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日本の中国進出

最近、あまり興味の無かった歴史の本を後学のために読み始めました。何故、日本は中国という他国に駐留していたのか? というなぞを解くために本を読んでいると、まず、第一次世界大戦で勝利したのでドイツの中国における権益を引き継いだ。次に、日露戦争に勝利してロシアの中国における権益を引き継いだ。これで、日本が中国に駐留している原因がわかりました。中国に駐留するという事は中国人から見れば、悪役に見えるわけで、本来はドイツやロシアが、その矢面に立つ所を日本が勝利した事により、その位置に日本が変わって立った、という感じなんでしょうが、結局、これが第二次世界大戦につながって行ったと思います。それなら、第一次世界大戦や日露戦争に負けた方が良かったかというと、これも、当然、ノーだと思います。結局、日本は、その後、中国における権益をどうすればベストだったと思われるでしょうか? 現在の中国との関係を危惧している一国民からの質問です。

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回答No.1

権益は維持しても良かったのだと思います。 あの時代に返したところでまたどこかが取ってしまったでしょう。 あるいは、いやいや、うちは遠いからお宅でどうぞ、と言われるのを見越した上で英国に譲渡を申し出るか。そもそもドイツの権益を引き継いだのも日露戦争にかろうじて買ったのも日英同盟の力が大きかったのですし。 そしてその権益を握っているのが「まるっきり異質なヨーロッパ人」ではなくて「永らく交流のあったアジアの隣人」になって「随分マシになったなぁ」と現地の人達や、中国大陸を支配していた人達が感じるような施策をとっていれば、歴史は随分と違うものになったでしょう。 せっかく古代から長い間中国の文化を取り入れたのに。昭和になってすら、知識階級はもとより職業軍人までもが漢詩を読んだり、作ったり、吟じたりしていたのに。結局のところ、大日本帝国がやってしまったのは、同じアジア人である中国人を見下し、差別し、搾取し、みずからがまるで欧米人のように振る舞い続けたことが後の災厄を招いたのだと思います。後に掲げた「大東亜共栄圏」、この名の通り「共に栄える」という政策があれば・・・・

tahhzan
質問者

お礼

なるほど。すごく分かりやすかったです。そのような振る舞いをした結果の災いを受けてるわけですね。河本大作や石原莞爾らの墓の前で聞かせてやりたいですね…ありがとうございました😊

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  • eroero4649
  • ベストアンサー率32% (11129/34638)
回答No.4

