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日本史B 日本の中国進出

(1)寺内内閣は袁世凱の後を受け継いだ 北方軍閥の段祺瑞に巨額の借款を与えた。 (2)同内閣は北京政府にいわゆる西原借款を与えて 中国における日本勢力の拡大を図った。 (1)の北方軍閥と(2)の北京政府は全く同じ組織でしょうか?

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  • ベストアンサー
  • mekuriya
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回答No.1

袁世凱の権力基盤を北洋軍閥と呼ぶ。袁世凱が死去した後も北洋軍閥は北京政府を継承していた。それを北洋軍閥政府と呼ぶ。当時の北京政府を北洋軍閥政府とも呼ぶ。北洋軍閥政府は蒋介石の北伐で打倒される。その時、基盤とする満州に逃げ帰ろうとして爆殺されたのが張作霖。かの張作霖爆殺事件と呼ぶ。 袁世凱死去後、北洋軍閥は権力闘争で分裂状態に陥り、その分派の1つが満州を勢力基盤とする張軍閥である。つまり袁世凱死去後の北京政府は、北洋軍閥の分派が合従連衡で権力を奪い合っていたということである。実態は袁世凱の北洋軍閥とは異なるが、流れとして北洋軍閥政府と呼ぶのである。段祺瑞は袁世凱が死去した後の北京政府で実権を握ったが、安直戦争に敗れて一時失脚し、張作霖の支持を得て復権し、その後また失脚したという流れ。安直戦争とは安徽派の段祺瑞と直隷派の曹錕の戦争である。親日派の段祺瑞と親米英派の対立が武力衝突になった。結局、日本は親日派の段祺瑞が安直戦争に敗れたことで、巨額の借款が何の成果も無かったのだ。貸し倒れである。 といった具合に北京政府の動きだけでも煩雑なのだが、これに国民党と中国共産党の流れも煩雑なので、教科書や参考書の記述だけに囚われず、幅広くネットで調べていただきたい。

tokuyak58
質問者

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回答ありがとうございます。

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