死に方をすると、人生は味気ないものになってしまう。自然であることが一番大切だ。そういう思いやりから生まれた「自然」という言葉があっていいと思います。仏教に殉じたからと言って、何も良いことはありません。 それにしても、こういう会話が出来るお医者さんは良い方ですね。
お礼
ありがとうございます。 お礼がわりに会話のつづきを・・ 補足にて 後ほどご感想をお願いします。
補足
(会話) 先生・・ このあいだ 娘が孫を連れてきてね にぎやかでね すこし うるさい感じもしたんだけど やっぱり孫はかわいいね そりゃ よかった 娘さんや お孫さんと過ごせるのはいいでしょう まだ まだ 楽しんでくださいよ ありがとう 孫が帰ったら 急に静かになってね すこし さみしい気もして 庭の木を眺めていたら 若葉がきれいに見えるような気がしてね まだ見えるんだね・・ この目で それで いいじゃないですか きれいなものが きれいに見えれば いろいろな花も咲いているし・・ 先生・・ 不思議だね・・ 別れると思えば みんなきれいに見える 今まで そうじゃなかったのにね 今までで 一番大切な時間を過ごされているんじゃないですか 若い時の充実とは違っているかもしれないけど いいんじゃないですかね ここんとこ いろんな人とも会ってね 前には いさかいもあったけど 元気ならいい と思ったりして また そのうち・・なんて言ってきちゃったよ また でいいんじゃないですか 分かるのかな・・ しみじみ 元気で なっ・・て 言われたりして うん・・ そんなところはあるんでしょう きっと 先生・・ あと どれぐらいでしょう? ・ ・ ・ ・ ・ ・ 教えてはもらえないのかな・・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ 知ってても 教えてはもらえないのかな・・ ・ ・ ・ 聞いてどうします? 一番大切な時間の長さを 聞いてどうします? 知っておきたいと思ったんだけど まだ ありますよ まだって まだ ですか うん・・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ じゃ 先生にお礼を言うのは 早すぎるってことだ (笑) うん・・早い まだね・・ ・・・・・・・・・・・・・・・・・ (つぶやき・・) 娘さんには伝えた 父のすきなようにしてあげて とも言われた 不自由になる すこし前には伝えよう この人には身寄りが娘さんしかいない 私は脇役でいいのだが この場合は脇役だけでは済まないようだ それは 医師としての義務でもなければ仕事でもない でも私は引き受けよう いろいろな話を 聞いてあげよう 無執着からの返事みたいなものを 人生の終わりを にぎやかにしてあげよう・・ 検査の段階で すでに半ば延命は終わっていた 手術できるものならば そうすべきだが 答えが出てしまった以上 心の延命しかない・・ 体の延命は限られたものだが 心の延命は限られてはいない・・ 痛みを和らげる薬は意識を狂わす 最後になるだろうが できるだけ遅くしよう すこしでも多く 会話ができるように すこし辛くなりそうだ・・ また だが・・
- 日比野 暉彦(@bragelonne)
- ベストアンサー率16% (203/1213)
またまた ケチのつけ役にすぎませんが。 No.2のくりなるさんのご見解と同じなのですが ★ 無執着 ☆ という用語がアイマイであるように感じます。 執着を無くす あるいは 執着が無い〔と認識し自覚している〕というのは まだハカラヒによるのですし ハカラヒをいちど持ったその結果なのであると見ます。 つまりもしそうなら 《自然》と言っていても すべてをハカラヒのもとでハカラヒの範囲内で思考や議論をなさっている。こう感じます。 マチガイだとかダメだとか言うのではなく おそらく切りがなく結着のつかない主題を問い求めているように見えて来るのですが。・・・
お礼