>中国における権益をどうすればベストだったと思われるでしょうか? どうあがいても「支配する・される」の関係であった以上、感情的なもつれは避けがたかったと思います。ましてや中国人からすれば日本人は「東夷(東の野蛮人)」という扱いですから、野蛮人に支配されるのは感情的に面白くないとなるのは避け得られなかったと思います。 あとどうしても中国人の悪いところというか、そういうのもありましたからね。 満州鉄道の真横に同じルートの鉄道を敷いて、満州鉄道より安い値段で集客するなんてやってたんですよ。いかにも中国人がやりそうですよね。中国人からすれば、自分たちの国なのに外国が鉄道を敷いてその利益をとっているとなると面白くないわけですよね。だからそういうことをやりたくなる気持ちは分からんでもないです。でも日本人からすると腹が立つ話です。 また当時の中国は日本に限らず色々な国に植民地化されていて租界という自分たちの国なのに中国人が入れない地区があって、それに対する感情的な反発も大きくありました。 現代でも日本各地に米軍基地があり、横田空域といって日本のど真ん中に日本の飛行機が飛べない空域があることに対する日本人の感情的な反発がありますよね。「沖縄に米軍は要らない」というのはそれですよね。元はといえばアメリカに対して先に攻撃したのはこっちなんですけどね。 で、それに対する反外国感情の高まりというのが当然あり、租界に対する襲撃事件なども起きていました。清朝の末期から国民党政府の時期ってもう中国はガッタガタでノー秩序のカオス状態でした。なにしろ各地にいる軍閥が勝手に紙幣を発行していたくらいですから。 だから政府に対して治安を何とかしてくれといっても中国人じゃどうにもならない。仕方がないから各国が軍隊を派遣する。当然中国人が反発する。各地で小競り合いが発生する。ということがくり返されていました。 それで山東省の外国人租界が危険ということになって、山東省は日本にも近いので日本人も多く住んでいて、日本軍が邦人(と在留外国人)保護のために出兵したのです。これは日本人だけじゃなく現地の在留外国人全体からも歓迎されたのですが、そこで中国のテロリストが日本人の虐殺をしたのです。当時の記録によると「腹を切り裂かれて内臓をはみ出させられた」とか「耳をそがれていた」とか「ちんちんを切られていた」とか、挙句には「股間に杭を打ち込まれた日本人女性の遺体」なんてもあったそうで、これで日本の世論も激高して収まらなくなったのです。 それで当時の日本で流行ったのが「暴支膺懲」とか「一撃膺懲」という言葉でした。「中国人は言葉で言っても分からん。一発ぶん殴って懲らしめないと彼らは理解しないだろう」となったんですね。え?私は現代の話はしてないですよ?あくまで昭和初期頃の話です。 そんなわけで、当時にベストの判断ができるんだったら今ならもっと冷静でベストな判断ができるはずなのです。 でも深センでああいうことが起きて、今非常に日中関係のとりわけ日本側の感情的なしこりが難しい状況になっていますよね。 そして大日本帝国が中国に進出しなきゃいけなかった理由は「日本が貧乏だったから」に尽きます。日本は当時から食糧輸入国でした。つまり自分たちの食い扶持さえ自前じゃどうにもできなかったのです。特に東北地方は貧しい小作農が多く、昭和時代になっても娘を売るのが日常的でした。その東北の窮乏が二二六事件の一因にもなったほどです。 第一次世界大戦が終わって肥料とモータリゼーション、つまり自動車が普及してくると、トラクターやトラックを使った大規模農業で肥料を使って一気に生産効率を上げるというやり方が生まれます。大日本帝国もそれをやりかったけど、日本国内は国土が狭いうえに小規模な小作農ばかりで大規模農業ができない。望みは国土が広い満州での大規模農業だったのです。 更に大日本帝国は「人口多すぎ問題」も抱えていました。戦前にハワイやブラジルに移民する日本人が大勢いましたよね。彼らは日本では働く場所がなかったので外国に移民を選んだのです。戦後のある時期まで、日本は「人間輸出国」でした。「国内の食い扶持を減らし、日本人が働く場を作る」という点でも満州という植民地は日本に必要だったのです。

tahhzan
質問者

お礼

なるほど。そのような状況だったんですね…このあたりの状況判断は、なかなか難しい舵取りだったでしょうね。よくわかりました。ありがとうございました😊

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  • gunsin
  • ベストアンサー率32% (422/1314)
回答No.3

#2です、訂正します。 中国人民共和国が力づく領土にしたのは、ネパールでなく チベットです。

tahhzan
質問者

お礼

なるほど。了解しました^^

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  • gunsin
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回答No.2

大日本帝国と清王朝、中華民国、中華人民共和国、の関係を 知るにはアヘン戦争まで遡らないと理解する事は出来ません。 欧州列強は覇権主義で植民地を増やそうと競い合っていた時代です。 その中で日本が欧州の植民地に成らなかったのは、紙一重の 出来事なのです。 http://amazon.jp/dp/B0D3JCRRB3 GHQに依り禁書とされた、菊池寛著作の大衆明治史を読めば、 大筋は掴めると思いますよ。 中華人民共和国と日本が外交で気まずいのは、中華人民共和国が 覇権主義の政策を行っているからです。 旧満州、ネパールを軍事力で取り込み、現在は、南シナ海と 台湾を領有する為に活発に動いています、覇権主義を止めない限り 中華人民共和国とは良好な外交関係には成りません。

tahhzan
質問者

お礼

覇権主義ですか。確かに、そのような行動を取ってますね。それと、アヘン戦争まで遡らないとダメですか。なるほど。よくわかりました。ありがとうございました😊

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