ありがとうございます。 >執着を無くす あるいは 執着が無い〔と認識し自覚している〕というのは まだハカラヒによるのですし ハカラヒをいちど持ったその結果なのであると見ます。 つまりもしそうなら 《自然》と言っていても すべてをハカラヒのもとでハカラヒの範囲内で思考や議論をなさっている。こう感じます。 少々荒々しい言い方で失礼になりますが これでは堂々めぐりの感じも否めません 一歩先に出てみたい気がします 無執着からの返事とは 言葉に表しきれないものであった と思うのです そして 医師はそれをしっかりと受け止めた と思うのです 受け止めてくれることを信じて、短い言葉に託したものだった 長い言葉ではなかった 短い言葉にすべてを込めたものだった そんなふうに思えるのです この人に 自分の命を預けよう そうだったのではないでしょうか。
- kurinal
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こんばんは。 医師とは、本来無執着のものと思います。 「執着するのは患者で、それを汲み取るのが、医療・福祉(etc)スタッフ」かと。
お礼
ありがとうございます。 >医師とは、本来無執着のものと思います。 これは解釈でしょうね 医師の使命とは、本来、人を救うことであるはずですが 体だけを救うのか、心も含めた人間全体を救うのか・・ 仁術という言葉が示すものは、明らかに後者であるように思うのですが 医師が「何事にも執しない立場」というものは解釈しずらい 医療の原点とは、人が安らかに健やかに過ごせるように、という事だと思うのですが それをも否定した無執着の立場を医師に負わせることはいかがなものでしょう・・ 医療・福祉(etc)スタッフの中核をなす医師は、やはり明確な人に接する態度を決めなければならないように思います あやふやな態度では、患者の信頼を得ることはできないように思います 患者が思い至らない事も含めて、最大限、人らしく生きられるように努め補助するのが医師の役目のように思います 人一人の人生の終末に、どう向き合うのか といった事を思えば 医師の役目というものは、大変な重責でもあると思います 深い人間性の洞察が求められ、必要とされるようにも思います 医師とは、人の命に対する明確な視点を持たなければならないのでしょう あやふやであってはならない でなければ 無執着の人に呼びかけることも出来ない そんなふうに思います。
心象を綴った文章で、自分は好きだ。 しかしかくの如きものだろうかと問われればどうだろう。延命はしないのが無執着の心かもしれない。
お礼
ありがとうございます。 >延命はしないのが無執着の心かもしれない。 いのち 惜しきかな・・・ という 淡い執着も無執着に近い ならば ある程度の延命も、無執着と呼んでもいいような気がします 意志が失われた先の延命は、無執着とはいえない感じがします 無意識の延命と、無執着の延命とでは違うのでしょう。
お礼
幾度もありがとうございます。 >毎日看取っているうちに、感動する力なども磨耗してくるでしょうね。どうあっても事務的にならざるを得ないところがあるでしょう。 そうなんですよ その辺のところを訴えるようにして書いてみたつもりです ちょっと やり過ぎたかなぁ・・ でも 医者も長年付き合っている人の場合には 逃げられないというか、自然と心のケアまでしてくれる場合もあると思います その他の場合では 医者の人徳に関わってくるような気もします 医療と宗教の境目みたいなものがあって 互いに踏み入る必要がない というのが一般認識だと思います でも、どうなんでしょうね 医者とは、現代に生きる薬師如来だとも言えそうですし 現在、最高の人気を誇る仏様だとも言える 医者を宗教家だと誰も言わないが、医者自身は医療を宗教に勝るものだと思っているし、 医療を行う者は宗教家に勝る者だと思っているのではないでしょうか 完全に宗教は医療に押されてしまっている そんな感じがします 先生・・ と呼べる医者はいても、宗教家にはいない ほとんどいない 実感ですね 人の生を担い、死をも担いうる人・・ 永遠の理想像の課題なんでしょうね 愚痴かもしれませんが・・ ありがとうございました。 このへんで締めたいと思います。 自然な感じのお答え、幾度もありがとうございました。 少しでも共感していただいた事感謝します。